セイレン

No タイトル 作詞 作曲 編曲 備考
Prologue 上杉昇 上杉昇 柴崎浩  
カナリア 上杉昇 上杉昇 柴崎浩 3rdシングル 最高19位 売上2.7万枚
「G」 上杉昇 上杉昇 柴崎浩  
晴れた終わり 上杉昇 上杉昇 柴崎浩 2ndシングル 最高15位 売上3.6万枚
Tough Luck 上杉昇 上杉昇 柴崎浩  
TOY$! 上杉昇 上杉昇 柴崎浩 1stシングル 最高15位 売上6.2万枚
Suicide Solution 上杉昇 上杉昇 柴崎浩  
Blindman's Buff 上杉昇 上杉昇 柴崎浩  
Living For Myself 上杉昇 上杉昇 柴崎浩  
10 Prayer 上杉昇 柴崎浩 柴崎浩 3rdシングルC/W

リリースデータ

1999年3月3日 初登場14位 売上3.9万枚 Sound Produced by 柴崎浩 ユニバーサルビクター

メンバー

Vocal 上杉昇
Guitar 柴崎浩

al.ni.co1stアルバム。結果的に唯一のアルバムにして最終作品WANDSを脱退した上杉、柴崎で結成。98年3月21日に「TOY$!」でデビュー。その後98年11月11日に「晴れた終わり」、99年1月21日に「カナリア」を発売して今作が発売された。3シングルから表題3曲とC/W1曲を収録。今作を引っ提げての1stツアーを行った後は長期沈黙となり、2001年に正式に解散が発表された。

al.ni.coでは上杉のやりたいようにやっていたと後に語っており、基本的に上杉が曲を作り柴崎にアレンジの注文をして柴崎がそれに応える形で楽曲を制作していたという。上杉自身は売れる音楽を目指していたわけではないがもう少し売れる自信もあったようであまり売れずショックだったとも後に語っている。ただWANDS脱退前のシングルの時点で既にトップ10入りギリギリまで人気を落としていた事を考えれば正直割と妥当な売上だったのではないかとも思う。スタジオ代やレコーディング代にもかなり贅沢に金をかけていたのに結果も伴わなかった。結局今作の後のツアー終了後に活動はストップ。上杉と柴崎では当時の事務所から言われていた条件が違っていたそうで、上杉はやりたいようにやっていいと言われ、柴崎は最初は上杉のやりたいようにやって徐々に自分の音楽性も交えてシフトチェンジさせていけばいいと言われていたようだが双方それを知らず上杉は曲げるつもりはなかったために音楽性の違いが原因になったのがまず1つ(柴崎本人は特に辞めた理由を公に語っていない)。さらにこの事により事務所との軋轢も発生し、とっとと移籍しようにももっと作品数を出すという約束で契約していたため契約の問題から身動きが取れなくなっていたようで、ソロでの再始動までに時間がかかったのはその辺の話し合いが決着しなかったためとされる。

柴崎浩は00年の反町隆史を皮切りに楽曲提供を開始。反町ではC/Wとアルバム曲のみだったが、02年には相川七瀬「終わりない夢」の作曲を担当(A面曲の提供はこれが最初)して相川七瀬のツアーにも参加した後、今度はT.M.Revolutionのツアーサポートを担当し、T.M.Revolution西川貴教が新たに結成したバンドabingdon boys schoolのメンバーとして3度目のメジャーデビューを果たした。al.ni.co脱退後の柴崎は最終的には2020年に新ボーカルでWANDS復活へ至るなど割と一貫してメジャーレーベルやヒットチャート方面であり、上杉のようなアングラ志向はそもそも無かったっぽい。

いわゆるグランジと呼ばれるジャンルにかなり傾倒しているようで潰したような激しいド迫力な発声に載せたサウンドはひたすらに重い。この激しすぎる発声は負担が大きすぎたようでツアーでは歌をちゃんと再現できずに苦労したようだ。シングル表題曲でもかなりヘビーだったのでアルバムとなるともうメロディーを聞かせるという雰囲気は皆無で、ひたすらに重いロックサウンドをずっしりと堪能させられるというか…。「Same Side」を筆頭にWANDS脱退直前の楽曲も基本的に良さを見出して聞く事ができたが、al.ni.coに関しては正直ほとんど良さが分からなかった。やらされていたWANDSからの反動で上杉がやりたい事しかやらねぇという姿勢に加えて自分の曲しかやらないという考えで突き進んだのがやはり大きく影響していると思う。ここに柴崎の音楽性がもう少し混ざっていれば大きく違っていたとは思う。

B00005GS3I

印象度★★★☆☆

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