WANDS シングル回顧+~3期 1997-2000~

残された木村はWANDSを続ける事にして、新たに和久二郎(Vocal)、杉元一生(Guitar)が加入。3期WANDSとして再始動を果たした。この新生WANDSを3期と銘打った事で公式にWANDSは1期、2期、3期と区分された。
しかし、ジャケットをイラストだけにしてメンバー表記をしなかったり、PVでもメンバーの姿を分かりにくいようにしたりと、一応3期WANDSとしてボーカルとギターが変わった事をアナウンスはしていたものの、ボーカルチェンジを隠すようなやり方に当時のファンが反発。
ちょうどインターネットが普及し始め、ファンサイト文化が盛り上がり始めていた頃だったので3期へのバッシング合戦となった。
3期のヒット2曲がいずれも少年少女向けアニメタイアップだった事もあり、交代劇を知らずに主題歌として親しんだ若い世代も多かった。このため後追いのリスナーほどフラットに3期を受け入れることができており、現在は3期を評価する声も一定以上見受けられる。

また和久二郎は解体後にビーイングを離れてソロとなり音源もネット上で公開していたがCD発売に至ることが無く契約切れになり長らく引退状態にあったが、2012年に本名の松元治郎として復活。同じく本名で活動している安保一生(杉元)の全面バックアップにより自主制作でのCD発売を行った。4年後の2016年には2作目もリリース。本人、安保の曲だけでなく、木村真也、綿貫正顕の提供もあり、ライブでは3期WANDSメンバーが揃ったという。
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WANDS シングル回顧+~2期 1995-1996~

95年以降のWANDSは急速にロック色を強めた。生音バンドサウンドへ移行し、オルナタ方面へ向かった結果、キャッチ―さは薄れ、ヒットからも遠ざかっていく事となった。
あまりに急速にやりたい方向に舵を切りすぎたゆえか、「WORST CRIME~About a rock star who was a swindler~」の次のシングルとして用意された曲は(用意されたと言っているので提供だったっぽい)ポップ路線で、もう無理だと感じた上杉昇は脱退を決意。上杉のいないWANDSに興味がないとした柴崎浩もそれに追従して共に脱退して、他社でal.ni.coを結成。結局上杉と柴崎の間にも音楽性の隔たりがあったのか、al.ni.coは立て続けにシングル3枚、アルバム1枚をリリースして1stツアーを行うも1年以上の沈黙の末に解散してしまった。 「WANDS シングル回顧+~2期 1995-1996~」の続きを読む…

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WANDS シングル回顧+~2期 1993-1994~

大島康祐の脱退により、新たにキーボードとして木村真也が加入。ジャケット写真に登場したのは中山美穂&WANDSでの「世界中の誰よりきっと」からだったが、当時はメガネをかけていなかった。「時の扉」のジャケットでもかけていないが、以降はトレードマークであるデカメガネをかけるようになった。
93年はブレイクもあって怒涛のリリースラッシュとなったが、大島康祐のストック曲、新規の提供曲も引き続き採用されていた。メンバーの自作も行われていたが、ギターの柴崎浩による作曲はC/W、アルバムに留まり、提供曲によるヒットが中心だった。 「WANDS シングル回顧+~2期 1993-1994~」の続きを読む…

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WANDS シングル回顧~1期 1991-1992~

91年にデビューした当時のメンバーは上杉昇(Vocal)、柴崎浩(Guitar)、大島康祐(Keyboards)。
大島康祐が作編曲を主に担当して音楽性の中心となっていた。しかしシングルA面で大島が担当したのは3枚のうち1枚だけとなる。音楽性の違い及び大島が自身のユニットSo-Fiを結成するためとしてブレイクする前に脱退。中山美穂&WANDSの「世界中の誰よりきっと」が大ヒットして引っ張られるように「もっと強く抱きしめたなら」が大ヒットした頃には既にメンバーは入れ替わっていた。

この時代のWANDSを1期と形容するようになったのは上杉柴崎が脱退後、和久杉元が加入した新たなWANDSを3期と公式に形容してからだった。
また初期にメンバーが安定してなくてすぐに入れ替わるというのは当時のビーイング系では割とよくある事だった。

1期ではシングル3枚、アルバム(ミニ)1枚をリリース。 「WANDS シングル回顧~1期 1991-1992~」の続きを読む…

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