ゴジラ

1954年に公開された1作目。モノクロ映画。平成VSシリーズ以降では基本的に昭和シリーズ2作目以降は無かったことになっているが記念すべき1作目ということもあり、この1作目だけは設定を残しているものが多い。ミレニアムシリーズではストーリーに合わせて1954年に今作に近い出来事が起きたといった改変がされている事が多い。60周年を迎えた2014年にはリマスターされ、期間限定で劇場公開もされた。

大戸島付近で漁船が次々と沈没する事件が発生。生き残った漁師の政治は怪物に襲われたと証言。さらに大戸島は暴風雨の夜に明らかに暴風の影響だけではない、巨大生物による被害を受ける。異常を察した政治の弟、新吉はとっさに家を飛び出すが、逃げ遅れた政治と母は家ごと踏みつぶされて死んでしまう。調査に乗り出した山根博士(志村喬)やその娘の恵美子(河内桃子)、その恋人の尾形(宝田明)ら調査団は、巨大な足跡を発見。その直後に、巨大な生物を目撃する。「ゴジラ」と名づけられた巨大生物は、山根博士によれば「水爆実験の影響で海底に潜んでいた生き残りの太古の生物が、住む場所を脅かされて出てきたのではないか」という。

その頃、恵美子は知り合いの芹沢博士(平田明彦)の元を訪れて、恐るべき実験の成果を見せられていたが、このことは絶対に他言してはならないと口止めされる。やがてゴジラは東京へ上陸。防衛隊の攻撃は全く歯が立たず、東京は火の海と化してしまう。ゴジラが去った後、被災者たちの悲惨な現状を目の当たりにした恵美子は、尾形に芹沢の実験の内容を話してしまう。芹沢が実験・発明したそれは生物を一瞬にして死滅させる酸素破壊剤「オキシジェン・デストロイヤー」だった。芹沢はこんな恐ろしいものが兵器として利用されたら核以上の驚異になると公表と使用を頑なに拒否するが、尾形・恵美子の度重なる説得やゴジラ被害の悲惨な現状を思い、条件付で使用を許可した。使うのは1度きりデータはすべて破棄して、使用も自らが行うということだった。尾形と共に海底に潜り、オキシジェン・デストロイヤーを作動させる芹沢だったが、全てを消滅させるため、尾形を先に上がらせて自分は命綱を切り、ゴジラと運命を共にする選択をする。ゴジラは、オキシジェン・デストロイヤーと共に葬られるが、山根博士はゴジラがこれ1匹だけとは思えないという不吉な言葉を口にする。

 

この映画を最初に見たのは『VSデストロイア』を見た小学5年生当時。既に平成VSシリーズやいくつかの昭和シリーズもビデオで後追いで見ていたものの、白黒映画である今作はさすがに古すぎて敬遠していたのだが、『VSデストロイア』が今作をベースにしていたため、これは見ておかなくては!と手に取った。『VSデストロイア』から後追いで見ることで、『VSデストロイア』がより深みを増したと同時に、他の昭和シリーズとは一線を画すような迫力を感じたのを記憶している。

『VSデストロイア』には41年後の恵美子(河内桃子)が再登場する。また序盤で母と兄を失って以降はさりげなく山根家に居候していた新吉少年はそのまま山根家の養子になり成長して結婚していたという設定で新吉本人は既に他界した事になっていて出てこないが、新吉の娘と息子が登場する。

戦後10年も経っていない時期ということで、既に半世紀以上も前の映画。制作時に既に年配だった制作側の主要な人間は20世紀の間にほぼ全員他界していた。出演者でも主要3人は当時20歳そこそこの若者だったが平田明彦は80年代に、河内桃子は90年代に病没、宝田昭が唯一長年存命いう状態が00年代以降ずっと続いていたが、2022年にその宝田明も亡くなった。たぶんこれに次いで長年活動していて消息がハッキリしていて存命だったのは代議士役で1シーンだけ出ている菅井きん(2018年没)だったのではないかと思う。また新吉役の少年が主要勢では恐らく1番若かったと思われ、寿命的には最も後年まで生きていてもおかしくないがこの数年後の作品を最後に出演作が途絶えて消息不明となっていて『VSデストロイア』時に見つけられずに加工写真で出すことになったとされ、今や生年月日はおろか本名だったのかも不詳の謎の人物になっている。

