シン・ゴジラ
2016年公開。ハリウッド版『GODZILLA』から2年、日本では『FINAL WARS』でシリーズを停止してから12年ぶりの新作ゴジラ映画。総監督・脚本に庵野秀明、監督・特技監督に樋口真嗣が起用されている。ゴジラは着ぐるみではなくCGで表現された。音楽担当は鷺巣詩郎だが、昭和・平成VSシリーズで使用されていたおなじみの伊福部昭(06年没)によるテーマ曲がそのまま再使用されている。
昭和シリーズは2作目『ゴジラの逆襲』でゴジラがもう1体いた事が判明して以降、このゴジラが死ぬ描写は無く、設定や背景が作品ごとに変化していったものの基本的に同じ世界の出来事として扱われていた。
84年『ゴジラ』〜『VSデストロイア』までの平成VSシリーズは完全に繋がった世界観で描かれ一部共通キャストも存在したが、このシリーズでは1954年の『ゴジラ』以来となる新たなゴジラが現れたという設定で、人々はゴジラの事は記憶にあるが1作目以外の出来事は無かった事になった。
ミレニアムシリーズ以降は1作ごとに設定がリセットされていたが、概ね1954年の『ゴジラ』での出来事は過去にあった事として扱われ、実は骨は残っていたとか、生き残っていたとか1作目の設定を改変した作品もあった。
いずれにせよこれまでのゴジラ作品は設定がリセットされても1954年の1作目(もしくは近い出来事)はあった事として扱われ、ゴジラが出現しても世間はゴジラを認知しているというのが共通していた。対して今作ではゴジラが初めて出現したという設定で(娯楽作品としてのゴジラ映画が存在してないのが現実との唯一の違い)、その場合に政府がどう動くかという閣僚たちの動きを軸にした政治ドラマの様相が極めて強い。
1984年の『ゴジラ』も主人公が総理大臣でゴジラに対して政府がどう対処するかを描いた重厚な作品だったが、それすらもチープに思えてしまうほど。今作は政治ドラマによりリアリティを持たせていて、攻撃1つ取っても総理の許可許可許可…何かするにしても関係省庁に連絡を取って承認を取って…とかいちいち本気でやる。過去作品のように現場の人たちの判断で撃て!ズドドドドーン!!とかやれない。博士が単独で何かを発見して「わかったぞ!」と言うと速やかに作戦が準備されて偉い人差し置いて博士の指揮で実行されるとかそんな事は一切やらず、各方面から専門家が集結してきてそれぞれがそれぞれの得意分野からあれこれ考察してみんなで対策を練っていく。
当然、ゴジラ映画定番の超兵器も出てこない。怪獣映画において実在しないけど当たれば勝機の見える超兵器は少年時代のワクワクの対象だったので出てこないのは残念な気もするが、今作では自衛隊や米軍が、計画を立案したうえでミサイルを撃ち込むという現実的な作戦が展開される。最終計画でも出来上った薬を打ち込むために行う作戦展開はゴジラ映画史上最も現実的な注入の仕方。今作には政治家の1人として柄本明も出演、『VSスペースゴジラ』でゴジラに血液凝固弾を単身打ち込もうと奮戦した隊員役を演じたしていたので真っ先に思い出したが描写の違いはかなり鮮明だ。
放射能も以前のゴジラ映画では登場人物は何の対策もせず、放射能を恐れる描写もなく、原発ぶっ壊してもゴジラが全部エネルギーとして吸収したから大丈夫などかなりゆる〜い描写だったが、今作ではかなり気にしている。
そういった側面からも完全に大人向けの作品であり、再び童心に帰るのではなく、あの頃ゴジラ映画を見た子供たちは全員大人になっているわけだけどそのまま大人のままで見ることができる映画だった。というか童心に帰ってのドンパチ怪獣アクションとか期待しても今作にはそんな娯楽じみたものはなく、あるのはひたすら緊迫感。見ごたえはあるが、覚えさせる気の無い肩書や地名が次々とテロップ表示されまくるスピード感と緊迫感により正直疲れる映画でもある。子供の頃じゃ絶対つまらないどころか怖いだけの映画になってた。
新ゴジラとして現代の解釈で色々設定しているものの、命名に関する「大戸島の伝説」から云々というところは1作目を踏襲。また伊福部音楽を変にアレンジせずにそのまま使用するところなど、1作目をしっかりリスペクトしている点も好印象だ。完全に新しい音楽でもそれはそれで良かったんだろうけど、リスペクトするところはする姿勢が熱い。
また個人的にエヴァンゲリオンを全く知らず、庵野秀明という人の作風も全く知らないまっさらな状態で見れたのでエヴァっぽい云々もそもそも元を知らないので新鮮に楽しめたのも良かった。
印象度★★★★☆