思い出の平成音楽~平成3年(1991)~

幼稚園年長~小学1年生。1,2年生の担任が凄く怖い女教師で何かのタイミングで給食を残した時に無理やりスプーンを口に突っ込まれてリバース。以降給食が恐怖になり、小学校6年間、1番嫌な時間が給食の時間になった。

1990年~1991年にかけてスキーを習得。特訓の地は今は無きスキー場「加山キャプテンコースト」。海のイメージが強い加山雄三が冬にも挑んで実際にバブルの勢いで作ってしまった新潟湯沢のスキー場である。あまりの才能の無さに父ではなく(甘えてしまうため)、叔父による泣きの猛特訓の末に滑れるようになる。かなり苦労したがおかげで唯一出来るスポーツとして定着した。なお数年後、弟はそんな猛特訓など必要とせずにスイスイ滑れるようになっていた。

そんな記憶はあるが引き続き音楽のリアルタイムの記憶は皆無。

ただ運動会の時の紅組の応援歌がKANの「愛は勝つ」を替え歌した「赤は勝つ」だったのでこれはかなり記憶に残っている。白組だったので相手の曲の方がいいなとうらやましかった(白は替え歌でもなんでもなくて単なる短い掛け声みたいな応援だったので)。

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思い出の平成音楽~平成2年(1990)~

幼稚園年中~年長(5歳)。みんな大好き90年代に突入。年齢的に「おどるポンポコリン」で沸いていた子供達なんだろうなと思うし、たぶん運動会とかでも使用されていたとは思うんだけど、特別この曲をみんなで合唱したり踊ったりなんていう形で参加するように盛り上がっていた記憶は実はない。ただ確実に知ってはいたと思う。

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思い出の平成音楽~平成元年(1989)~

平成元年は4歳。個人的な最初の記憶は弟が生まれた時に病院に見に行った前後の頃くらいなので前年の88年くらい。元号が変わるという事は分かっていなかったと思うけど、「仮面ライダーBLACK」を後半くらいから、「仮面ライダーBLACK RX」は最初から見ていたのは覚えている。

で、確かBLACKの最終回前からRXの序盤頃にかけてやたらと放送中に画面上部に点滅白字が入ったり(ニュース速報)、放送が飛んだりしたのは覚えている。今にしてみるとどうやらこれが体調を崩した後に逐一昭和天皇の容体が伝えられていた、というものだったらしい。そして放送が飛んだというのは崩御に伴う特別報道番組、そこが元号が切り替わったタイミングだったようだ。平成は個人的にはそんな感じで始まっていたらしい。

そんな幼少期なので、リアルタイムの音楽の記憶は前述のRXの主題歌くらいしかない。仮面ラーイダーブラック!アールエックス!!(スチャン、チャン、チャンチャン、チャチャン♪(シンセ音))とかそんなんだった。しかしよく考えたら88年秋から放送開始だった89年1番良く聞いた曲ではあるけど89年の曲ではないんだな。

前年の88年は光GENJIの最盛期で、光GENJIがTVに出ると喜んでいたらしいが、曲としては記憶していない。「パラダイス銀河」とかで喜んでいたと思うんだけど、曲を把握したのは後年で、ローラースケートで動き回っているのだけおぼろげに覚えている。 「思い出の平成音楽~平成元年(1989)~」の続きを読む…

日本ボロ宿紀行 12話

最終回は神奈川県みよし旅館が舞台。漁港での営業に失敗した2人はいつものように宿へ向かうが、いつもはボロっぷりに目を輝かせる春子(深川麻衣)が終始浮かない表情。一応龍二(高橋和也)がボロっぷりへのツッコミを代行していたが、これでは何だかいつもよりつまらない旅館みたいではないか…。

春子はこのままでは勝ち目が無く、営業を回る資金も無いため、東京に戻ろうと告げる。東京に戻って新曲を作って改めて勝負しようと今更当たり前な事を言い出す春子。そもそも20年前の小ヒット曲を今になってもう1回売ろうという前提に無理があったままここまで来てしまったのに最後の最後で新曲を出そうとか当たり前な事言い出されても…。

龍二は新曲を作る資金も無いだろうと告げるが、春子はバイトして資金を作ると宣言。そこまでしなくても「旅人」の歌唱印税を使えばいいという龍二だったが、実は印税など既に発生しておらず毎月振り込まれていた印税と思われたお金は故・社長(平田満)のポケットマネーであった。それを初めて知った龍二はさすがにショックを受け、春子の前では明るく振る舞っていたが翌日引退すると置手紙を残して姿を消す

