17th ボディ・スペシャルⅡ

ボディ・スペシャルII
83年3月5日
上半身ヌードの女性(顔は見切れている)が堂々ジャケットという衝撃的なシングル。当時トップ10入り(10位)を果たしているが、05年リマスター盤では今作が最高位となる18位、翌週16位を記録して1番売れた。ライブの盛り上げ定番曲に成長しながら現存アルバム未収録だったという時点で今作はかなり有利であったが…おっぱいジャケットインパクトに引き寄せられたリスナーが多かったから売れたのかは不明。 「17th ボディ・スペシャルⅡ」の続きを読む…

From 5thアルバム『NUDE MAN』

NUDE MAN(リマスタリング盤)
82年7月21日
メンバー出身の青山学院大学の音楽サークルBETTER DAYSの後輩である国本佳宏が実質7人目のメンバー、キーボードとして全面参加したアルバム。BETTER DAYSでのライブテイクがあったり、次回作以降でコンピューターサウンドに傾倒していったりと、大学サークルの仲間で結成された初期サザンの1つの到達点のような1作となっている。 「From 5thアルバム『NUDE MAN』」の続きを読む…

15th 匂艶 THE NIGHT CLUB

匂艶THE NIGHT CLUB
82年5月21日
前作に続いてトップ10ヒット(8位)を記録。83年1月にはミュージックビデオとしても発売されたようだ。PV自体が珍しい時代にかなり珍しい…。タイトルの「匂艶」は造語で正直字面だけではどう読むのか分からないが「にじいろ」と読む。あまりにも分かりにくい上、作中でも出てこないためか、ふりがなが併記されていることが多い。 「15th 匂艶 THE NIGHT CLUB」の続きを読む…

14th チャコの海岸物語

チャコの海岸物語
82年1月21日
発売当初はこれまで同様にパッとしなかったようだが、桑田と原の結婚という話題性も手伝って最高2位にまで上り詰め、久々の大ヒット曲となった。トップ10入りも初期5作以来だったが「勝手にシンドバッド」を越えて「いとしのエリー」に続く自身2番ヒットを記録。エリー共々92年の「涙のキッス」「シュラバ★ラ★バンバ」以降までは10年間2番ヒットの座に居座り続けた

このヒットにより2度目の紅白出演も果たした。…が、現在よりも圧倒的に番組の方針が堅かった当時において国民的歌手の三波春夫の後の出番で三波春夫のモノマネをしながら登場して、「受信料は払いましょう、裏番組はビデオで見ましょう」などと発言。今なおこの辺りの言葉は伝説として語り継がれているが、ふざけまくった態度に批判が殺到してわび状を書く騒動になったとされている。これで懲りて紅白に出なくなったとされているが、実際には翌年も出演してから出なくなっているので、一撃出禁になるほどNHKが激怒したわけではないようだが…良く分からない。 「14th チャコの海岸物語」の続きを読む…

サザンオールスターズ 40周年シングル+回顧2~1980-1981~

1980年に入ると制作に専念するためにTV出演を控え、FIVE ROCK SHOWを掲げての連続リリースを敢行するも、売上が激減。以降しばらくシングルヒットからは遠ざかるようになった。一方でシングルのチャート順位がどんどん落ちていく中でもアルバム売上は好調で3rdアルバムで初の1位を獲得。以後オリジナルアルバム、現存するベストアルバムの全てで1位を獲得している。

そんなわけでこの時期は8作連続でトップ10落ちしていて2年間トップ10ヒットが1曲も無い。しかし98年の『海のYeah!!』収録の機会に恵まれた曲を中心に現在は知名度が非常に高くなっている曲もいくつかある。

2018.6執筆
2008年30周年時に聞いてないシングルがありながら禁断の空欄突破で公開した過去曲回顧「30周年シングルレビュー」を、2013年35周年復活時にA面全曲聞いた上での完成版「35周年シングルレビュー~1978-2008~」として公開。
今回は40周年を記念して全C/W追加各アルバムからも数曲ずつピックアップして全面リメイク。以前書いたA面部分もほとんど破棄して書き直している。

シングルは05年リマスター盤、アルバムは08年リマスター盤を全て聞いての執筆。

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サザンオールスターズ 40周年シングル+回顧1~1978-1979~

1978年6月25日の「勝手にシンドバッド」でのデビュー当時はあまり売れなかったが、8月の1stアルバム発売頃からTV出演をきっかけに徐々に火が付き始めて大ブレイク。以降2年間でシングル5作全てをトップ10入りさせたのがこの最初期である(アルバムは2作のうち2ndでトップ10入り)。

連日TV出演をこなしながら夜レコーディングというスケジュールになったため、メンバーの疲労はいきなりピークに達し、特に2ndアルバム周辺は「ノイローゼ」というキーワードで持って語られる事も多い。

この時期は前述のように当時もヒットしているため、リアルタイムで接したリスナーはもちろん、98年から20年ロングセラーを続ける『海のYeah!!』に5シングル中3曲が選ばれており、それらに関しては当時を知らないリスナー間でもかなり知名度は高いと思われる。

