6th だけど止められない/いつでも いまでも いつかは

だけど止められない
93年11月3日
初の両A面シングル。ジャケットを見ても確かに両A面だったのに、「いつでも いまでも いつかは」はアルバムに収録されず、その後の3rdアルバム封入のディスコグラフイーではC/W扱いされてしまい、格下げになっていた。at the BEING studioでは時系列には組み込まれなかったものの無事に収録されてライナーでも両A面として扱われた事で地位が回復した。 「6th だけど止められない/いつでも いまでも いつかは」の続きを読む…

MANISH

5th 眠らない街に流されて

眠らない街に流されて
93年7月28日
作詞:大黒摩季、作曲:織田哲郎
大黒摩季作詞提供3部作(?)のラスト。何気に4番ヒットだったりする。早くもマンネリ感すら漂うほどの徹底的な王道サウンドでここからは正直これぞMANISHな曲が平行線で連発されていく印象がある。2作連続の織田哲郎だがやはり今回も織田哲郎にしてはフツーな感じで、あまり重要視されていなかったのかなと思ってしまうようなところも…。
★★★☆☆
2ndアルバム『INDIVIDUAL
1stベスト『MANISH BEST Escalation
2ndベスト『complete of MANISH at the BEING studio
3rdベスト『BEST OF BEST 1000 MANISH

MANISH

4th 君が欲しい 全部欲しい

君が欲しい 全部欲しい
93年6月2日
作詞:大黒摩季、作曲:織田哲郎
アップテンポな曲が続いていたがややテンポを落としたミディアムナンバー。サビが意外と広がらないためやや地味目。作曲が織田哲郎にしてはなんだかもう1つ突き抜けたところがない曲だ。ZARDやWANDSに与えていた曲に比べると一段以上落ちるというか…。間奏で聞けるDIMENSION勝田一樹のSaxソロはいい味を出していて今作最大の特徴として機能している。
★★★☆☆
2ndアルバム『INDIVIDUAL』(Album Version)
1stベスト『MANISH BEST Escalation
2ndベスト『complete of MANISH at the BEING studio
3rdベスト『BEST OF BEST 1000 MANISH

MANISH

3rd 素顔のままKISSしよう

素顔のままKISSしよう
93年2月17日
作詞:大黒摩季、作曲:西本麻里
最高34位は圏外の1stに続くワースト2位だが売上は自身5番目。高橋のボーカルは大黒摩季に近いものがあるが、その大黒摩季が作詞で提供してここから3作続く。後にビーイングを辞めた大黒摩季への嫌がらせとして作詞クレジットが利用され、一時期コンピ盤ではMANISHの大黒作詞の楽曲のクレジットも例のアレに改変されていた時期もあった。

歌唱法で指導でも受けたのか、歌詞に引っ張られたのか、前の2作よりも声が大黒っぽくなっているような…。曲の方は相変わらずキャッチー&ロックだが、サビの爽快さ、突き抜け加減がけっこう耳に残る良曲。自作ながら他の曲よりもむしろビーイング王道っぽいキャッチーさ、MANISHに提供した織田哲郎の曲よりなんだか織田哲郎みたいなのはこういう曲が採用されやすいという事で徹底的に狙って作ったからなんだろうか。
★★★★☆
1stアルバム『MANISH
1stベスト『MANISH BEST Escalation
2ndベスト『complete of MANISH at the BEING studio
3rdベスト『BEST OF BEST 1000 MANISH

MANISH

2nd 声にならないほどに愛しい

声にならないほどに愛しい
93年1月8日
作詞:上杉昇、作曲:織田哲郎
WANDS上杉の作詞提供、作曲が織田という数ヵ月後のDEEN、ZYYGのデビュー曲と同じパターン。上杉もコーラス参加してかなり存在感を発揮している。一応この曲が上昇型ヒットになり、MANISH最大のロングヒット(100位以内15週ランクイン)。最高位こそ26位だが20万枚に迫る自身2番ヒットで代表曲の1つとなっている。

