14th glory colors~風のトビラ~

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14th glory colors~風のトビラ~

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04年8月4日
3度目にしてTOMOKA加入の新体制で初、4人全員が高校生である最初で最後の夏でもある全国ツアー「ZONE SUMMER LIVE 2004 ガッツン!といっきまSHOW!!」初日(8月7日)直前の新作シングル。過去2度はライブハウスツアーだったので今作で初めてホールツアーへと規模を拡大。LIVE HOUSE SPECIALと題した大阪・名古屋・東京での3本のライブハウス公演も行われそちらではセットリストを変更していた。

前2作の売上が伸び悩んだためか、POP&CUTE路線からバラード路線へ戻し、“新生ZONE”アピールもされなくなった。しかし今作でもさらに売上を落とす結果となり、ついに5万割れとなった。今作とツアー終了を最後にZONEとしての次の活動の情報が一切出てこなくなったが、ツアー終了後にMIZUHOの脱退問題が浮上しての事実上の活動停止状態になっていたのではないかと思われる。

初回盤はオリジナルステッカー3種のうち1種封入。過去最高にやる気のないというか需要を満たさない代物でメンバー写真ではなくドット風のパソコンアイコンみたいな絵が並んでいるというかなり味気ない謎ステッカーであった。

レーベルゲートCD2仕様での最終作品となり、CCCD導入を推進していたエイベックスがまさにちょうどこの時期に内紛を起こして社長交代に伴ってCCCD弾力化を発表、ソニーも即追従して完全撤退を宣言。限定盤以外は基本的に通常のCDで再発して対応した。

glory colors~風のトビラ~

作詞:渡辺なつみ、渡辺未来、作曲:渡辺未来、編曲:山原一浩
朝日放送高校野球番組統一テーマ曲。『速報!甲子園への道』や『熱闘甲子園』など朝日放送制作の高校野球関連のテーマソングとして使用された。この年の全国高等学校野球選手権大会ではZONEの地元北海道の駒大苫小牧が北海道勢初優勝という快挙を達成(翌年夏も優勝して夏2連覇)。MIYUが大会歌「栄冠は君に輝く」をソロで担当していた事もあり、ツアー中に優勝が決まってライブで単独歌唱する場面もあるなど身内では盛り上がっていた…が、セールス面の不調にもあるようにあまり世間には記憶されていない。2004年夏と言えばアテネオリンピックであり、伸身の新月面が描く放物線は栄光への架け橋だ!に始まり霊長類最強の人のオリンピック1回目金メダルとか当時はそれよりも銅メダルの人のお父さんの気合だ気合だ気合だの方がインパクトあって有名だったとか水泳の人の超キモチイイだとかママでも金だとかハンマー投げの人とか、アーチェリーの人が高校の先生だとか、日本は37個ものメダルをゲットして盛り上がっていたので高校野球の話題は例年よりも埋もれまくっていた。

新生ZONEとしての前2作の流れを断ち切って今作では従来のセツナ系バラード路線に戻しており、なんと町田紀彦まで外されてしまった。渡辺なつみ、渡辺未来というこれまたTOKIOに提供していた作家が登板(渡辺未来は「空想と現実の夜明け」やMIZUHOのソロ曲「GO!」を提供した事はある)してアレンジはA面最多登板となる山原一浩。なんでこんなにもTOKIOへの提供作家と重複が多かったのかと言うとZONEのデビューとTOKIOがソニーを離れたのがほぼ同じタイミングでソニーのTOKIO担当チームがZONEにスライドしたという事情もあったようだ。

久々に町田紀彦以外のA面採用という事だったが、新鮮味に欠ける置きに行ったような「僕の手紙」路線と大差ない印象だったので発売当時はいい曲だけどなんだかなぁ…せっかく違う作家起用したのにいつもと変わらないじゃんというのが正直なところだった。いつまでも新生ZONEとかアピールするのもどうかとは思うが新生ZONE初ツアーのタイミングだったしこの辺りまでは新生ZONEアピールのままでも違和感は無かったのに急にピタリ言わなくなったのと前2作のフレッシュな勢いも無くなって、昔に戻ってしまったみたいなのはちょっと違和感があった。アイドル路線に行き過ぎるのは多くのファンが危惧していたので(ライブ最前でコールとかしているコアファンはどうだったか知らないけど)、ツアーに向けてはアルバム『N』に続けてのロック路線が1番望まれていたんじゃないかと。

そんなわけで普通にいい曲以上の印象は長年無かったんだけど、年月を重ねて聞いてみるとなんだかとてもノスタルジックというか、04年の遠いあの夏が刻まれているような…不思議な感覚になり、当時よりも随分と名曲に感じられるようになった。他の曲で年月を経て印象がここまで変わった曲って無いんだけど、改めて聞くと当時より”キラキラと輝き続けている”んだよな…。

今作では編成もだいぶ変更されていてMIYUの単独メインボーカル+サビや大サビでMAIKOがハモりを入れるのみでTOMOKA、MIZUHOは歌っていない(TV出演時はマイクもセットされていなかった)。またTOMOKAがキーボードに変更になっているためMIYUがメインボーカルしながらリードギターとなっていた。MIZUHO曰く「MIYUがメインボーカル、TOMOKAがキーボードで、MAIKOがハモり、MIZUHOが髪をパーマにした」と今作でのいつもと違う点をアピールしていた。即戦力として起用していたTOMOKAをいきなりボーカルから完全に外して、ギターからキーボードへチェンジさせるなど、明らかに片隅に追いやるような扱いは迷走している感もあったが、これも新生ZONE(正確にはそれ以前から)のセールス右肩下がりによる影響だったのだろうか(新メンバーTOMOKA押しでやってきたがちょっといったん止めてみよう的な)。

