カラフル
No | タイトル | 作詞 | 作曲 | 編曲 | 備考 |
1 | Pink Princess | CHIAKI& ポケットビスケッツ |
パッパラー河合 | パッパラー河合 | |
2 | Yellow Yellow Happy(Album Version) | CHIAKI& ポケットビスケッツ |
パッパラー河合 | パッパラー河合 | 2ndシングル 最高4位 売上120.6万枚 |
3 | White Summer Heaven | CHIAKI | パッパラー河合 | パッパラー河合 | |
4 | Violet Moon | CHIAKI& ポケットビスケッツ |
パッパラー河合 | パッパラー河合 | |
5 | Rapturous Blue(1997 Album Version) | CHIAKI& ポケットビスケッツ |
パッパラー河合 | パッパラー河合 | 1stシングル 最高20位 売上29.2万枚 |
6 | Red Angel | CHIAKI& ポケットビスケッツ |
パッパラー河合 | パッパラー河合 | 3rdシングル 最高2位 売上109.8万枚 |
7 | Orange | TERU | TERU | パッパラー河合 | TERUボーカル |
8 | GREEN MAN | UDO& ポケットビスケッツ |
TERU& パッパラー河合 |
パッパラー河合 | UDOボーカル 4thシングル 最高3位 売上18.7万枚 |
9 | Rapturous Blue (New Sound English Memorial Version) |
CHIAKI& ポケットビスケッツ |
パッパラー河合 | パッパラー河合 | 1stシングル英語Ver. 初収録 |
リリースデータ
1997年7月16日 | 初登場3位 | 初動27.5万枚、売上63.8万枚 | Produced by TERU&パッパラー河合 | 東芝EMI |
メンバー
CHIAKI |
TERU |
UDO |
ポケットビスケッツ1stアルバム。96年4月デビュー。3シングルを発売後、アルバム発売が決定し、1曲を先行シングルとして売り出すとしてウドボーカルの「GREEN MAN」が先行シングルとなった。「Yellow Yellow Happy」はイントロ部分に加工アレンジが施された程度の変更だが、「Rapturous Blue」はシングルとはアレンジが異なる。さらにアレンジが異なり全英語詞の「Rapturous Blue(New Sound English Memorial Version)」もラストに収録された。色がテーマになっているため今作用の衣装もカラフルなものが用意された。またアルバム曲においても全曲MVが制作されたが、番組内で少し流れたのみで商品化されていない。シングル2作がミリオンを記録した中で、アルバム売上は大きくは伸びなかった。また今作以降は新たにブラックビスケッツのデビューに向けての企画が番組で進行していったため、ポケットビスケッツの活動は小休止状態となった。
95年に『 ウッチャンウリウリ!ナンチャンナリナリ!!』(番組名が「ウリナリ」になる前)の番組企画で結成。元々は新人の高山理衣をアジアで売り出すために南原扮する南々見一也がプロデュースするという企画だった。TERU(内村)と千秋は南々見一也が利用する居酒屋の店長と看板娘という役回りで企画に出演していた。デビューの話が進むにつれ、3人組編成で行く事になり、残る2人を選ぶ際に千秋が歌手志望として立候補するも、企画のストーリーは南々見の事務所社長・白石恵(国生さゆり)と高山の事務所社長・滋花実(室井滋)が選ばれる形となり千秋は落選、号泣。TERUがアドリブで「第2のマモー・ミモー作ってやるダニ!」と叫んだことから徐々にサイドストーリー的にTERUと千秋が別の角度からもう1組ユニットを作る企画が始まった。高山・国生・室井のユニット名を決める企画会議ではユニット名がMcKeeに決定。