27日から連載スタート!! |
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身内に不幸が生じたため更新を自粛していた(暇がなかった)のだが本日から再開。とりあえず卒業式から語っておこう。 3月7日、まさに俺の3年間をすばらしく象徴するかのような冷たい雨が終わることなく降り注ぐこの天気。ふさわしすぎるぜ!!そこまで俺に合わせてくれなくていいのに。 式のほうは去年よりおとなしめなものの着ぐるみを着てきたやつもいたりしてやはり他の高校とは違う。何かしら1発やろうかという計画もあったがテンション低いのと身内に不幸があったのとで自粛。卒業式2部では卒業生が出し物をやるわけだがまあ分かりやすく言えば文化祭のステージ発表のノリである。実に感動的なしかけで涙する人がゾロゾロ居たが俺自身は心が醒めきっているのを感じたのみであった。この学校に思い出があるから泣けるのであって後悔しかない俺にはどうして感動などできようか?みたいな。 で、最後担任に一言ずつ言われつつ証書をもらったのだが。 「●高は好きでしたか?」 と聞かれた。痛い質問である。まさか読んでいやがるのか?原由子!!(←ちなみに今年度いっぱいで更迭だそうだ) 「答えないことにしておく」 それが俺の答え。嫌いなわけではない。嫌いと答えるならばそれは逆恨みにしか過ぎないし。 そして解散。なんとみんなが名残惜しむ中、全卒業生中、最速で帰路に着くという大記録を樹立。もう2度と訪れることはないであろう場所、人達に静かに別れを告げたのであった。 完結 |
2003年03月11日 16時26分19秒
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まあ3年生は既に4月の日記からこれまで書いてきたことが全てだ。 ハメられた!! 以上。2年の最後に光が見えた気がしたのはあっさりとかき消されつまらない中のつまらないを100万回繰り返したような虚無の果てに行き着いたがそこには感情すらなかったみたいな。客観的に見ても3年間で一番まとまりのないクラスだったしね。 そんな中届けられた卒業写真集。今回はこいつを検証したい。 授業風景…見開きページ中いきなり2枚写っている。これは別に参加するとかしないとか関係ないので採用されたと思われる。この後を考えると俺のために用意されたのかもしれないとすら思える。 その他風景…授業以外学校に残ってないので1枚もなし。 部活…入ってないので何もなし。もしかして最後までなんにも入ってないのって俺だけじゃないのか? クラス1人1人…なんかやりきれない表情がにじみ出ててさみしかった。 体育祭…参加してないのでなし。 文化祭…じゃがいもゆでてるところにカメラが来ないのでなし。(1年) けっこう参加してたのにカメラが来たときいなかったのでなし(2年) 準備と片付けにしか参加してない。で当日はYASUの学校の文化祭に行ってたのでなし(3年) 遠足…カメラがいたことすら知らなかった(1年、2年) 林間学校…他ならぬ俺がフィルムを抹消したのでなし。写真枚数の少ないことから提出者が少なかった模様。 修学旅行…最終日にカメラに写ったのを覚えているが不採用だったようだ。 クラスページ…幼児期の写真は全員提出だったのであり。ただしみんなあだ名な中、Tシャツの時と同じで苗字がカタカナで示されている。「くん」がなくなっただけマシか。その他、教室なので撮った写真がたくさんあってみんな1回は写っているが俺だけ1枚もなし。授業以外は寝ているかいないかだったのが原因だと思われる。 全員写真…サングラスあり、メガネ、メガネなし、横にいるやつにサングラスなど4回くらい撮ってたのでどれが採用されるかとくだらない実験をしていたのだがメガネバージョンが採用されている。図書カードとして配られたのは細かいのでよく分からないがサングラスバージョンのようだ。 そんなわけで書いてて泣きたくなってくるくらい写ってない。ていうか参加してない…。 「3年間は短かった。」その意味は他の人と圧倒的に違う。楽しくて短かったのではなく何もせず流れていたので時を感じなかっただけに過ぎない。卒業式で涙を流すとすればそれは取り返しのつかない後悔の念。 と、きわめて暗いトーンで締めてみる。 |
