DO OUR BEST

No タイトル 作詞 作曲 編曲 備考
1 お祭り忍者 原六朗・荒木とよひさ 原六朗・馬飼野康二 鷺巣詩郎 1stシングル 水雲SINGLE(C/W違い) 最高3位 売上14.1万枚
1stシングル 陽炎SINGLE(C/W違い) 最高10位 売上8.0万枚
美空ひばり「お祭りマンボ」の改作
2 リンゴ白書 小沢不二夫・荒木とよひさ 米山正夫・馬飼野康二 鷺巣詩郎 2ndシングル 最高9位 売上10.4万枚 美空ひばり「リンゴ追分」の改作
3 おーい!車屋さん 米山正夫・荒木とよひさ 米山正夫・馬飼野康二 鷺巣詩郎 3rdシングル 最高12位 売上5.6万枚 美空ひばり「車屋さん」の改作
4 秘・美・子 尾関昌也 馬飼野康二 馬飼野康二 4thシングル 最高17位 売上4.2万枚
5 君に御中 尾関昌也 鈴木キサブロー 新川博 5thシングル 最高21位 売上3.6万枚
6 ハラショ! 秋元康 鈴木キサブロー 船山基紀 6thシングル 最高20位 売上3.0万枚
7 涙 涙のカラオケボックス 秋元康 三木たかし 若草恵 7thシングル 最高49位 売上1.2万枚
8 日本 秋元康 三木たかし 若草恵 8thシングル 最高48位 売上1.4万枚
9 日本ブギ 秋元康 都志見隆 岩崎文紀 9thシングル 最高37位 売上1.7万枚
10 Harapeko 村上和也・西岡秀基 長沢ヒロ 岩田雅之 10thシングル 最高57位 売上1.0万枚

リリースデータ

1994年12月21日 初登場83位 売上0.5万枚 日本コロムビア

メンバー(表記なし)

柳沢超
志賀泰伸(脱退)
遠藤直人
正木慎也
高木延秀
古川栄司(脱退)

忍者ベストアルバム。90年デビュー。93年までのシングル10曲をリリース順に収録。「おーい!車屋さん」「君に御中」「涙 涙のカラオケボックス」「日本」「Harapeko」がアルバム初収録。94年は忍者としての新作リリースが無く、志賀泰伸と古川栄司が脱退(それぞれ妻子がいた事が発覚した、太ったので痩せるよう言われたのに無視していたら契約更新されなかった(こちらは本人談)と言われている)。これにより10月には残った4人で四銃士に改名してシングル「DO YOUR BEST」を発売、そこから2ヶ月で今作が発売された。今作は6人時代の総括ベストとなったが、既に2人の脱退後だったためかメンバー表記は一切なく、当時のシングルジャケット写真は使用されているものの、ジャケットの6人はイラスト化されており、新たな写真は使用されていない。スタッフクレジットも無いが最終ページには"See You Again…!"と記載されていて、翌95年には4人で忍者としての活動が再開された。初のベスト盤だったが前年リリースのオリジナルアルバム『日本一』からほぼ半減して初の1万割れとなるなど最低売上を更新する事態となった。

前述のように四銃士に改名してシングル「DO YOUR BEST」を出して今作が『DO OUR BEST』なのでタイトルはシングルにひっかけたものと思われるが、シングル「DO YOUR BEST」はアルバム未収録のままとなった。95年に4人で忍者に戻って2枚のシングル「モンキー・マジック」(カバー、アルバム未収録)、「たとえ君が嘘をついても」、96年1月にアルバム『Hi La Ri』をリリースしたがこれが最後となり、解散発表も無く自然消滅した。97年のジャニーズの舞台「KYO TO KYO'97秋公演」にゲストとして出演したのが忍者としての最後の活動とされている。なおシングル「たとえ君が嘘をついても」、アルバム『Hi La Ri』は共に100位圏外となり、90年代以降のジャニーズで100位圏外を記録したのは忍者が唯一となる。現在は残った4人のメンバーも含めて全員がジャニーズを辞めており、移籍するか引退するかしている。

