ドラゴンボールZ 復活の「F」
2015年公開。前作「神と神」から2年ぶりの新作映画。原作者の鳥山明が初めて単独で脚本を担当している(前作も元々の脚本に対してほ鳥山明が気合の入ったストーリー案を提出したためそちらがほとんど採用されたとされている)。このためか現時点での鳥山明の最新作である「銀河パトロール ジャコ」からジャコが特に説明もなくいきなりブルマと昔からの知り合いという事で登場する。また前作の直接の続編となっており、前作で妊娠中だった悟飯とビーデルの娘パンが誕生している。「F」とはマキシマムザホルモンの同名曲からとられており、フリーザの事である。
ゆるっとネタバレ感想
過去の敵であるフリーザを前作でゴッドの領域に達してしまった悟空と戦わせるということで、新たにフリーザは「トレーニングをしたことがないから本気で4ヶ月もトレーニングすれば戦闘力130万くらいはいける」という理由でトレーニングをして強くなったと一応理由付けはされている。この発言した時の第1形態がかの有名なセリフ「私の戦闘力は53万です」の姿なので、まあ2倍以上という感覚で入れたセリフなんだろうけど、フリーザは最初に変身した段階で「100万以上」と発言、以降戦闘力設定は作中から消えたが、アニメ設定では最終形態は1億2000万と設定され、わりと広く知られていた。それだけにトレーニングして130万になったところでどうしようもないんじゃないかと多くの戦闘力ファンがツッコミを入れそうな変な台詞で印象に残った。鳥山明が自ら発言しているように忘れっぽい性格なのでこれしか覚えてなかったのか、戦闘力で矛盾を指摘しまくる大人ファンがかなり多くうるさいのでわざと変な設定を入れて戦闘力議論に最早意味が無いと示したかったのか。何気に後者なんじゃないのかなと思うくらい変な設定だった。
また今作では出演キャラを絞り、出ないキャラにはとりあえず最低限の説明が加えられているが、基本的にどれも無茶な理由となっている。
魔人ブウ
→眠りに入っている(脚本上に説明があるが映画ではカットされていた)。
ツッコミポイント→原作で眠るシーンがあったが「5秒くらい寝たかな」と睡眠5秒で終了という描写があった。悟天とトランクス
→何するか分からない、危険に巻き込みたくないというブルマの意向で知らせていない。
ツッコミポイント→ブウ編で魔人ブウの気を察知して飛び回っていたくらいなのに、大人たちが出払いフリーザ軍のただならぬ気が漂っているのに気づかないって…。ヤムチャとチャオズ
→何故か天津飯が定番の台詞「チャオズはおいてきた」の新バージョン「ヤムチャとチャオズはおいてきた」という高度なギャグで片づけられる
ツッコミポイント→なんで天津飯がヤムチャの管理もしてるのかミスター・サタン
→特に説明なし。出る幕もなし。また
・悟飯のアルティメット設定が消失
・ザーボンドドリアという戦闘力数万レベルに匹敵という程度の部下相手に桁2つくらいは格上のはずのピッコロが苦戦
・18号は「私の方が戦闘力が上」だと参戦を希望したが、クリリンが娘を守ってくれと説得。
・亀仙人が「その気になればこれくらいは強い」という設定でフリーザ軍部下相手に大善戦。
・ただの光線銃で致命傷を負う悟空
といった細かい設定や戦力格差を無視した描写も多いため、脚本家の名前が伏せられていたら「原作を読んでいない」「原作に愛のない脚本家だ」「今更亀仙人が活躍ってどんだけ亀仙人好きなんだよ」「ヤムチャの方が亀仙人より桁2つくらい戦闘力上だろーが」とか叩かれまくっていたと思われる。ていうかやっぱり叩かれているみたいだけど、原作者による原作ということでだいぶ緩和されているという印象。
青髪のゴッドの力を持った超サイヤ人という設定は、これまでの映画だったらクライマックスに持ってくるようなものだが、いきなり登場した上に、その力でもってもフリーザのピーク時に適わないということもあって微妙だった。フリーザが金髪の超サイヤ人に執着してて自らの進化形をゴールデンに仕上げてきたのに金髪の超サイヤ人にならないって最早フリーザへの嫌がらせかと。
悟空が油断する悪癖を序盤で示しておいて光線銃で致命傷というのはいいんだけど、超化解くぐらい油断してるならまだしも超化したままの油断という状態で光線銃で致命傷はさすがに違和感があった。当時のフリーザ戦でフリーザを見限った悟空が変身解いて見逃そうとしたことがあったんだからそれと重ねるような演出にすればよかったのに。結局フリーザの敗因も当時と同じなんだし。
映画の構成自体が少年時代に見た歴代の映画版とは異なる展開。アラサー以上の当時少年だった世代に関してはこれが主な不評の要因だと思う。
バトル自体は熱いんだけど、随所にらしいギャグがあったり、意外性のある突飛な展開になったりする。正直、Z戦士大苦戦→1度は絶望モード→ウオオオオ→逆転勝利、という熱いパターンが少年期の記憶に刷り込まれているので、コレジャナイ感が漂ってしまった。クリリンの「なんでおれだけ」とかベジータの「カカロットは俺が倒(ドーン)グワァァァァァ!!」とかお約束だったんだけど、あれらは全部原作者関係なしのオリジナルだったのだ。そして今回こそが原作者の「ドラゴンボール」なのだ。鳥山明はかねてから自分はいい加減だとか設定忘れているとか散々発言しているので整合性を合わせようとも考えていないし、原作者特権で設定もどんどん変える。これはもうどうしようもない。
そんなわけでバトルは熱いんだけど、歴代の映画版のような絶望でシリアスな展開とかにはどうにもなりきらない、まあまあ面白いけどなんか違うなぁ…という感じだったんだけど、最近の「ジャコ」とか少し前の「ネコマジン」とか読んでも鳥山明ってまあこういう作風だったと。そう考えれば納得というか。そんな映画だった。
★★★★☆