SUPER BEST TRY to REMEMBER

volume 1 from 1987 to 1990
No タイトル 作詞 作曲 編曲 備考
1 STAR LIGHT 飛鳥涼 チャゲ&飛鳥 佐藤準 1stシングル 最高1位 売上48.9万枚
2 ガラスの十代 飛鳥涼 飛鳥涼 佐藤準 2ndシングル 最高1位 売上68.1万枚
3 パラダイス銀河 飛鳥涼 飛鳥涼 佐藤準 3rdシングル 最高1位 売上88.9万枚
4 Diamondハリケーン 田口俊 井上ヨシマサ 佐藤準 4thシングル 最高1位 売上68.1万枚
5 剣の舞 康珍化 馬飼野康二 椎名和夫 5thシングル 最高1位 売上60.8万枚 未発表アレンジ
6 地球をさがして 吉澤久美子 都志見隆 佐藤準 6thシングル 最高1位 売上47.2万枚
7 太陽がいっぱい 大江千里 大江千里 中村哲 7thシングル 最高1位 売上69.3万枚
8 荒野のメガロポリス 飛鳥涼 飛鳥涼 佐藤準 8thシングル 最高1位 売上26.4万枚 2番追加Ver.
2ndベスト『BEST FRIENDS』収録Ver.と同じ
9 PLEASE 飛鳥涼 飛鳥涼 佐藤準 8thシングルC/W

 

volume 2 from 1990 to 1992
No タイトル 作詞 作曲 編曲 備考
1 Little Birthday 飛鳥涼 飛鳥涼,佐藤準 佐藤準 9thシングル 最高2位 売上23.6万枚
2 CO CO RO 森浩美 馬飼野康二 船山基紀 10thシングル 最高1位 売上20.6万枚
3 笑ってよ 三浦徳子 馬飼野康二 馬飼野康二 11thシングル 最高1位 売上19.2万枚
4 風の中の少年 秋谷銀四郎 山口美央子 米光亮 12thシングル 最高2位 売上16.3万枚 アウトロカットアウト
5 奇跡の女神 夏目純 NOBODY 米光亮 13thシングル 最高2位 売上14.3万枚
6 WINNING RUN 森浩美 馬飼野康二 馬飼野康二 14thシングル 最高3位 売上14.6万枚
7 GROWING UP 三井拓 松本俊明 鷺巣詩郎 15thシングル 最高5位 売上12.0万枚
8 TAKE OFF 澤地隆 後藤次利 後藤次利,新川博 16thシングル 最高5位 売上11.3万枚
9 リラの咲くころバルセロナへ 康珍化 後藤次利 後藤次利,新川博 17thシングル 最高2位 売上15.9万枚 2番追加Ver.初収録

Chors Arranged:椎名和夫(2)、曳田修(8,9)

volume 3 from 1992 to 1994
No タイトル 作詞 作曲 編曲 備考
1 Meet Me タケカワユキヒデ タケカワユキヒデ 佐藤準 18thシングル 最高6位 売上14.1万枚
2 愛してもいいですか 三浦徳子 後藤次利 後藤次利,新川博 19thシングル 最高6位 売上11.5万枚
3 君とすばやくSLOWLY 原真弓 大門一也 水島康貴,大門一也 20thシングル 最高9位 売上13.7万枚
4 勇気100% 松井五郎 馬飼野康二 馬飼野康二 21stシングル 最高7位 売上10.9万枚
5 BOYS in August 松井五郎 後藤次利 米光亮 22ndシングル 最高5位 売上12.0万枚
6 この秋…ひとりじゃない 松井五郎 馬飼野康二 椎名和夫 23rdシングル 最高5位 売上9.4万枚
7 BRAVO!Nippon〜雪と氷のファンタジー〜 平井森太郎 馬飼野康二 小西貴雄 24thシングル 最高7位 売上10.9万枚
8 ヨーソロー! 未来へよろしく 松井五郎 後藤次利 根岸貴幸 25thシングル 最高10位 売上8.7万枚
9 TRY TO REMEMBER 松井五郎 清岡千穂 米光亮 26thシングル 最高9位 売上9.7万枚

