銀色の夢~All over the world~/DEEN

長野オリンピック開催20周年記念、想い出のテーマ曲シリーズ第6弾(最終)。

97年中学1年生の夏休みだったか(冬休みだったかも)に自由課題みたいな宿題があった。この時に間もなく開催される長野オリンピックに向けて準備をする人々の特集記事みたいなのが連載されていたのでこれらの記事を集めたものをスクラップして提出した。

この記事の中でボランティアの公式サポートソングとしてDEENが「銀色の夢~All over the world~」を制作してお披露目したという記事があった。DEENの事は『ドラゴンボールGT』の「ひとりじゃない」で認知し、当時は「君がいない夏」、年末には「夢であるように」がロングヒットしていた(「このまま~」や「瞳そらさないで」もDEENだとはまだ正確に把握してない)という程度の認識だったし、記事なので曲自体はその時は聞くことは無かった。

そしてオリンピック終了後の3月、DEEN初のベスト盤『SINGLES+1』がリリースされ、しばらくしてからこのアルバムを借りてきたら「このまま~」や「瞳そらさないで」もDEENだった事に驚き、そして最後に「+1」としてあの時記事で見た「銀色の夢~All over the world~」が収録されていて驚いた。 「銀色の夢~All over the world~/DEEN」の続きを読む…

Unite! The Night!/TRF

長野オリンピック開催20周年記念、想い出のテーマ曲シリーズ第5弾。

93年にデビューし、95年にかけてミリオンヒットを連発したtrf。TM NETWORKの小室哲哉がプロデューサーTetsuya Komuroとして大成功を収めるきっかけであり、エイベックスの邦楽第1号アーティストでもあった。グループ名はTK Rave Factoryの略とされていたが、小室がメンバーに入っていたわけではない。このため小室哲哉の顔と名前が広く認知されたとなるとTM NETWORKファン以外には一緒に出てきた篠原涼子 with t.komuroや華原朋美、globeとしての印象の方が強いかもしれない。

96年になってglobeや華原朋美が猛威を振るっている中で、一足先に売れていたtrfはTRFに改名するも一足先に売上を急速に落とし、さらに97年はリリースが停止していたため一気に忘れ去れていた。97年、ソロ活動は行われていたが1番有名なのはSAMが安室奈美恵と結婚したことだった(ただし後に離婚したため、現在メディアで安室が産休に入った事は触れられても相手がSAMだったという部分は綺麗に切り落とさ)。この時になってそういやTRF今年(97)見てないな…と思ったのを記憶している。

そんなSAMと安室の結婚、安室の妊娠により12月31日の紅白を持って安室が産休に突入した翌日98年1月1日にTRFはベスト盤『WORKS』をリリースして復活。かろうじての最後のミリオンを達成した後、再始動作品としてリリースされたのが「Unite! The Night!」だった。

しかしこの曲から小室哲哉はプロデュースを離脱。TK Rave FactoryだったのにTKが外れてしまった…と地味に衝撃的な再始動だった。 「Unite! The Night!/TRF」の続きを読む…

足音/槇原敬之

長野オリンピック開催20周年記念、想い出のテーマ曲シリーズ第4弾。

自国開催のオリンピックとなると大会のテーマ曲、イメージ曲、メッセージソングなどTV局と企業CMタイアップ以外にも色々あった。この曲もその中の1つである。当時の槇原敬之は97年にソニーへ移籍。いきなり丸坊主姿の第1弾シングル「素直」を夏に出したと思ったら秋発売のアルバム『Such a Lovely Place』では金髪モヒカンになっていた…という時期であった(なんだその説明)。

「足音/槇原敬之」の続きを読む…

湾岸スキーヤー/少年隊

長野オリンピック開催20周年記念、想い出のテーマ曲シリーズ第3弾。

現存するジャニーズのグループで最年長な少年隊。近年全く活動している気がしないが、気がしないのではなく実際に全く活動しなくなって久しい。新作リリースも90年代になると滞るようになったが、アルバムは99年、シングルは06年が今のところ最後。ライフワークになるかと思われた1986年から続いていた主演のミュージカル「PLAYZONE」も08年で終幕。これ以降は周年でも全く動きが無くなっており、解散もしなければ活動もしない、しかし確かにジャニーズに3人とも所属したまま…という状況が続いている。ベスト盤くらい出してもよさそうなものだが、なんと活動途中の88年に出した1枚ポッキリ。煽れば懐かし需要もかなり沸きそうなものなのに…。