個人的には先に聞いていたWANDSの曲という印象が強い。また同じ織田曲の「愛を語るより口づけをかわそう」と似ている印象が強く、キャッチーなんだけど量産型タイプの曲という印象もある。それでもMANISHの織田哲郎作品では今作がダントツか。
★★★☆☆
1stアルバム『MANISH
1stベスト『MANISH BEST Escalation
2ndベスト『complete of MANISH at the BEING studio
3rdベスト『BEST OF BEST 1000 MANISH

MANISH

1st 恋人と呼べないDistance

恋人と呼べないDistance
92年12月20日
作詞:小田佳奈子・すみれ、作曲:すみれ
唯一全くヒットしなかった(100位圏外)デビュー曲。そして実は幻のデビュー作である。『MANISH』、ベストアルバム2作で聞けるのは130 Brand-New mixと題されたバージョンであり、オリジナルのシングルバージョンは8センチシングルでしか聞けない。シングルのアレンジには納得が行っていなかったらしく、即廃盤になってしまっていたらしく、ほぼ黒歴史化している。中古で探そうとすると元が売れてないので地味に至難(2016年になってようやく偶然発見した)でネットで買おうとするとけっこう凄い価格になっている。なおC/Wのタイトルも「ロマン作戦GO! and GO!」という80’sアイドルを引きずったようなタイトル

聞き比べると130 Brand-New mixはまさに改良版にして完成版といった印象。mixとはなっているがリアレンジに近いくらいにけっこう変わっている。先に130 Brand-New mixを聞いてからシングルバージョンを聞くとボーカルは固いし、アレンジも打ち込みとギターが噛み合っていないというかギターサウンドがハードにしたいのか引っ込めたいのか何とも中途半端。

ただ最初から明石昌夫によるサウンドプロデュースで一貫しているので、大まかにはまあこういう方向性というのはハッキリしていてシングルバージョンが全く彼方を向いているわけではない。ポップで煌びやかな派手なキーボードサウンドにハードなギターサウンドを融合させたサウンドという当時のビーイングのど真ん中であるのは変わっていない。
★★★☆☆
シングルバージョンアルバム未収録
1stアルバム『MANISH』(130 Brand-New mix)
2ndベスト『complete of MANISH at the BEING studio』(130 Brand-New mix)
3rdベスト『BEST OF BEST 1000 MANISH』(130 Brand-New mix)

MANISH

河村隆一 20周年シングル回顧~2001-2013~

大成功の97年のソロ活動を経てLUNA SEAは活動を再開したが00年に終幕。LUNA SEAの再開後はЯKとしてプロデュース活動を継続しており、この間に上原多香子へ提供したソロデビュー作「my first love」や、工藤静香へ提供した「きらら/in the sky」などのヒット曲も生まれた。

01年にソロ活動を再開。より老若男女誰でも楽しめる普遍的なポップスを歌いたいと目標を掲げ、さらにナルシストなイメージを壊してもっと気さくなイメージを前面に打ち出していこうとして積極的なメディア出演をこなした。前回同様のCMやドラマ出演もそうだったが、ラジオパーソナリティやバラエティの司会にまで挑戦し、マルチタレント路線を爆走。

歌番組でもかなりギャグめいた言動や行動を連発。『HEY! HEY! HEY!』では乳首相撲ができるなどと発言したり、『うたばん』でも何でもやりたいと言い放ちハゲヅラを被りたがったり、顔に落書きさせたりと自ら率先して行ったため、普段はアイドルを少し強引にいじるような芸風だった石橋貴明や中居正広が本当にいいの?と若干引き気味になるほどだった。他にも朝の情報番組のお天気コーナーの直後に突如背後に天気マークの被り物を被って登場したこともあったような記憶が…。

ニッポン放送「河村隆一のオールナイトニッポンコム」では特に徹底的にイメージを破壊し、終始ふざけた口調でエロオヤジトークを繰り広げた。リスナーから王子様のようなトークを期待していたのに…と苦情が来ても軽く流すなどしたため、女性リスナーの大半がここで離れてしまったと思われる。

