Bluem of Youth シングル回顧~1995-2002~

Something ELseに続く『電波少年』の派生番組『雷波少年』の企画による「ラストツアー~約束の場所へ~」のヒットで知られるBluem of Youth。ボーカルギターの別所悠二とギター、キーボード、ピアノ、プログラミングの松ヶ下宏之による2人組のロックユニットして95年にエピックよりデビューした。

実はブレイク前に「線路沿いの恋」で『HEY! HEY! HEY!』に出演したりもしたらしいんだけどエピックでは全作品O社100位圏外により、シングル「声」で契約を切られてしまう。その直後『雷波少年』の企画によりショッカーに拉致された2人が突きつけられたのはシベリア鉄道横断、旅の中で運命の1曲を完成させて日本武道館にその1曲を聞きにくる観客1万人を集める、出来なければ音楽業界引退…という過酷なものだった。

当時O社のチャート結果を使ったTVの企画モノはポケットビスケッツ、ブラックビスケッツなどいくつかあった。Something ELseもO社20位以内というものだったが、Bluem of Youthでは違う目標を設定したかったのか、同年ブラックビスケッツがO社での売上目標を全く果たせずに失敗して空中分解する事態となったためか、O社チャート結果を利用するのは避けてライブ動員数を目標としたのはちょっと新しかった。

企画を成功させたBluem of Youthだったが、その後の活動は順調とは言い難かった。企画自体が2番煎じのように見られた事で、Something ELse以上にすぐに売れなくなってしまったのもあるが、企画の間に作った曲だけでオリジナルアルバムを出した後は、活動を休止する02年までオリジナルアルバムを出すに至らなかった。途中からレンタルに入荷されなくなるほど扱いが悪くなったり、ライブでやたら発売未定の新曲を大量に披露したり、1万円を越える高額な未発表曲集2枚組+ライブDVDを出してみたり、休止後のラストライブの模様も2CD+DVDの1万越えアイテムだったり、正直中高生だった当時は作品を入手するのも妙にハードルが高かった

終始迷いの中で活動していたようでもあり、そんな迷いが反映されたようなそれっきりな作風の曲もあるが、それでも楽曲自体は非常にいいものが多かったと思う。

02年末に無期限の活動休止を宣言した後、2人はソロ活動を行っているが、10周年の05年にライブ3本で限定復活、08年には完全復活を遂げた。アコースティックリテイクアルバムと今度こそ迷いのないオリジナルアルバムをリリースするも全く売れなかった(O社300位圏外)。その後ここ何年かは目立った活動はほとんどなく沈静化している。

松ヶ下はソロ活動以外にサポートミュージシャン、楽曲提供やプロデュースも行っている。福山雅治の作品でギターを弾いたことがあったり、中川翔子のライブサポートやってたり、柏木由紀へ提供していたりもする。

またmiwaの1st~3rdアルバムまでのシングル、アルバム曲で編曲を担当していたQuatre-M=松ヶ下である。miwaが作曲面でもNAOKI-Tとベッタリになっていったせいかmiwaへの最終参加となった3rdアルバム『DELIGHT』でNAOKI-Tが1人オケ制作で埋め尽くす中で、Quatre-Mのサウンドプロデュース作品2曲はしっかり生バンドで制作していて、松ヶ下の丁寧なサウンドプロデュースっぷりが伺えて好印象だった。

2017.9~10新規執筆

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