この際にウドが高山のマネージャー独活野大木としてユニット案を出す会議に参加しており、ユニット名「ポケットビスケッツ」を提案。却下されたが、南々見がお前らこれでいけばいいと発言したことからTERU・千秋にウドが無理やり加えられ「ポケットビスケッツ」が結成された(ウドはMcKeeのスタッフサイドの役回りだったのに放出された形)。96年2月にはMcKeeがフィリピンでデビューを飾り、McKeeメインで現地展開を行った。デビューライブでは前座のような扱いでポケットビスケッツも出演。やがて96年4月にMcKee、ポケットビスケッツの日本での同時デビューが決定。「O社初登場順位の高い方が番組エンディング」というチャート対決を行ったところ、McKee28位、ポケットビスケッツ25位となり、明確にポケットビスケッツの方が支持された事で以降はポケットビスケッツの企画がメインとなり、McKeeはそのまま消滅した。続く2nシングル「YELLOW YELLOW HAPPY」は9月発売から年内一杯トップ10に居座り続けるロングランでミリオンヒットを記録し、年明けの「Red Angel」もミリオンヒットとなった。
ポケットビスケッツは一応バンドの体裁を取っていたがTERU、UDOは演奏ができないため、実質的にはコーラス&賑やかし担当となる。特にUDOのアテブリ担当楽器は今作時点では固定すらしておらず、曲によって異なっていた。TERUはキーボードで固定しており、「YELLOW YELLOW HAPPAY」の間奏では単音のピアノソロパートを担当。ライブ披露時のTERUの間奏ピアノ生演奏も目玉の1つとみなされるようになり、「Red Angel」では難易度を増した間奏キーボードソロが用意された。今作ではアルバム曲においても新たにピアノ生演奏パートを用意しておらず、ライブで披露される際は2人とも自信のメインボーカル曲以外はコーラス&賑やかし要員となっている。
ただ内村は97年には番組の別企画「モテないブラザーズ」として勝俣州和と共に本気でピアノ習得を目指す事となり、松任谷由実のライブで「春よ、来い」を演奏するなどピアノを猛練習する事となり上達。次回作以降は1ヶ所だけでなくどんどん演奏パートが増えていった。
全面的に作詞作曲編曲を担当したパッパラー河合は「Runner」などのヒットで知られる爆風スランプのメンバー。ただし一般的に全盛期として知られる「Runner」や「リゾ・ラバ」は河合の作曲では無かった。爆風スランプは人気の浮き沈みが激しく、「Runner」の大ブレイクから88〜89年はヒットを飛ばすも、90年以降は低迷しブレイク前より売れなくなってしまうほどだったが、92年の「涙2 (LOVEヴァージョン)」(これは河合の作曲)が久々の大ヒットを記録。しかしこれも続かずに再度低迷していた。McKeeの作編曲を担当した後藤次利の方がネームバリューは強かったと思われる。なお爆風スランプは「YELLOW YELLOW HAPPY」がリリースされた同時期に『電波少年』の猿岩石応援企画で06年9月に再び「旅人よ」を大ヒットさせたが結果的にそれが最後のヒット作となった。
それだけに正直そんなに期待されていなかったと思われるが、パッパラー河合の才能がここに来て完全開花したのか、今作の楽曲はどれも企画モノとは思えない本気度の高いドキャッチ―なナンバーが並ぶ。シングルはもちろんリード曲の「Pink Princess」は明らかに先行シングル用の気合が入っているし、「Violet Moon」ではやや千秋の大人な部分を引き出した。ウドやTERUのボーカルもバラエティ色は見せつつも割と本気モードで普通にいい曲だし(特に「Orange」。ただ本人が照れていたのか番組のエンディングで毎週1曲ずつプロ―モーションしていた時期はこの曲のみイントロだけとか間奏だけ流して最後のサビを歌う直前でぶった切ってしまうなど最後までちゃんと流さなかった)、実質千秋のソロ枠となる「White Summer Heaven」では千秋の少女性を前面に押し出して歌い方も曲調もまた違った魅力を見せている。企画モノと侮るなかれ、隙の無い名盤だ。
印象度★★★★★