2001年、浦和市・大宮市・与野市の3市合併により「さいたま市」が爆誕。何故ひらがな…と多くの市民が疑問に思う暇もなくやがて岩槻市も吸収された。これに伴い、新たに「区」が誕生し、浦和区・大宮区・岩槻区という名称で3市は形を変えながらも名前は残ったが、何故か与野区は生まれず、与野市だったところは概ね中央区という名称に変えられてしまい、与野だけが消失した。しかし与野・北与野・南与野という3駅もあった駅名は変更されなかったため、3駅に「与野」が残ったまま現在に至る。
1984年頃に与野市は市内にある神社仏閣から与野七福神を制定、与野周辺では該当神社に看板が設置されなんとな~く知っているようなスポットと化していた。これは与野が消滅した現在も「与野七福神」として存在し続けている。
ただ明らかに途中で場所が予告なく変更になっており、恐らく他と離れていて巡るのに効率が悪かった3ヵ所を1997年、2007年、2014年に3回変更して現在に至っているようだ。
で、実はこのうち2014年に変更され七福神では無くなった場所、ここが2010年代の正月初詣日記でお馴染みの「寺はあるのかドキュメント」のところ。2005年1月にはあった寺社が、2008年1月に消失、プレハブ化しておりそのまま2014年まで毎年寺が無いというネタをやっていたのが2015年1月に復活していた。つまり寺が無くプレハブだった時期もずっと七福神の1つに指定されていたのに寺が復活したのとクロスして七福神落ち(?)してしまったというのだ…。
そんな謎の与野七福神。今年こそ巡ってみるかという事で1月上旬、早速出向いてみた。なおイベントとして行われているのは三が日のみで1月5日時点で既に平常モードとなっていて巡っても何ら集めるもの(御朱印)はなく、中にはご丁寧に御朱印は三が日しかやりませんと明記しているところもあった。そもそも大半の場所に人がいない。
福禄寿。上町氷川神社。おみくじバトルでお馴染みの通称「総本山」(大宮)の通称「支店」の1つ。福禄寿に該当する場所は元々はここからもっと遠いところにあったようだが、2007年にここに変更になった。
広いんだけど1月5日で既にこの閑散っぷり。総本山とはえらい違いというかそもそも正月以外には常駐している人がいない(売る人がいないのでおみくじも絵馬もお守りも何も手に入らない)ようなので仕方ないのか。ここから南下していく。
恵比寿天。一山神社。今回唯一人がいておみくじやお守りを売っていた場所。道路沿いに物凄くひっそりあるので看板が無いと気付かない。
このようにほそなが~く奥にある。
神秘的な雰囲気という点では七福神最強といえる場所なのではないか。
大黒天。円乗院。以前は確か道路沿いに他と同じような「与野七福神 大黒天 円乗院」の縦長看板があったはずなんだけど、いつの間にかこの異様な雰囲気の看板に置き換えられていた。
ど、どうしてこうなった…!?なんか怖いんですけど…。インドがどうとか書いてあったのでヒンズー的なナニカなの?
規模感では他を圧倒しておりデカく迫力がある。ただ騒がしい参拝客が多いのか静かに参拝してくれ的な張り紙や七福神の御朱印は三が日しかやらないというような注意書きが目立った。
弁財天。御嶽社。与野公園の真北にある。この弁財天こそが先の「寺はあるのかドキュメント」の場所がかつて担当していたもので現在のところ最新となる2014年に移動してきた場所。ただ場所自体はだいぶ年季が入っていた。
やや小さめだが実はこれではなく、この写真を撮ったところから真左にあるのが弁財天。何故かタイミング的に物凄く人がたむろっていたので写真は無し。
寿老人。天祖神社。与野公園の中に唐突にある。同じ公園内でも遊具がある付近はファミリーでにぎわっていたが、この場所は閑散としていた。
布袋尊。円福寺。与野公園からさらに南下し、完全に住宅街の中にある。ここは寺というより完全に墓地であり、思いっきり法事をやっていて喪服の人たちがゾロゾロ出てきたので建物の写真は無し。
毘沙門天。鈴谷大堂。ここも思いっきり墓地。先ほどの場所と違い法事は行われておらず、無人の墓地状態だった。全く縁のない墓地に真昼間といえノコノコ単身でうろつくのはちょっと怖い…。
というわけで与野七福神コンプリート。まあ地元周辺の人のウォーキング運動コースって感じだろうか。一応年中「与野七福神」の旗がパタパタしている割には…1月5日で既に大半の場所に誰もいないからこれ以上の観光スポット化は難しい気はした。
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