リリースデータ

1994年8月2日 初登場10位 売上4.4万枚 ポニーキャニオン

メンバー

内海光司
大沢樹生
諸星和己
佐藤寛之
山本淳一
赤坂晃
佐藤敦啓

光GENJI3rdベストアルバム。7月に発売した最新シングル「TRY TO REMEMBER」発売直後の『ミュージックステーション』にて大沢樹生と佐藤寛之が8月末のライブで脱退すると発表。これに伴い7人での最終作として今作がリリースされた。7人時代全シングル26作のA面をリリース順に網羅。連作形式となっていたためC/Wから「PLEASE」のみ例外的に収録された。「剣の剣」は未発売のアレンジとなっているほか、フェードアウトだった「風の中の少年」のエンディングがカットアウトに変更シングルでは2番が無かった「荒野のメガロポリス」「リラの咲くころバルセロナへ」は2番もあるフルサイズで収録されている。「荒野のメガロポリス」は前ベスト『BEST FRIENDS』でフルサイズが初収録されていたが、「リラの咲くころバルセロナへ」のフルサイズは初収録。3枚別々に収納されたBOXケース仕様で、歴代の写真をまとめたフォトブック(タイトルは「PHOTO CLIP」)付属。

7人時代を総括するいわゆるオールタイムベストであったが、2年前の1992年に「GROWING UP」までを網羅した『BEST FRIENDS』をリリースし、3月に発売した11th『HEART'N HEARTS』のDISC-2がその続編で「TAKE OFF」〜「この秋…ひとりじゃない」までまとめたばかりで結局ラスト3曲しか初収録曲が無かった事、当時は珍しい5500円のBOX作品だったこともあって買い控えられたようで、この時点で既に出すたびに最低売上を更新する状態だったが、ついにはトップ10入りギリギリとなり、さらに最低売上を更新する事態となった。この後SUPER 5になっての2作のアルバムも7万台の売上を記録して7人時代最後のオリジナルアルバムよりは復調したため、解散後のベストを除く解散までのアルバムで今作が最低売上となっている。

2人の脱退後、光GENJI SUPER 5改名して活動を開始したがシングル3枚、オリジナルアルバム1枚で1年後の95年9月に解散した。解散時のアルバム『See You Again』は3枚組仕様でDISC-1,2はSUPER 5名義、DISC-3が改めてのベストアルバムとなっていたが、光GENJI SUPER 5としてのシングル3作は全て未収録のまま放置された。27th「Melody Five」は現在もシングルCDでしか聞くことができない。28th「DON'T MIND涙」は光GENJIのアルバムには未収録のままで『忍たま乱太郎』タイアップだったためかろうじて忍たま乱太郎の主題歌集には収録されている。29th「Bye-Bye」は解散後最初のリリースとなった02年の『MY これ!クション 光GENJI BEST』に収録された。

光GENJIのベスト盤で最も手っ取り早くシングルを網羅できるのが今作となる。90年の1stベスト『ふりかえって…Tomorrow』は再録音されていて、92年の『BEST FRIENDS』は「GROWING UP」までという今作リリース以降は今作のほぼ下位互換作品となっている。『HEART'N HEARTS』『See You Again』はオリジナルアルバムが2枚組3枚組の企画作になっていてその中の1枚がベストという仕様。01年のシリーズ企画として出た解散後初のベスト『MY これ!クション 光GENJI BEST』は全29作のうち16曲と半分ちょいのセレクト。翌02年の『光GENJI All Songs Request』はファン投票で31曲選曲されたがこれもアルバム選曲が多いファン向け選曲となってシングルは網羅されていない。前述のようにSUPER 5以降の3シングルはほぼ放置状態のままで以後はベストアルバム発売も途絶えて久しい。という事でとりあえず最も一気にシングルを聞ける今作を選択した。