2003年03月06日 16時09分48秒
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夏休みは郵便バイト第2部。前回と同じ地域を真夏の蜃気楼を眺めながら配達。今回の同僚はYASU。7月バイト開始直後は40℃近い炎天下の連発でマジで死にかけたが8月からは30℃ちょいでそれでも暑いんだけど一度向こうの世界をのぞきかけた我々には大したことなかった。時給は冬より低いものの配達量が少ないため時間をかせぎつつ帰還し帰還後は職員は配達に出ているのでうまくごまかしつつ上の食堂で連日のように同僚で同じ中学だった連中と通称800円トーク(←時給が800円。毎日2400円はトーク代だったな、ゲヘヘ・・・)を繰り広げて実に楽しいバイトだった。 そして再び現実の世界へつき返された秋。当初からやる気なく体育祭は出場拒否で失踪。文化祭はお化け屋敷でそれなりに参加するも最後の当番の時間に遊びに来てくれたYASUやウヤウヤらと会っていて逃走したのでまたも風当たりが悪くなる。ただ最も印象深い文化祭はこれだったと言える。この日は湿度の高いジメジメ残暑で部屋は猛暑で密封していたため涼しいはずのお化け屋敷はサウナ&酸素不足状態になり新感覚のお化け屋敷を提示することになりさらに無料開放したので客入りは行列が出きるほどであった。 で、強歩大会は・・・聞かないでおいて。 11月に沖縄への修学旅行。2日目以降 冬。バイト3部作完結編と銘打った最後の郵便バイト。今回の同僚はウヤウヤとかみかみ。かみかみは初出勤が遅かったために配達の仕事がなくなり配達の時給のままで時給の低い内務の仕事をやるというおいしい展開に。 一方で担当の兄ちゃんに元旦早々風邪を移されたり、残業が少なくて1年前ほどもうかんなかったりるする中でウヤウヤは男性ばかりの職場なのに女性職員が担当でコーヒーまでおごってもらう始末。なんだかセンチメンタルな展開で最後のバイトは完結した。 3学期は非常に楽しめた記憶がある。高校生活で最も楽しかったのはこの時期で仲間たちと出かけたスキー旅行でクライマックスを迎える。 しかしこうして一瞬ついた灯火は直後に完全に立ち消えてしまうこととなる。やはり何か自分から行動しない限りその火は続かないのである。はぁ…。 次回最終回!! |
2003年03月05日 16時28分11秒
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本日は予餞会とかいういわゆる3年生を送る会が開催された。教室に入るなり「卒業おめでとう」の文字、天井から で、いざ開演。最初に出てきたバンドはなかなかいい感じではあるがおそらく会場の95%以上が曲をまったく知らない(←これ致命的。ポップソングならともかく全編英語の洋楽っぽいのでは好みも偏る)ので拍手が小さく終わった。このような舞台に出るバンドはやりたいものをやる姿勢もかっこいいけどそうゆうのはライブハウスとかでやっていただきたい。ロードオブメジャーとか嫌いだけど演奏簡単らしいのでそういうみんなが知ってるのをやってくれぃ!! 映像作品はおもしろかった。 ダンスは・・・やはり分からない。だが毎日練習してる姿はやはり尊敬できる感じだ。 劇は主役が完全に主役、間違いなく主役、圧倒的に主役でセリフも2番手の5倍近い膨大な量だったがよく出来ました。 ただねぇ、捨てに捨てつづけた3年間だけに感動的な仕掛けをされても後悔が増すばかりで虚しさが突き上げてきた。別の意味で泣けてきやがるぜ… で、2年生編。確か前のクラスで仲良かったのと同じクラスになってそいつの机からおそらく上級生が置いていった『DNA』とかいう漫画が出てきたので2人で読みふけり気がついたらまたしても出遅れていた。以後、記憶に残る件はまったくなく何があったのかさっぱり覚えていない。 1年生のとき授業中かみかみから電話がかかってきたのを取り(着メロFOV『君がいたから』自作の単音)「授業中だ!」と叫んで切るという受け狙いがミリオン級の大笑い(保健の授業だったが授業が中断された。笑いで。)になったことがありそれは伝説と化したらしくその伝説を同じクラスだった別のやつ(林間でマジギレした人)が2年のクラスで何回も吹聴したため何かイメージが1人歩きしたのでなるべく奇行を心がけるようにしていた時期であったのだが…。覚えてない…。 なおこの時点でもうすっかりあきらめてしまっていたが「失敗だ!」とは認めることができずにいた時期でもある。 |