少年隊→光GENJI→男闘呼組→SMAP→TOKIO→V6→KinKi Kids→嵐…と思われがちだが、男闘呼組とSMAPの間にデビューしていた90年代第1号のジャニーズが忍者だった。正直長年知らなかったが、一応デビュー当初は話題になっていてデビュー年に1回だけ紅白にも出ていたという。美空ひばりの改作という意表をつく歌謡路線でのデビューは後の関ジャニ∞の雛形のようでもあるが、デビュー作を少年隊や男闘呼組のようにC/W違いの複数商法にして売上補強を図ったら何故かO社に別集計されてしまいこれにより1位を逃し、売上分断、そしてトップ10入りできたのは最初の2作だけ…と以降のジャニーズでは考えられないような低迷をした。光GENJIや男闘呼組も末期は低迷しまくりではあったが、忍者はその先を行く低迷っぷりでジャニーズ禁断の100位圏外までぶちかましている。これは一体どういうグループだったのか…という事でベスト盤をとりあえず探したけど今作しか出てなかった。光GENJI、男闘呼組とは異なり、解散後のベスト盤リリースも一切無い

冒頭3曲のひばり改変はなかなか大胆。というかまあ今ならそれなりに普通に聞けるんだけど、これを1990年にやっていたというのがジャニーズ正気じゃない。というのも美空ひばりが亡くなったのは89年6月である。兼ねてから長い体調不良が伝えられていたとはいえ当時の国民の悲しみと喪失感は大きかったと思われ、そんな大スターの死去から1年ちょっとしか経っていないタイミングで陽気なフレーズだけ引用した悪く言えばいいとこ取りだけした改作カバーでデビューして3連発って…。ジャニーさん的にもいつまでも悲しんでばかりではなく少しでも明るく新たな時代平成を生きていこうという事ではあったんだろうけど、プロデュースワークがキレ味鋭すぎ。3連発出すたび半減しているので1発目のインパクトはともかく3連続は相当引かれていたのではないかとも思うが4枚目からはオリジナルに変わり、ここからは当時のSMAPの方向性と大差はない。80年代から続くキラキラアイドルノリを平然と続けていたりやはりジャニーズは90年代の変化に全く対応できていなかったんだな…と思うような部分もかなり大きい。加えて歌謡路線でのデビューが尾を引いていたのか、SMAPよりも昭和感が随所で強めに出ていてこれは90年代半ばに差し掛かってきてSMAPが新鋭の作家を積極起用して制作方針を変えて洗練された音楽をやり始めていたのに対して忍者は最後まで変わらない。平成が徐々に馴染んできてもどこか昭和のかほりのまま。

一方で飛び道具的なインパクトはどのシングルも抜群。好みを抜きにして寒さを感じさせながらも一撃で耳にこびりついてくる中毒性はあって、この辺りは既にキャリアを確立していた作家陣のさすがの手腕とも思える。ひばり改変の良し悪しは別にしたインパクトの強さ、オリジナル1発目が卑弥呼の改変だったり、御中をWANT YOUにひっかけるダジャレだったり、「ハラショ!」でKAMIKAZE KISSだとかHARAKIRI LOVEだとかいう戦時中なワードセンスをぶち込んできたり、「日本」→「日本ブギ」というタイトル被りも気にしない秋元康による謎の日本押し2連発、というかここに至るまでやたら日本の歴史から引用したような要素が目立つ。しかし最後は日本も何もないハラペコ連呼の謎の腹減りナンバー…と最初から最後までネタの宝庫のようなインパクトで確かに印象には残った。忘れてはいけないジャニーズの90年代第1号グループ忍者、ジャニーズが90年代に適応できていなかったのが原因で売れなかったのは否めないが面白い事は面白いし、なんだかんだ忍者がやっていた方向は関ジャニ∞の初期戦略でブラッシュアップされた事でジャニーズ的にも無事に昇華された感じもある。

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印象度★★★☆☆

2020.7.9更新

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