GTO

紹介

98年に平均視聴率28.5%、最終回では35.7%の大ヒットを記録したドラマの映画化。事前に放映されたドラマスペシャルでも27%近くとるなど数字上は問題なかった。それこそ『踊る大捜査線』を越えるかくらいの期待と勢いと宣伝をもって公開されたが結果は大コケ。映画ランキング初登場週で9位、以降ベスト10に入れないという不振に終わった。その影響なのか、公式ページで企画されていたイベントも中途半端に凍結終了となった(公式ページはすでに消滅)。さらに原作を発刊している講談社発行の週刊誌が反町バッシング記事を書いたため、講談社との関係が悪化したこともあってGTOプロジェクトも見事に立ち消えとなってしまい、中途半端な形で完全終了となってしまった。なお原作は小説版『GTO LIVE IN 北海道』の上下巻。内容はまったく違う。

ストーリー

北海道に3週間の臨時教師としてやってきた鬼塚(反町隆史)。市川楽(笠原秀幸)がカツアゲされているのを見つけた鬼塚はカツアゲに参加。しかし突然現れた鬼塚に挑んでいったカツアゲ2人組は返り討ちにあう。バイクがガス欠になっていた鬼塚はカツアゲ2人組に学校まで運ばせる。学校に着くと理事長の娘、桂木綾乃(田中麗奈)が自殺騒動を起こしていた。理事長の娘である綾乃は1年前のとある出来事がきっかけでクラスから孤立していた。

学園側のストーリーは基本的に鬼塚が居候させてもらう市川楽とその楽が思いを寄せる綾乃を軸に進んでいく。というか他の生徒はほとんど出てこない。

一方で同じ時期に連続強盗犯を追って新聞記者の喜多嶋薫(藤原紀香)が町にやってくる。犯人追跡中に拾った「愛の2回目」コンドームが鬼塚のものだと判明し鬼塚を取材しようとする。

銀行強盗側のストーリーは見てるほうからすれば飛んだ勘違いで大きく話が進んでいく。最終的には狙撃班も出陣するほどの大騒動へと発展していく。

 

つっこみ

  • ドラマから引き続き出演しているのは鬼塚1人だけ。ただし流れ的にはドラマスペシャルの後ということになっている。ドラマ時代の名残は「愛の2回目」コンドーム「これを使う相手はもう決まっている」発言「アイドルプロデュースしたことがある」発言くらい。

  • この映画の前のドラマSPで冬月あずさ(松嶋奈々子)の父親が北海道に住んでいてラストで2人に「北海道で待ってる」発言、ラストシーンで夏休みになったら北海道へ行こうと冬月と話している中、電話がかかってきて「え!?北海道!?」といって終わった(理事長から北海道赴任の話を聞いた?)などの映画への「つなぎ」があったにもかかわらずまったく無視。

  • ストーリーは99年冬、喜多嶋の回想という形で始まり、締めでまた99年冬に戻る。喜多嶋視点で始まって終わる。

  • 髪の短い時の田中麗奈はこれが最後。(『はつ恋』は公開は後だが撮影はこれより前)この後、急激に大人っぽくなってしまう。いわゆる「かわいい」田中麗奈はこれで見納め。当然高校生役もこれで最後。というか制服姿ってこの映画だけじゃない?

  • 3週間の赴任だが、描かれたのは最初の1週間もない。その後どうなったのか、せめてみんなとの別れのシーンくらい描いてくれ。

  • 原作小説とは「北海道に3週間の臨時赴任」「市川楽がいじめられっ子、生徒サイドの主役」「その他生徒の名前」くらいしか共通点がない。

  • 最初に市川をカツアゲする生徒の1人が実はブレイク前の妻夫木聡。他に石川伸一郎、久我未来、木内晶子、椎名法子なんかが出ているがほとんど背景。

 

話はストレートで万人向けだが『GTO』という作品自体が映画向きではなかった。それが失敗の要因だろう。テレビではうけても映画でもうけるとは限らない。

当時は劇場に2回見に行った。おもいっきりではなくさらりさわやかな感動にひたったのを覚えている。同時に何か「物足りない感」があってそれを補うために2回見たのかもしれない。けっこう好きな作品ではあるのだが、『GTO』シリーズがこれで終わってしまったことを考えると非常に言いたいことが多くなってくる。

つっこみで書いたが連ドラから話をつないだのにそれを完全無視。また、鬼塚を強盗犯と勘違いして追いかける喜多嶋。見てるほうはそんなはずないのは分かりきってるので、ただ勘違いでチョロチョロしててウザイ存在でしかない。生徒1人1人を丁寧に描けないのは仕方ないが、喜多嶋を削ればもう少し生徒内の話を描けたのではないだろうか?

最大の疑問はこの映画の鬼塚の印象が連ドラ時代と微妙に違うことである。連ドラ時代は生徒と一緒に焦ったり慌てたり泣きそうになったりしていた鬼塚だが今回は少し上で構えてる感じがある。さらに他の教師や大人とはまともに会話しない。この「会話しない」傾向は特に顕著で楽や綾乃ともまともに会話せずに、ただ生徒や周囲が振り回されている印象のほうが強い。喜多嶋とのやり取りでも連続強盗犯の疑いがかけられててもすぐに否定せずにあいまいに受け流していたりと、ふざけた態度ばかりでまともに人とコミュニケーションを取っていない気がするのだ。決めるところは連ドラ時代と同じようにびしっと決めているのだが、どうも普段の様子がヘンなのだ。

鬼塚=ヒーロー 的なことを反町や監督が言っていたが、今回それを意識しすぎたのではないだろうか?あまりに鬼塚が気取りすぎている。決めるとこはかまわないが、連ドラ時代みたいにもっと汗ダクダクで必死な様子とか例えば、最終回で雅に「先生ありがとう」と初めて認めてもらえてちょっと泣きそうになるとかそういう人間的な感情も描いてほしかった。反町自身はインタビューで「泣く顔や悲しい顔は鬼塚らしくない」と発言。さらに連ドラ時代からそういう顔は描いていないとまで言っている。確かにストレートに泣く顔や悲しい顔は描いていなかったが、映画ほど感情を読めない人物でもなかったはずだ。「らしくない」的なその思いが大きくなりすぎてヒーローを意識しすぎた結果、どうも映画の鬼塚はつかめないキャラになっているのではないだろうか。それとやっぱり冬月先生みたいなポジションが必要なんだろう。

 

評価★★★☆☆

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