WANDS 30周年全曲回顧~2期 1993-1996~
大島康祐の脱退により、新たにキーボードとして木村真也が加入。ジャケット写真に登場したのは中山美穂&WANDSでの「世界中の誰よりきっと」からだったが、当時はメガネをかけていなかった。「時の扉」のジャケットでもかけていないが、アルバム『時の扉』以降はトレードマークであるデカメガネをかけるようになった。目が悪いわけではなくキャラ付け(?)でかけていただけのようで、3期になった直後まではこのスタイルだったがその後は長髪グラサン姿へとトランスフォームを遂げた。5期始動時には2期当時のデカメガネ姿を忠実に再現している。
93年はブレイクもあって怒涛のリリースラッシュとなったが、大島康祐のストック曲、新規の提供曲も引き続き採用されていた。メンバーの自作も行われていたが、ギターの柴崎浩による作曲はC/W、アルバムに留まり、提供曲によるヒットが中心だった。94年は一転して6月に発売された「世界が終るまでは…」1作ポッキリで沈黙。
95年以降は急速にロック色を強めた。生音バンドサウンドへ移行し、オルナタ方面へ向かった結果、キャッチ―さは薄れ、ヒットからも遠ざかっていく事となった。あまりに急速にやりたい方向に舵を切りすぎたゆえか、「WORST CRIME~About a rock star who was a swindler~」の次のシングルとして用意された曲は(用意されたと言っているので提供だった模様)ポップ路線で、もう無理だと感じた上杉昇は脱退を決意。上杉のいないWANDSに興味がないとした柴崎浩もそれに追従して共に脱退して、他社でal.ni.coを結成。結局上杉と柴崎の間にも音楽性の隔たりが決定的となり、al.ni.coは立て続けにシングル3枚、アルバム1枚をリリースして1stツアーを行うも1年以上の沈黙の末に解散してしまった。
現在はこれらの脱退~al.ni.co解散までの経緯が上杉昇本人の著書によって修正されており、実際には上杉1人で辞めるつもりだったが、脱退を先導していた人物が相手先に柴崎も欲しいと言われたので柴崎も説得して辞めさせた、この人物は上杉には自分がやりたい事だけやればいいと言っていたが、柴崎には最初は上杉に自由にやらせて徐々に自分の音楽性を入れていけばいいなどと双方に違う事を言っていたらしく、この事がal.ni.co解散へと決定的に繋がったとされる。さらにはal.ni.co解散を巡っても契約と違うとかで相当揉めることになるなど、脱退を先導したという人物にまだ若かった2人はある意味騙されたといってもいいような状況だった事が伺える。この問題の人物に関しては実名を公表していない。
コメント
上杉さんの自伝に出ていた「K」なる人物。WANDSのFC会報やライブパンフレットには「K」と思われる人物の名前が載っているようですよ。