うちの父が生まれた年と同じ公開年だし、当時リアルタイムでこの映画を見た人は、現在のゴジラファンにはほとんどいないんじゃないかと思う。そして当時でこのクオリティは凄いと思う。また娯楽映画というよりかは、けっこう悲惨な面が強いのも未だに支持者が多い理由の1つだと思う。平成VSシリーズもゴジラは恐怖の対象ではあったし、街は破壊しているが、今作では破壊された後のまるで戦後のような焼け野原の状態や、負傷者で溢れかえり、うなだれ泣き崩れるような被災者の様子が印象的に描かれる。この辺は戦争からまだ10年も経っていない事を意識させられる。平成VSシリーズをリアルタイムで見ていて思い入れが深い俺は、小学生時代にビデオで昭和シリーズを見ても正直なところ時代しか感じず、そこまで面白いとは思えなかったのだが、今作は大人になってから見るとより深みがあって凄い映画だと思った。

 

そして2014年ゴジラ60周年を記念してデジタルリマスター版が何と期間限定ながら劇場公開されると聞いた。これを劇場で見ることができるとはこんな日が来るとは思わなかった!ということで、ゴジラと同じ54年生まれである父を誘って映画館で見てきた。客層はやはり年配が多かったけど、リアルタイムでこの映画を見た人となると70歳を越えていく段階に達しており、そういった方はあまりいなかった。昭和シリーズ世代の50代、60代。そして俺のような後追いの平成VSシリーズ世代が中心といった感じだろうか。ミレニアム世代に当たる、俺より年下っぽい世代や、現代の10代はあまりいなかったように思う。おじいちゃんに連れてこられた幼稚園〜小学校低学年の少年もいたが、果たしてあの年齢で白黒&恐怖なこの映画を楽しめたのだろうか…。

日本映画専門チャンネルで見た時はTVの設定のせいか画面が全体に暗かったので何とも分かりにくかったんだけど、さすがに劇場でしかもリマスター版で見ると画面が見難いようなところは無く、ストーリーをしっかり追う事が出来た。主要人物は尾形、恵美子、芹沢、山根の4人なので、『VSデストロイア』に繋がる新吉ってどうなってったっけ?という記憶が既に曖昧になりかけていた。今回は最初から新吉を意識して見ていたが、序盤で兄と母を失うんだけど、ここも兄ではなく父だと思っていた(兄の政治が屈強な漁師、新吉はまだ学生で少年と青年の狭間な上にモノクロ映画で年齢不詳気味な部分があるため親子に見えなくもない)。その後は国会で証言台に立ったりしているのだが、それからは特に説明も無く山根家に居住。ほとんどいるだけでストーリーには何の影響も及ぼしていないが、わりとずっと出ていて、最後のシーンでもいた。『VSデストロイア』で恵美子を出す際に当初は恵美子の子供達にしようと考えるも取りやめにし、山根姓のままにして尾形とどうなったのかを曖昧にぼかすなど、触れてはいけない聖域のような扱いにした一方で、今作の関係者の子孫を登場させるのに新吉を使った理由も何となくわかった。ほとんど背景みたいな人物なので多少設定を新規で作ってもたぶん誰からも文句言われなくて影響が無いからだ。

2014年の現在で思う事は今だったら絶対作れない内容だろうなということ。当時も暗すぎるとかようやく戦争の傷跡から復興へ向かっているのにこんな戦争時代を髣髴とさせる焼け野原描写なんて不謹慎だという批判はあったのかもしれないが、インターネットがある現代だったら、戦後9年の段階でこの内容が無事に公開できるとは思えない。

この映画で描かれている街の人々は最早古典の領域に入り始め、東京より遅れている大戸島の人々などは教科書で見る実感のないほどの大昔というレベルにまで達している。そんな60年前より確実に裕福になっている一方で、確実に窮屈になっているような気もした。

 

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