1st Love,Day After Tomorrow

Love,Day After Tomorrow
99年12月8日
作曲:大野愛果、編曲:Cybersound
全米デビューの実績を作って2ヵ月弱、倉木麻衣としてのデビュー作。初登場18位からトップ20前後を5週うろついた後に6週目にトップ10入りし、12週連続トップ10入りした中で最高2位まで浮上(2週連続)、140万枚近くを売上げた自身最大唯一にしてGIZA最大唯一でもあるミリオン作品、衝撃のデビュー作。12月発売だがトップ10ヒットしていたのは1月末~3月頃にかけてなのでミレニアム1発目のヒット曲の1つという印象が強い。ただサザンオールスターズの「TSUNAMI」が物凄い大ヒットしていたのでこの時期の印象1人勝ちというわけでもなかった。2週連続2位というのも2週とも「TSUNAMI」に阻まれての2位だった。

当時周囲でも1年前の衝撃(宇多田ヒカル)の再来?え?ナニコレ?デジャヴ?っていう感覚だった。ちょっと前に全米デビューしてましたという本場感(半分フェイクみたいなもんだったが…)天井が低いところで歌っているようなPVも(こちらはモノクロ)1年前の『Automatic』を彷彿とさせた。この年の6月に宇多田ヒカルが『HEY!HEY!HEY!』に出た時にダウンタウン浜田が最近、お前のパクリが出てきてるやんと宇多田にストレートにぶつけて宇多田も流れで最初に聞いた時にあれ?私?と思ったなどと発言し、そのまんま放送されたため事務所が抗議した、なんていう話も残っている。昔の方がTVは自由だったと既に言われるようになっていながらもそれでも現代よりはまだまだ自由だった当時だったからストレートにそのまま放送できたようなデリケートな案件ではあったが、それくらい割とみんなそう思っていた、という事を示す出来事だった。

また小松未歩のヒットをきっかけにして大阪拠点のGIZA studioへ移して従来のBEING色を徹底的に排除、後に結局BEING/GIZAとビーイングであることを付け足すようになったが、この当時はBEINGの文字は極力出さずにむしろ隠すようにしていてKANONJIという新名義の名前以外謎のプロデューサーを立てるなど(KANONJI ROCKAKUなんていうフルネーム?っぽい名前でクレジットされる事もあったが、結局正体は長戸大幸だったらしい)新勢力のレコード会社のように振る舞っていた。インターネット普及期でまだギリギリでメディア側のコントロールで情報の少なさやミステリアスさを醸し出すことが容易にできたので作戦勝ちで売れたことは否めないが、楽曲のクオリティもかなり高い。

当時流行のR&B風のサウンド全開だが、宇多田ヒカルが案外普通に日本人アレンジャーを起用していたのに対して、倉木麻衣は国内ではなくボストン在住という海外制作陣Cybersoundを起用して形から海外製にして作り上げたカラッと乾いたサウンドに、90年代末期織田哲郎・栗林誠一郎の相次ぐ離脱に伴い、新たに発掘してきたメロディーメイカー大野愛果によるあくまでキャッチーなJ-POP然としたメロディーの組み合わせは抜群だった。R&Bブームとはいえ大ヒットするにはやはりメロディーの良さも必要という、正直ここまでいきなり売れるとはGIZAも思ってなかったとは思うんだけど、見事なまでのプロデュースだったと思う。

当時はTVに一切出なかったが、紅白出演のみ03~05年にかけて3年連続で行った。1度目ではなく何故か3度目05年でようやく歌われた。この際にはキーを下げていたが、以降もTV出演で歌われる際は軒並みキー下げで歌っていてキー下げが早いうちにデフォになっていたようだ。当時は出た声がわずか数年で出なくなった…というより元々高すぎて無理があったように思う。
★★★★☆
1stアルバム『delicious way
1stベスト『Wish You The Best
2ndベスト『ALL MY BEST
3rdベスト『MAI KURAKI BEST 151A-LOVE & HOPE-

Love, Day After Tomorrow
倉木麻衣
2000/06/28 ¥250

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