一方の春子はこれまでの旅館女将(根岸季衣)に励まされて龍二の歌が好きだという原点を信じて旅を続けることを決意。消えた龍二を追いかけて思いを告げ改めて2人で営業の旅を続けることになり終了。

今回は宿よりも最終回展開に重きが置かれていた感じ。お決まりな展開ではあったけど、そもそも20年前のヒット曲が何故か大量に余ってるので今更営業に出てもう1回売ろうとするという旅の前提が微妙すぎたのが効いてしまい旅を続けるか否かでシリアスになるには色々おかしくなってしまったような。

演じている高橋和也本人が「旅人」を80年代にヒットした歌謡曲の設定、と思いっきり勘違いしてしまっているところも含めて設定にとにかく無茶があった。20年前のヒット曲なので99年のヒット曲のはずなんだけど、制作側含めて感覚が30年前になっててズレてしまっているという。高橋和也本人にしてみれば男闘呼組が活躍していたのが30年以上前なので若い時のヒットなら80年代という感覚から来るものだろうけど…。

それにしても社会全体の高齢化の影響なのか、来年には20年前が2000年になるという事実、来年から80年代が40年前に、90年代が30年前になっていくのを忘れがちだ。

20年前のヒット曲「旅人」の知名度を餌にして余っている売れなかった最後に出せた新曲を売るとか、20年前のヒット曲「旅人」を餌にしてこれが売れなかったらおしまいな最後の新曲を最後にならないように売るとかそういう設定が本来自然だったはずなんだけど、いずれにしても最低2曲用意しないといけないので不自然にしてでも1曲を選んで設定した結果、変な前提になってしまって結局「旅人」はヒットしたんだか売れなかったんだか良く分からねぇっていう変な事になったのか。ていうかいっそもっとテキトーに昔ちょっと売れただけ(何が売れたかは明示しない)の過去の歌謡歌手が再起をかけての「旅人」で地方営業するっていうもっとボヤっとした前提を用意した方がマシだった。

それにしたって主題歌枠は別にあって別の人が歌っているんだから挿入歌と主題歌で2曲で良かった気がしなくもない。まだCDが売れている時代だったら、「旅人」を当然CD化していただろうから自然に2曲用意できていたのだろうか…。

2人の関係性やボロ宿独特の雰囲気など、空気感は非常に良かったのと秋の山々の自然風景も癒されるものだっただけに、この変な設定を一旦破棄、リセットしてしての続編を期待したい。

ジオシティーズFOREVER

もう特定以上の世代じゃないと分からないかもしれないが、ジオシティーズが3月31日付で予告通り消滅した。02年の開設当初ジオシティーズから始まったこのサイト、当時のアドレスは…

http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Miyuki/3496/

というものであった。独立移籍後、現サイトへ飛ばすためのトップページ(と墓場化した「今週のチャート」)はずっと残してあったが、見ての通り終了告知である。

最も有名だった無料ホームーページがジオシティーズだったので今から無料ホームページを作ろうとすると…まあ探せば色々あるんだけど、容量の問題とかで現代だと特に苦労するかもしれない。うちのサイトも移籍理由が容量の問題だった。なんせ当時は30MBとか50MBしか使えなかったわけで、時代の進化と共に巨大化した携帯画像ファイルなんてそのまま貼り付けようものならあっという間に容量MAXであった。初期のネットデジオもカーネル・S・マルオ氏がいかに音質を落とさずにファイルサイズを小さくするかに苦心して編集していた。

何にせよ一斉に消えてしまったジオシティーズ。それは00年代のインターネットの歴史的遺産でもあったわけだけど、その大半が移籍も無く消えてしまったのはかなり残念な気もある。

一部ブログ化も進んでいるが、当サイトのトップページ及びアルバム感想ページ等の見た目はジオシティーズが消滅してもジオシティーズ時代を彷彿とさせるデザインとして今後ますます懐かしがられるようになる予感がしている。Front Page Expressが次にPCを買い替えた時にまだ動くかどうか次第ではあるが、ジオシティーズ、Front Page Express、ISDN、ADSL…など消えていったインターネットワードを思い出させるサイトとして今後も更新していく所存である。

雑記