個人的には01年の河村隆一はめっちゃ面白かった。毎回ゲラゲラ笑いながら楽しんでいたが、正直やりすぎなんじゃないか、大丈夫なのか?とも思っていて結果的には案の定な結果になった。面白がるより唖然とした人の方が多かったようで、音楽作品が聞かれなくなり、セールス的には大失速。大量メディア出演も02年になると01年中に決まっていたと思われるドラマ・映画出演を最後にピタリと停止。ラジオもバラエティも打ち切りになり、ついにはビクターとの契約も終了し、ЯK Worksとして展開していたプロデュースワークもクローズとなってしまった。

マルチタレント河村隆一は文字通り02年中盤頃を最後にほぼメディアから消えた。ほとんどのリスナーがこの頃を最後に突如として河村隆一の記憶が途絶えているのは徐々にではなく、スッとメディアから消えたためだと思う。

03年はFC限定で新曲を発表するに留まり、04年にはコロムビアに移籍して活動を再開。LUNA SEAと被るので避けていたというロック路線を本格解禁して意気込んだがさほどの手ごたえは得られず、世間に向けて広く売っていこうという姿勢を捨て去り、これ以降は聞いてくれるファンにだけ焦点を絞ったような地道な活動へと移行。結果的には00年代半ば以降はほぼ毎年新作をリリースするようになり、活動は安定した。

2017.11執筆
(昔公開していた04年までをC/W加えて全面改訂、以降新規書き下ろし)

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河村隆一 20周年 1997全曲回顧

LUNA SEAを1年間休止した1997年。メンバー各自はソロ活動へ突入し、ボーカルのRYUICHIは本名の河村隆一としてソロデビューした。当初はLUNA SEAファンが買っている程度の状態だったが、LUNA SEAとは全く違うポップな楽曲はLUNA SEAに興味が無いリスナーや、LUNA SEAを知らないリスナーにまでじわじわ拡大。全ての作品がロングヒットで大ヒットするという大フィーバー状態となった。

当時、意識的にLUNA SEAのお客さんとは全く違う層を取り込もうとしていたのは確かだったようだ。ドラマ出演までこなし、当時のイメージはとにかくカッコ良かった。それでいて親しみやすさと礼儀正しい振る舞いで実にさわやかな好青年然としたものだった。にじみ出るナルシストっぽさもあったが、それを壊そうと試みてやりすぎたのが01年だったことを考えるとむしろナルシストっぽいイメージだと自身が気にしすぎていたような印象も今はある。

個人的にもJ-POPを聞き始めた当初、聞いていたのはSMAP、スピッツ、猿岩石であり、LUNA SEAのような激しいロックは当時受け付けていなかったのでLUNA SEAは知らなかった。なんだか凄くいい曲がロングヒットしているという印象が最初だったがこれは明確に覚えていない(これは1stシングルだった)。続く2nd「Glass」のヒットで河村隆一という名前と曲を認識した。

年末に発売された『Love』もまだ当時オリジナルアルバムで音楽を聞くというのが数えるほどしかしていなかったのもあるが、それを差し引いてもJ-POPを聞き始めた初期からの名盤という認識が揺らがずにいる。この『Love』は当時のO社(100位集計)で278.8万枚を記録して男性ソロ最高売上を今も保持している。

とにかく1997年の河村隆一は全てが完璧だった。何もかもがうまく行き、とにかく売れたし、とにかく名曲揃いだった。あれから20周年。『Love』の全曲披露ライブは行われたようだが、やはり世間に広く20周年を打って出る様子は無いようだ。『Love』の20周年記念エディションとか少しは期待していたんだが、どうやら今年はソロのリリースも無く、LUNA SEAの再結成後2作目となるアルバムで締めくくられる模様。

そんなわけで『Love』発売20周年を記念して勝手に、今や投げ売りされている『Love』を、そして97年の名曲たちを1997年の全音源を振り返ってみる事にした。20年前大ヒットした曲たちは確かに今も色褪せていない。

07年頃に04年のシングルまでを対象に公開したシングルレビューを全面改訂、改装しC/W、アルバム曲を追加して2017年11月ほぼ書き下ろし状態で執筆。

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桑田佳祐 ソロ30周年シングル回顧2~2007-2016~