2003年03月04日 19時38分53秒
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9月、体育祭が訪れる。とりあえず綱引きに出場が決定。なんかかなりいいかげんなシステムで前日だかに予選とかほざいてそれに敗退したばかりに当日出番がなくなる。退屈だし残暑厳しいし、みんなどこ行ってんだかバラバラだし。自分の競技になると登場するんだけど。こういう時部活に入っていないといるとこがない。思いでまったくなし!! 続けて文化祭。クラスではじゃがバタをやる。仕事分担表は例によって例のごとく役立たずで来ないやつも続出。どういうわけか2日間、ひたすら調理室でじゃがいもを適度な柔らかさに煮るという作業に没頭。初めて高校で獲得したものは技能 じゃがいもの適度なゆで方というなんともいえない技能を修得。売上は好調で困ったことに100以上のじゃがいもをゆでながら一口も食べれないという非常事態をもって文化祭は終了した。確かこの時カーネル・S・マルオ氏が で、強歩大会・・・・・は飛ばそう。何も聞くな、な? 冬休み。郵便バイト3部作の第1弾。第3弾のときにウヤウヤから坂本ちゃんと命名されたおっさん、みんな職員はバイクなのに1人だけ自転車をこぐこのおっさんを担当に2週間配達する。この坂本ちゃん、実に説明が下手でカツゼツも悪く何言いたいんだか分からないので最初の道順解説もほとんど当てにならず結局自らの天才的直感によって道順を把握するはめになった。俺がたまたま天才だったから良かったものの凡才なヤツだったらブツブツ・・・(以下略) ちなみに当時の同僚はカーネル・S・マルオ氏で彼はこのバイトの後に別の定職(!?)につき今でもその仕事を続けているらしい。 で、気がついたら1年生が終わっていた。クラス解散だというのに何の感慨もなく鉄砲水が流れるように全てを流し荒らして去っていった感じだ。 1年生楽しい思い出ランキング 1位 郵便バイト第1弾 2位 林間2日目オンリー 3位 1年生嫌な思い出ランキング 1位 林間1日目、3日目 2位 体育祭 3位 その他 |
2003年03月02日 18時29分03秒
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つーことで3月1日朝8時55分くらい付で無事18歳を迎えることとなった。かと思いきやもう19歳を来月に控えてるヤツもいて複雑な感じだ。 これで競馬やらパチンコやら免許やらA○やらが18解禁となったわけだが。とりあえず第1弾は免許ですか?え、今教習所混んでるの? というわけで18歳になってもさして何も変わらない。本日は18歳記念ということで |
2003年03月01日 17時17分05秒
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既に記憶にない1学期を通り越して夏休み突入直後に林間学校があった。確か長野の志賀高原のほうの山へ向かった記憶がある。2泊3日、楽しさとつまらなさが同居する旅だった記憶がある。 初日は確か班別にカレー作ったあとにクラスごとの出し物があり俺が所属していたクラスはdream「Private Wars」とモー娘。の「LOVEマシーン」をキャミソール着て踊るというもの。女子は問題ないが男はいやだ。企画段階ではやくも俺がトップに立ったらおもしろいということでやらされそうになりながらなんとか脱出してきていたのだが結局強制全員出場。いざ当日になればいてもいなくても分からない上、衣装が足りないとかいつ出ればいいのかよく分からないとかで逃走することに成功したのだが、同室の男子数名からは激しく非難される。実は相棒と逃走したのだがなぜか俺に集中砲火。実にブルーな幕開けだった。 2日目は山登り。「どうせ目指すなら高みを」と女子が調子に乗ったためクラスでは俺たちの班だけが唯一3つある中の一番きついコースを選択するはめに。お腹壊してて近づいてくるヤツの気配を押さえ込みながらの登山は今思えばよく無事に戻ってこれたなと我ながら感動する。