光GENJIはとんでもなく凄かったというのは当時を知る人の間ではよく言われており、実績的にも明らかに余裕で越えたかのように見えるSMAP中居正広でさえも当時の光GENJI人気の凄さは凄まじくて自分たちより断然凄かったと振り返っている程。売上だけ見るとデビュー当初が凄いだけで90年代の時代の変化に適応できずに一挙失速、アイドルの寿命は短く、次の忍者は瞬間風速だけで失速したがその次のSMAPと入れ替わるような売上の推移を辿っている。光GENJIが最後の1位を獲得した「笑ってよ」をリリースしたのはSMAPのデビュー年であり、また忍者は1位を獲得できなかったので、次にジャニーズが1位を獲得したのはSMAPの「Hey Hey おおきに毎度あり」でありこれがまさにこの1994年であった。そして今作の1ヶ月後にはTOKIOがデビュー1年後にはV6がデビューを控える中での解散となった。当時はこんな風に次が出てくる頃には失速して入れ替わっていくのがアイドルだったのだろう。

という事で、凄かったんだけど世代じゃないと凄さが分からないというのと、「勇気100%」は当時の売上はパッとしていないが後輩に歌い継がれて幅広い知名度を獲得したが、メンバーの後年の逮捕等もあって結局懐古系番組で使われるのが最初期数枚のシングル曲のみに集中。正直最初の3シングル+「勇気100%」くらいしか耳にする機会が無かったのでそれしか分からなかった。ただ個人的には母の証言によると幼少期、3〜5歳くらいの頃はTVに光GENJIが出ると喜んでいたらしく、確かに"光GENJI"、"ローラースケート"、"TVに出てくると嬉しかった"という断片的な記憶がうっすらある。ただ曲自体はあまり記憶になく、恐らく「ガラスの十代」「パラダイス銀河」だったと思うんだけど、当時の記憶なのかその後の懐古系番組で聞いて残った印象なのか定かではない。

いずれにせよ曲をちゃんと記憶してないにしても光GENJIがローラスケートで動き回っているのを見て喜んでいたという事で光GENJIは個人的には音楽・芸能人・アイドルの初見・原点に近い存在であるわけで、いずれちゃんと聞いておきたいとは思っていた。とりあえず最も一気に聞ける今作をチョイス。意外だったのは初期の曲は時代が時代だけにサウンドプロダクションもやや甘めな上に、メンバーもまだ若すぎて声が安定していないので思っていた以上に不安定な感じがあった。後年になるとサウンドも手堅くまとまり、メンバーのボーカルも成長して安定感が増す。しかし初期以外は突き抜けた1曲が無く、すっかり横一線の印象となってしまい、最後までいい曲は続いているんだけどすぐに印象に残ってくる曲はなかなか無かった。

改めてデビューで当時チャゲ&飛鳥からCHAGE&ASKAへと表記を変えて初期フォーク演歌路線イメージを脱却して新たなる全盛期を迎えようとしていたチャゲアス起用はかなり攻めていたと思うし、特にASKAは意欲的にアイドルの楽曲という要請に答えて自分たちではやらないような曲を書いていたんだなと思う。ただその後の作家陣は手堅いところに終始していて積極的に新しい人材を起用していこうという姿勢ではあまり無かったようだ。馬飼野康二はこれより前からジャニーズ提供が多くて、当時もMARK DAVISとして男闘呼組も並行して手掛け、忍者、SMAPも同時に提供しまくっていてその後もHey! Say! JUMPやSexy Zoneの時代までジャニーズに曲を書きまくっている人なので別格にしても、松井五郎や後藤次利も既に実績のあった作家だ。SMAPが若手の作家も積極採用していて、特に94年にもなると積極的にブラックミュージックの要素を加えたり、王子様然とするのではなくみんなと同じ若者目線の歌詞を中心にするなど攻めまくって音楽性も洗練されて時代を切り開いたのに比べると、最後までかなり堅実にアイドルしていたようにも思う。特にアレンジ面で洗練されていった立役者の1人であるCHOKKAKU氏の起用はSMAPが最初で光GENJIには関わらなかった。SMAP躍進のきっかけになった作家陣は基本的にSMAPで初起用から後輩ジャニーズに広がっていく感じの起用で一応時期が被っている光GENJIでは起用されていない。当時のアイドルの寿命の短さ、新しいアイドルが出てくれば入れ替わっていくという常識が1番大きいとは思うんだけど、中盤以降の方向性の変わらなさ、変化の無さは飽きられて人気を落とす理由としては十分だったなとは思った。

B00005FQ2T

印象度★★★★☆

2021.5.11更新

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