サザンの30周年を翌年に控えて2007年は4期となるソロ活動を行った。この4期は3期以上にサザンとの差別化が図られておらず、またアルバムリリースというゴールが無く、シングルとライブのみで幕を閉じた。そのライブDVDに全曲収録したCDを付属させる形でまとめていたが、映像作品の付属という形では一般にはあまり知られる事が無かった。

08年にサザン30周年を迎えたが、ここで無期限休止を発表。これまでも何度も休止はあったが、復活がいつになるのか全く分からない、少なくともこれまで以上に長引くことが予想される状況の中、09年に再びソロ活動が開始。

サザンが明確に休止している中で行われていた5期ソロ活動はこれまでのようにアルバムを出して一区切りというものではなくなった。また自身の病気による一時活動休止、オリジナルアルバム、ベストアルバム、さらに続くシングル…と盛りだくさんの内容となった。サザン最長の休止期間とイコールになったため最も長期のソロ活動となった。

サザンは35周年を迎えた2013年に復活。その後2年間サザンでの活動が続いたが、2016年からは再びしれっとソロになり6期ソロ活動が始まった。この6期ソロでは5期の終盤で見せていた歌謡曲要素、そして打ち込みの多用が目立つのが特徴だ。恐らく2018年はサザン40周年で再びサザンとして活動すると思われる。 「桑田佳祐 ソロ30周年シングル回顧2~2007-2016~」の続きを読む…

桑田佳祐 ソロ30周年シングル回顧1~1987-2002~

1986年に1年限定でKUWATA BANDとしての活動を終えた1987年にソロデビューを果たした。87~88年を第1期、93~94年を第2期、01~02年を3期と区分するのが一般的となっている。

1期ソロ活動は締めとなるアルバムリリースがサザンの10周年復活とクロスする形になってしまい、サザンが「みんなのうた」で復活した直後にアルバム『Keisuke Kuwata』を置き土産にするような形で半ば強制終了している。

2期ソロ活動では93年はサザンのシングルリリースと並行して行われ、94年になるとソロへ専念する形となり初のソロツアーも行われた。サザンが7月に「エロティカ・セブン」「素敵なバーディー」同時発売→10月に「真夜中のダンディー」でソロ活動開始→11月にサザンで「クリスマス・ラブ」。1期とは逆に序盤がサザンとクロスする形になったが、シングルリリースが並行する形になったのはこの時が唯一

3期ソロ活動ではサザンから大森脱退が重なった事もあって、元々ソロでやる予定ではなかったようでサザンとの差別化が図られなくなった。また01年はポップ路線、02年はロック路線という二軸で活動し、ロックなオリジナルアルバムとポップなベストアルバムを対にした。セールス的に最も成功を収めたのはこの3期ソロ活動(の厳密にはポップ路線の方)である。

3期以降のソロはサザンとの違いがあまりなくなってくるが、1期2期のソロ活動はサザンとはちょっと異なるソロアーティストらしい側面を見る事が出来、後追いで聞くと新鮮さを感じる事ができるのは魅力だ。

桑田佳祐ソロは対談で過去に1度やっている。当時の対談は集大成的なアルバム『MUSICMAN』発売で一区切りついたと思われたタイミングとKUWATA BANDから25周年なのでキリがいいという理由で行われた。

しかし結果的には翌年ベストアルバム『I LOVE YOU-now&forever-』が出てもっと明確な区切りになったり、その後サザンが復活したのでソロ活動自体に1度区切りがついたりしたので、結果的にこの対談「本当は怖い愛とロマンス」で終わるって何?という中途半端なものになってしまった。

対談でやり直すのもまた難しいところがあるので、結局単独でC/Wまで含めた全シングル収録曲を取り上げる形で単独で行う事にした。30周年が終わる前に…。KUWATA BANDをやったので、そのまま桑田佳祐ソロになだれこむと思ったらBluem of Youthの連載になってしまったのは、単純に間に合わなかったからである。

KUWATA BANDの連載終了からそのまま進めていけば奇跡的に10月6日の更新がピタリ30周年で「悲しい気持ち(JUST A MAN IN LOVE)」になっていた…という事に気付いたのは後になってからだった。

2017年9~10月執筆

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