とにかく歩きまくり山の尾根づたいに歩きまくりガイドのおやじは「あの山に登ります」とか遥か彼方の山を指差しやがるし。(なんか中央が登山道らしくそこだけ茶色くむき出しになって見えた)オヤジなりの冗談かと思ったら本当だったし。でも頂上の景色は格別で感動。しかし帰り道は山下山後に別の道を延々下ったのだがガイドのオヤジ「もうすぐ川があるからそこで休憩。」と1時間以上同じことをリピートしながら進んでいきやがる。「もうすぐ川ならさっさと行きやがれ!」と斜面に向かって蹴っ飛ばそうかと思い始めた時やっと到着。その後は「すぐにゴールだ!」とやはり30分近く同じことをリピートしながらやっとゴール。 夜はキャンプファイヤーだの花火が10発くらいどっから予算出てたのか知らないが打ち上げられそれなりに楽しめた。2日目だけは実に楽しく過ごせた。 3日目。班長だったので卒業写真用というフィルムでとりまくっていたら「今のカッコとるんじゃねぇよ!」とかジャイアンでも言わないようなセリフをジャイアン口調でわめきだし挙句の果てにマジ切れされたのでこっちもキレて「あ〜そうかい!!」とフィルムを抜き出し感光させてさしあげた。卒業写真に俺と同じ班の人達の写真が1枚もないのはそういう理由が存在する。てかまともに提出していたのは半分くらいの班なので問題ないと思われる。なんにせよ最悪の旅の終わりとなった。 林間学校、2日目の山登り以外は実に最悪の旅であった。例えるなら旅行カバンを盗まれたとかバスに置いて行かれたとか財布落としたとかに匹敵する。 |
2003年02月28日 18時46分05秒
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コンセプトが180度変わったし、もう戦いは終了したのでまだ2月ではあるが日記を変更。本日、入学金だか授業料だかかなりの大金を支払ってきたのでもう間違いと言って来ても遅い。 既に何回も書いてきたがMy high school Lifeは灰色、いや無色に終わろうとしている。今回高校生活を振り返りいつどうしていれば良かったのかそのポイントを探ろうというとんでもない企画である。 そもそも高校選びの基準は俺が定めた前提条件に基づいて決められた。 ・近い ・入れそう ・制服はもういい そういうわけで決められた。同じレベルでYASUが選んだ高校は同じ中学から行くやつも多く俺自身性格的にもそちらのが合っているという確信が100%あったのだが当時の俺は制服はもういらなかったし、実に変化球を狙いたい気分だった。あえて真逆なとまではいかないが合わなそうなとこに身を投じるのもおもしろいかなと思ったのである。 そんなわけで俺は入学した。当時の日記によるとそれは2000年4月11日である。慣れないブレザーなぞを着て向かったその高校はやはり最初から俺の感性とずれていたのかもしれない。なんとまあ私服でラフな人が多いこと。さすがにこの時点で茶パツは数人しかいなかったが早くも不穏な空気はあった。ていうかね、みんな目がいいのかコンタクトか、メガネ君、さんが全然いなかった記憶がある。初日はそんなこんなで終了。翌日から先輩方がしきって自己紹介やらなんでもバスケットやら委員決めやらで無理やり盛り上がる。いきなりのこのノリに早くも顔が作り笑いになっていた気がするが…。まさか高校入学直後に小学校低学年以来、経験していなかったなんでもバスケットが来るとは夢にも思わず。 そして3日目。早くも当時の日記にはこんな記述がある。「みんなつまらなく見える」 以降日記は飛び飛びになりろくに記されない日が多くなる。 この時点での失敗を挙げる ・髪型がボッサボサだった。何を間違えたか当時受験前から伸ばしっぱなしでカーネル・S・マルオ氏に言わせれば80年代のフォークシンガー。結局6月に切ったが「何で切っちゃったの?」とこの髪型でかなりイメージが進行していたらしい発言を何人かに受けた。 ・迷ってるうちに結局部活入らず。これが最大の失敗と言える。 そんなわけで今思えば出足からして何か逆走していた気がひしひしする。 |
2003年02月27日 17時04分38秒
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