BEST OF BEST 1000 織田哲郎
No | タイトル | 作詞 | 作曲 | 編曲 | 備考 |
1 | 揺れる想い | 坂井泉水 | 織田哲郎 | 織田哲郎 | ZARD提供曲 1stセルフカバーアルバム『SONGS』収録曲 |
2 | サヨナラから始めよう | 森友嵐 | 織田哲郎 | 織田哲郎 | T-BOLAN提供曲 1stセルフカバーアルバム『SONGS』収録曲 |
3 | 君の笑顔を守りたい | 織田哲郎、 萩原夕希 |
織田哲郎 | 織田哲郎 | 14thシングル 最高8位 売上18.6万枚 |
4 | チョット | 大黒摩季 | 織田哲郎 | 織田哲郎& DENNIS MATKOSKY |
大黒摩季提供曲 1stセルフカバーアルバム『SONGS』収録曲 |
5 | 愛が届くまで | 織田哲郎 | 織田哲郎 | 織田哲郎 | 11thアルバム『T』収録曲 |
6 | 君の瞳にRainbow | 織田哲郎 | 織田哲郎 | 織田哲郎 | 12thシングル 最高17位 売上14.8万枚 |
7 | いつまでも変わらぬ愛を | 織田哲郎 | 織田哲郎 | 織田哲郎 | 11thシングル 最高1位 売上92.9万枚 |
8 | DON'T YOU WANNA TOUCH ME? | 織田哲郎 | 織田哲郎 | 織田哲郎 | 14thシングルC/W(カット、Studio Live)Ver.、10thアルバム『ENDLESS DREAM』収録曲 |
9 | Why Did You Go Away | 亜蘭知子 | 織田哲郎 | 織田哲郎 | 渚のオールスターズ提供曲 11thシングルC/W |
10 | (JOURNEY TO THE)ENDLESS DREAM | 織田哲郎 | 織田哲郎 | 織田哲郎 | 10thアルバム『ENDLESS DREAM』収録曲 |
11 | 君に会うために | 織田哲郎 | 織田哲郎 | 織田哲郎 | 10thアルバム『ENDLESS DREAM』収録曲 |
12 | 過ぎゆくすべてに | 織田哲郎 | 織田哲郎 | 織田哲郎 | 10thアルバム『ENDLESS DREAM』収録曲 |
リリースデータ
2007年12月12日 | 初登場169位 | 売上0.4万枚 | B-Gram Records |
織田哲郎2nd非公認ベストアルバム。1050円の廉価で10作まとめて発売された90年代ビーイングのBEST OF BEST 1000シリーズの1作。シングルサイズのジャケットでライナーが付属。BMGルームスから発売されたシングルとアルバムからの選曲となっているため、今作の収録範囲は92年〜94年となっている。「Why Did You Go Away」がアルバム初収録。「DON'T YOU WANNA TOUCH ME?」は表記は無いが14thシングルC/WのStudio Liveバージョンでの収録になっている模様。この時期のシングルのうち今作のジャケットに流用されたシングル「朝がくるまで」は未収録。シリーズの特設サイト(http://beinggiza.com/bob/index.html)も用意され、封入されているライナーノーツが発売間もなくして全作分公開されていたが、2016年後半になり大黒摩季のビーイング復帰とほぼ時を同じくしてサイトごと削除された(アーカイブより2016年前半まで存在していた事が確認できる)。ただし同じ文章がBARKSにそのまま転載の形で掲載した記事として残されている。
『complete of 織田哲郎 at the BEING studio』に続く非公認ベストだが、今回はセルフカバーを減らしてオリジナル曲を中心とした選曲に変更。というかこの収録範囲では3枚(オリジナルは2枚)しかアルバム出てないので、オリジナル中心にしたというよりも収録範囲内のシングル、アルバムから前のように『SONGS』に偏らないように普通に選曲したらこうなったといった感じだろうか。収録範囲が狭すぎるところはあるけど、前回よりはまだソロミュージシャン織田哲郎の作品らしくはなっていると思う。
ただライナーが前より凄い事に…。『at the BEING studio』の時は情報の間違いは多かったものの、文章を書いたのは別のライターだったため好意的な視点で書かれていたが今作では一転している。今回は『at the BEING studio』での取材者がそのまま『at the BEING studio』時の文章を転用しながら怒り任せに書き殴ったかようでかなり感情的だ。大黒摩季に続いて、露骨な嫌がらせ目的のような文章で、大黒摩季の同作ライナーと同様に基本的にプロデューサー長戸大幸を持ち上げながら本人を落とすような文章構成を多用。やたらと「長戸が〜(元の曲を変更した)」の連発。しかし一方で大黒摩季作品では入れていた「チョット」の作詞名義にビーイングスタッフ表記を入れないなどMANISHでの大黒摩季作詞楽曲に続いて意外と徹底していなかったりもする。
・ZARD作品に関して「実際は長戸が原曲のメロディーをかなり変更して最終形に落とし込んだ」と記載。
「揺れる想い」→長戸がサビのメロディーを勝手に変えてしまっている
「マイフレンド」→長戸が勝手に別の2曲の頭とサビをくっつけて1曲にしたもの
その他色んな曲を例に出して誰用に書いてボツになっていたのを長戸がストックを掘り起こしたと記載。
→織田さん自身の最新インタビューでの発言(下記参照)と少しニュアンスに食い違いがあるような印象も受けるが、要するにゴチャゴチャ実例を列挙してまで主張したいのは織田哲郎はZARDを始めそれぞれのために曲を書き下ろしていたわけではなく、大量のデモテープを提出していただけでそのストックから長戸大幸が拾い上げて時には変更・修正も施して楽曲として成立させた、だから功労者は長戸大幸なのである、と言いたいのだろうか…。
・長戸が審査員をしていたオーディションで相川七瀬を発掘した織田が、よりによって新興勢力のエイベックスと組んで、長戸がビーイング一期生として送り込んだ三原順子の不良少女のイメージと同じ手法で相川を売り出した。これでビーイングと袂を分かたざるを得ないのは当然と指摘。
→ビーイング復帰をする者も増えている中で織田哲郎とビーイングは絶縁状態が続いており(ビーイング在籍の作家陣が織田哲郎の演奏やアレンジに参加することはある)、その理由の一端が見えるのがこの部分だ。
特に双方の記述に相違がみられる部分でもあり、織田哲郎本人は後に当時のことをこう振り返っている。要約すると事務所は既に独立していたけどビーイングにはちゃんと挨拶に行って相川七瀬を一緒にやるつもりだったのに売れないからやらないと言われ、他へもっていってもいいのかと確認したら「好きにしていいよ」と言ったと。この挨拶した相手は恐らく長戸大幸ではなく別の上層部と思われる。90年代半ば頃には長戸大幸は引退して名前を出さなくなり一線を退いていたので、形式上ビーイングに挨拶に行く=長戸大幸の許可を取るという事ではなかったんだろうけど、少なくともライナー執筆者にとってはそうではなかった、長戸大幸への挨拶もなしに相川七瀬を他社に持って行ったのは裏切りで許せない、という事なのだろうか。
・高2の時にギタリスト北島健二とグラムロックバンドを結成→グラムロックバンドなんてやってない。
→間違いに関しては前回に続いて織田さん自身が日記にて指摘していた。今回も前回同様に「俺んとこ取材にきてくれればいいのに」と2度も同じ事書かれる始末。
なお織田哲郎が自ら07年当時のインタビューで語ったヒストリーに関してはるこちらで見る事が出来る。
印象度★★★★☆
2019.6.24修正