当時のTV出演、実際の04年夏ツアーでの生演奏においてもこの編成で披露されていたが、解散ツアー、解散武道館ライブではTOMOKAはギターを担当していてキーボードのパートは同期で流していた。”10年後の8月”でも同様で、TOMOKAキーボードとはなんだったのか。

またライブではグッズとして紙飛行機セットを500円で販売、最後のサビで観客が一斉に飛ばすという試みをやろうというのが事前に告知され、以後定番化した。これは現役時代だけでなく”10年後の8月”以降もそのまま続けられ、当時のファンたちが6年ぶりに紙飛行機を飛ばし、この光景を見たメンバーはついにこらえきれなくなり感涙。04年夏のツアーは1本目の埼玉戸田公演を見に行ったのでまさにこの試みの1番最初の瞬間を見る事となった。ファンクラブではペンライトと紙飛行機セットの購入を必須としてアピールしていたが、そんな残らない品を買うよりパンフレットとリュックを買うぞ!と意気込んでいたため申し訳ないが全力スルーお前本当にファンだったのか。それ以前に長蛇の列過ぎて開演前にはどっちみち買う事ができず、終演後にも長蛇の列でなんとかお目当てのパンフレットとリュックを買って帰ろうとすると今度は戸田市の花火大会終了が重なって帰りの電車が地獄だった思い出。

で、当初の紙飛行機はかなり改良の余地ありな代物でけっこうしっかりした厚紙だったため、飛ばしてもあまり飛距離が伸びずにすぐに垂直急降下で墜落していく始末。明らかに観客もメンバーも 思 っ て た の と な ん か 違 う と瞬間的に思いを共有したのではないかというくらい墜落していったのだった…。しかも飛行機の先が尖っているため、2階席から直撃を受ける1階席や前列の人たちにはリアルに飛行機が直撃で刺さりまくって痛かったらしく、ツアー中に紙飛行機に改良を加えて先を丸くして痛くないようにしたらしい。飛行能力はその後もあまり改善されなかったらしく、解散ライブでも飛んでいるというより何か飛び交っているという感じの光景が記録されている。しかも明らかに1階席の人たちとか自分のところに墜落してきたのを拾って曲終盤までチョイチョイ再度飛ばしたりしているし…。そもそもなんでこの曲で紙飛行機を飛ばすのか、特に関連のある歌詞があるわけでもなく、実は未だに理由は良く分かっていない本当にファンか?

MVは田舎の高校が舞台になっていて一般人の学生たちの青春模様とメンバーの演奏シーンで構成されているが、メンバー4人が揃って演奏するシーンが一切なく、4人それぞれのソロでの演奏シーンを組み合わせたものとなっている。3人は教室や倉庫で演奏しているがMIZUHOだけ校庭でドラム叩いてる。終盤のイメージカットで4人が揃うシーンも出てくるが、4人そろって演奏してないというのは偶然にもこの後のバラバラになる未来(解散)を予見していたかのようである。”10年後の8月”ライブのOP映像ではMIZUHOが参加しないので極力3人だけの映像に加工して使用していたが、まさにこのMVでの4人揃った部分のMIZUHOだけ切り取って3人だったかのように流していたのでちょっと複雑だった。

またタイアップ決定時のニュースを流していたときはまだMVが無かったが、スタジオでのレコーディング風の映像(MIYUがブースで歌唱、メンバー3人がスタジオで演奏している風)を使っていた。この時はTOMOKAがギターを持っていてキーボード構想は直前で決まったことが伺える。
★★★★★
1stベスト『E~Complete A side Singles~
トリビュート+3rdベスト『ZONEトリビュート~君がくれたもの~』DISC-2(期間限定生産盤)-original best side-

C/W Once Again

作詞作曲:町田紀彦、編曲:山原一浩
アオキーズ・ピザ夏キャンペーンCMソング。メンバーもCMに出演していた。

「一緒にいたかった」に続く合唱系ミディアム。バンド演奏される「一緒にいたかった」と異なり、04年夏のツアーでも解散ライブでも演奏なしのカラオケで歌われていたため、せっかくバンドアレンジで制作されたのに1度も生演奏されなかった。”10年後の8月”でも”2人になりましたけど…NANIKA?”でも一貫してカラオケであった。

「一緒にいたかった」よりも湿っぽくなく明るく終われるのでラストの新定番曲として恐らく定着しうる楽曲だったのではないかと思う。実際再結成以降でも積極的にラスト付近で披露していた。当初からライブで合唱するのを目的としており発売前からメンバーもその旨アナウンスしていた。ただ前述のツアー初日は発売から数日しか経っていなかったため、観客もちゃんと曲を覚えておらず、そもそも男性ファンが圧倒的な中で女の子向けに作られたキーの曲を合唱しようとすれば野郎共は低音地声で歌うしかなく、必然的に暗~くなってしまい、なかなか難しいところがあった。恥ずかしがり屋が多かったのかもしれないが、ほとんどみんな歌えてなくて、かなり微妙な空気が漂ったのを記憶している。
★★★☆☆
2ndベスト『ura E~Complete B side Melodies~

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