そんな最初期のサザンオールスターズを振り返る。

2018.6執筆
2008年30周年時に聞いてないシングルがありながら禁断の空欄突破で公開した過去曲回顧「30周年シングルレビュー」を、2013年35周年復活時にA面全曲聞いた上での完成版「35周年シングルレビュー~1978-2008~」として公開。
今回は40周年を記念して全C/W追加各アルバムからも数曲ずつピックアップして全面リメイク。以前書いたA面部分もほとんど破棄して書き直している。
シングルは05年リマスター盤、アルバムは08年リマスター盤を全て聞いての執筆。

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globe シングル回顧3~2001-2005~

毎回作風の異なるような実験期を経て突如としてトランス路線へ移行。以降はトランスを主戦場としてヒットチャートとは距離を置いたような楽曲を次々と発表。創作意欲は衰えてはいなかったようだが、YOSHIKIの謎加入、KEIKOと小室の結婚を経て、10周年を経てからは一気に停滞。活動休止状態となり、今後が不透明な時期が長く続くようになった。

シングルは一足先に05年で止まっている。

06年にアルバム『maniac』、ミニアルバム『new deal』を立て続けに発売後、音沙汰がなくなり休止状態に。08年にKEIKOがKCOとしてレコード会社もユニバーサルへ移籍してソロデビュー…したが楽曲制作は小室が行っているため、単にMARCがいないだけの制作スタイルだっ。そのあとでglobeとしての活動再開を発表。TM NETOWORKの代表作「Get Wild」のカバーシングルを出す予定だったが、小室の詐欺逮捕によりオジャンになってしまった。

09年には小室の音楽活動は再開されたが、globeの活動はなかなか行われず、2010年には15周年記念ベスト盤『15YEARS -BEST HIT SELECTION-』をリリースするもまたしても1年近く何の活動も無いままに2011年にKEIKOがくも膜下出血で倒れてしまった。小室とMARCはKEIKOが復帰するまで2人で活動するとして活動を再開し、リミックス作品を中心としたリリースを重ねた。

小室もMARCもTwitter等で時々KEIKOの近況と回復を思わせる報告をしており、2017年には歌声も公開。復帰は近いと思われたが、2018年の小室不倫騒動引退宣言時にはKEIKOは既に歌う事への興味を完全に失っているという現状を正直に告白している。実際には状況は悪化しているらしく、闘病生活初期にはスタジオへ連れ出して何とか1曲歌ったものの、ここ5年くらい「もういいよね」という事になり歌わなくなってしまったという。その話こそ真実だとすると動画の「2016~2017 KEIKO」という文字も偽り(それよりももっと前の闘病初期)だった事になるが、回復が近いと言い聞かせなければやっていられないほど小室自身も介護に疲弊しきっていたのかもしれない。

そんなわけで現時点でのglobeの最新(あえて最後とは書かない)シングルは05年。95年のデビューから05年という実質10周年までがglobeの現時点でのシングル史となる(アルバム含めても+1年程度)。トランス路線はとにかく長い曲が多くサウンド重視だが、中にはキャッチーな曲もあり、すっかり離れてしまったリスナーでも改めて聞けば一定の良さを感じられる…かもしれない。そんなトランス期を振り返る。

2018.4~5執筆

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globe

globe シングル回顧2~1997(後)-2000~

TKブームが去りつつあったのか、実験サウンドに挑みまくって徐々に自らヒットから離れていったのか、どっちが先だったかは微妙なところではあるが、98年を境にTKプロデュースの大ヒット期は終焉していった。まさかのデコ大受賞もあったが、99年以降は路線を大幅変更。R&Bになったかと思ったら良く分からない実験へ突き抜けていき、明確な着地点が見えない実験を繰り広げたまま00年代へと突入していった。

「Perfume of love」からの「MISS YOUR BODY」はJ-POP史の中でも稀に見る恐ろしいまでの落差、変貌だと思う。そんなTKブーム末期、実験期を振り返る。

2018.4~5執筆

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globe シングル回顧1~1995-1997(前)~

95年8月にデビュー。以前から曲提供はしていたがtrfの成功とTMNの終了と前後して本格的にプロデューサーとして知名度を上げていた小室哲哉が自らメンバーとなり、オーディションで選んだKEIKO、そのオーディションを行ったイベントでMCを担当したMARCと共に立ち上げた新グループとして大々的にデビュー(当初は小室はメンバーではなくKEIKOとMARCで「Orange」というユニットだったという話も)。この最初のオーディション時にKEIKOが勢いよく登場してそのまま勢いよくステージから転げ落ちる(そして復活する)シーンはネタ映像として後に何度も歌番組等で放送されていた。

むしろ失敗が許されないくらい、売れる事は当然として始められた特大プロジェクトだったと思われる。8月デビューから年内にシングル3枚を立て続けにリリース。ペースが早すぎて売れてるうちに次が出てしまうという状況で最初の3作はミリオンに迫るもミリオンに届かなかったが、4枚目のシングル「DEPARTURES」は一気に200万枚を突破。続く1stアルバム『globe』は当時のO社記録である初の400万枚突破を達成する空前のヒットとなった。当時は毎年のようにアルバム売上記録が更新されていたので歴代1位だったのは1年ちょい程度だったが、オリジナルアルバムとしては現在も宇多田ヒカル1st、2ndに続く歴代3番目の売上記録となっている。

そんないきなり全盛期から始まって絶頂を極めに極めた初期10シングルを振り返る。

2018.4~5執筆

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