そんな少年隊、全盛期は当然世代じゃないので知らない。よくTVで「君だけに」とか歌っている場面は目にするが、リアルタイムで少年隊をヒットチャートで長く見かけたのはこの「湾岸スキーヤー」1作だけだ。トップ10入りこそ逃した(15位)ものの、そこそこ粘り、最後の10万越えヒットを記録している。しかしこの曲、なかなか複雑な経歴を持つ曲でもあった…。

「湾岸スキーヤー/少年隊」の続きを読む…

明日が聴こえる/J-FRIENDS

長野オリンピック開催20周年記念、想い出のテーマ曲シリーズ第2弾。

J-FRIENDSはTOKIO、V6、KinKi Kidsで結成された。95年1月に起きた阪神淡路大震災のチャリティが主な目的で震災当時の小学1年生が義務教育を終えるまでということで、1998年から2002年まで毎年年末にシングルを出していた(98年は年始、99年は年始と年末に出して以降年末で固定)。

マイケル・ジャクソンに提供されたり、BON JOVIに提供されたり(作詞はB’z稲葉)、Boyz Ⅱ Menのカバーやったり、Earth,Wind & Fireに提供されたりと洋楽テイストが強かったのが特徴だったが、あまりにJ-POPからかけ離れすぎて後期ほどさほどヒットしなかった。しかも堂本剛ばかりやたらソロパートが多くなるなど歌割が露骨に偏る、その割にKinKi Kidsファンがみんな買わないのかKinKi Kidsより売上が低い…などなんかもう少しネットが発達していたらファン同士の抗争が激しく展開していたのではないかという気がしなくもない。

前提として阪神淡路大震災のチャリティだったはずのJ-FRIENDSだが…一応長野オリンピックタイアップにも1stシングルで関与している。

そしてJ-FRIENS実に今年20周年を迎えたばかりである…が今なお現役で活動し続けるこの3組、再びJ-FRIENDS…という事は無いのだろうか。2018年はNEWSが15周年だが、0の周年はJ-FRIENDS以外は無く、2019年はまた嵐20周年&TOKIO25周年&関ジャニ∞15周年とジャニーズ周年渋滞が起きるのでやるならチャンスなんじゃないだろうか。

「明日が聴こえる/J-FRIENDS」の続きを読む…

SHOOTING STAR/F-BLOOD

長野オリンピック開催20周年記念、想い出のテーマ曲シリーズ第1弾。

平昌オリンピックも始まったが、今年は1998年の長野オリンピックから20周年である。当時中学1年生の3学期だった。スケートやモーグル、特にスキーのジャンプでは感動した。他のスポーツ観戦は全くしないけどスキージャンプは今でも追いかけているくらいには好きだ。

当時全てのテーマ曲を聞いていたわけではないし、特に大会公式ソングが公式ソングとして全く記憶にないのでこれをすっ飛ばしてしまう事にはなるけど、あの時長野オリンピック周辺でかかっていた想い出の曲を取り上げていくという過去曲回顧初のテーマに乗せての単曲シリーズである。

F-BLOODとは元チェッカーズの藤井フミヤ・尚之の兄弟ユニット。グループ名はそのままFujiiのブラッド、すなわち藤井さんちの兄弟(血縁)を意味する。チェッカーズ解散後、お互いソロ活動をしていたが97年にF-BLOODとしても並行して活動を開始。主にフミヤが作詞、尚之が作曲するスタイルで、正式にF-BLOODとして提供したわけではないが、猿岩石の「白い雲のように」V6の「GENERATION GAP」のようにこの組み合わせで提供してヒットを飛ばし、後にF-BLOODとしてセルフカバーしたヒット曲も持っている。

今回取り上げる「SHOOTING STAR」は2作目のシングルに当たる。 「SHOOTING STAR/F-BLOOD」の続きを読む…