beginning
No | タイトル | 作詞 | 作曲 | 編曲 | 備考 |
1 | 星に願いを〜I wish upon a star〜 | 菅崎茜 | 増田恵子 | 尾城九龍 | |
2 | beginning dream | 菅崎茜 | 大野愛果 | 大賀好修 | 1stシングル 最高38位 売上0.9万枚 |
3 | La La La・・〜夢をみつめたままで〜 | 菅崎茜 | 岡本仁志 | 尾城九龍 | |
4 | いつまでもずっと | 菅崎茜 | 岡本仁志 | 小林哲 | |
5 | 君の名前 呼ぶだけで | 菅崎茜 | 徳永暁人 | 徳永暁人 | 2ndシングル 最高50位 売上0.4万枚 |
6 | 君に会いたくて | 菅崎茜 | 大野愛果 | 大賀好修 | |
7 | Ribbon in the sky | 菅崎茜 | 増田恵子 | 大賀好修 | |
8 | 春の陽だまりの中で | 菅崎茜 | 大野愛果 | 小林哲 | |
9 | Truth | 菅崎茜 | 大野愛果 | 大賀好修 | |
10 | ボーイフレンド | 菅崎茜 | 岡本仁志 | 大賀好修 | 3rdシングルC/W |
11 | Promises | 菅崎茜 | 麻井寛史 | 小林哲 | 1stシングルC/W |
12 | 恋ごころ | 菅崎茜 | 大野愛果 | 小林哲 | 3rdシングル 最高38位 売上0.7万枚 |
リリースデータ
2003年10月22日 | 初登場47位 | 売上0.7万枚 | Produced by KANONJI | GIZA studio |
菅崎茜、唯一のアルバム。1989年1月7日という昭和最後の日に生まれて2002年7月に13歳でデビュー。ここまでのシングル3作から5曲を収録。1stに収録されたリミックスを除くとオリジナル曲では2ndC/W「fly high」のみがアルバム未収録となった。『コナン』タイアップは回されず、TBS系で放送されていたアニメ『探偵学園Q』エンディングに「恋ごころ」が起用されたものの、『探偵学園Q』はタイアップ効果に乏しくこちらに回された岸本早未、北原愛子と揃って『コナン』には回してもらえず、いずれもヒットを飛ばせなかった(『探偵学園Q』自体は『金田一少年の事件簿』が一旦最終回を迎えた後に連載していた新たな探偵漫画で日テレでのドラマ化にも至っているのでそこそこ話題作ではあったが、アニメ版は原作終了前に謎を残したまま終了してしまった)。
今作を最後に新作リリースが停止。結果的に唯一のアルバムとなった。リリース時期ではこの1ヵ月後に出たTAK MATSUMOTO『THE HIT PARADE』に収録された「「いちご白書」をもう一度」のカバーが最後にリリースされた音源となる。以後は公式ページでのコラムの更新はマメに続いており、GIZA御用達のhillsパン工場ライブには何度も出演。2004〜2005年頃までは出演も多く、コラムではレコーディングやリリースを示唆する発言も何度か見られた。上原あずみが3年のブランクを経てリリース再開となる前例が出来た事からリリース再開が期待されたが2006年3月になってコラムが停止すると同時にライブ出演も停止。姿を見せなくなって1年が経過し、そのまま2007年春、自身の高校卒業の時期と重なるようにGIZAの所属歌手リスト、事務所からも名前が消滅。公式ページも消滅してしまった。一時GIZAのリストから消えた歌手でも後にGIZA及びビーイング本体の公式サイトの「OTHER ARTIST」枠に再掲載され、公式サイトが消滅してもMusingの簡易プロフィールページへリンクを飛ばす措置が取られているが、何故か菅崎茜はGIZA及びビーイング本体の公式サイトの「OTHER ARTIST」枠から消されたままとなっている。明確に契約解除に至った上原あずみだけではなく、菅崎茜が何故消されたままなのかは謎だが、上原あずみのようにMusingからも完全抹消ではなく、Musingのサイトには菅崎茜のページはある。
倉木麻衣の後継的なポジションと言われていたが、当時の倉木麻衣が多用していたCybersoundを起用せずに国内のGIZA作家のみで制作。生楽器はアコースティックギターが多用されている程度で当時流行りのチキチキタカタカした軽いリズムによるR&B的なサウンドに仕上げつつもしっとりとしていて日本的な雰囲気が強く、Cybersound中心だった当時の倉木麻衣とはその点で差別化を図っているようだ。歌詞は等身大な部分も散見されるが全体にはボーカルもクール系で大人っぽく、中学生シンガーのアルバムとは思えないような落ち着いた仕上がり。チキチキタカタカ系の範疇ではあるが、そこそこ色々曲調があるので一本調子にならず、曲もけっこう耳に残るものが多く、完成度は高い。筆頭作家の大野愛果をアルバム曲でも積極起用している事からもけっこう力は入れていたんじゃないかと思う(だったら「恋ごころ」の時に『コナン』くれよ)。
また当時13歳〜14歳という時期にして既にAZUKI 七の手を借りずに全曲自分で作詞しているのも目を引く。前述のように歌詞では中学生の等身大な面も見せているもののボーカルは年齢の割にはかなりしっかりしていて大人びていているのであまり若すぎる感じはしない。むしろ将来が末恐ろしい感じの期待の大型新人だったように思う。評判も悪くなかったみたいだし、これっきりになってしまったのは何故なのか…。10歳前後の頃には沖縄アクターズスクールに通っていたというから、本人の音楽嗜好がダンスミュージック系で今作とはかけ離れていたというのは1つあるのかもしれない。まさか岸本早未の路線の方が望みだった?いずれにしても再デビューを目指さそうとした形跡もなく、後年になってSNS上に出現する事もなく、キッパリとこの道を進むのは辞めてしまったっぽいのは惜しい。昭和最後の日に生まれただけに文字通りの昭和最後の歌姫とか一生使える強烈なキャッチになっただろうに。
あと当時はインターネットをフレッツで契約しているとパン工場ライブの中継(当時なので画質は悪かった)がサービスで観れたので何度か消える2005年頃のパン工場ライブも見たんだけど成長でだいぶ容姿が変わっていて今作までのジャケ写の少女と同一人物だと一見分からないくらい違う印象の普通の女子高生になっていた。
印象度★★★★☆
当時の感想を2025.4.1修正