2017年9月公開。
元は2005年の劇団イキウメによる舞台作品で、その後2007年、2011年にも別キャストで舞台化され、2007年には舞台を元に小説化もされていた作品の映画化。映画に合わせて小説が文庫化されたほか、公開1ヶ月後には4度目となる舞台化も行われた。
また映画とは別設定、別キャストのアナザーストーリーとした「予兆 散歩する侵略者」がWOWOWで全5回の連続ドラマとしても放送された。
概要
縁日で金魚すくいをしていた女子高生あきら(恒松祐里)だったが、家族が惨殺されて1人生き残り血まみれのまま街をさまよって警察に保護された。
イラストレーターの鳴海(長澤まさみ)は不仲だった夫の真治(松田龍平)が数日間行方不明の末に記憶喪失で保護され、全く何も分からない様子どころか性格が別人になってしまっていて戸惑う。「ガイドになってくれ」という真治だが…。
鳴海の妹(前田敦子)に家族について教えてもらっていた真治は、その概念をもらうとして妹から「家族」の概念を奪ってしまった。これにより妹は突如姉の鳴海に敵意を見せて帰ってしまう。
その頃、あきらの家族惨殺事件を追う事になった記者の桜井(長谷川博己)は天野(高杉真宙)という謎の若者に侵略目的の宇宙人だと聞かされ、仲間のあきらを探しているので「ガイドになって一緒に探してくれ」と言われる。半信半疑ながら協力した桜井だったが、天野とあきらが合流後に「その概念をもらう」として警察官から「自分と他人」という概念を奪う場面を目撃したことで徐々に信じていく。
超シュールなSF&「概念」を奪うという設定
「概念」を奪う宇宙人による侵略というSFを通して人間の「概念」とは何かを提示するような哲学的かつシュールな独特の内容の作品。侵略方法がかなり地味ながら、憑依で人格を乗っ取っているため、徐々に乗っ取られていくというそっち系の怖い侵略話なのかと思ったんだけど、この映画の鍵になるのは知らない間に侵略が進んでいる事よりも「概念を奪う」という宇宙人の能力の方にあるんだと思う。じゃないと最後まで何が何だかワケの分からないシュールなだけの話になってしまう。
「概念を奪う」や侵略に関しては真治がとぼけた性格でなかなか真実を語らないため、主人公のはずの鳴海が理解するのはかなり後で、もう1つの軸である記者の桜井が天野、あきらに教わる形で全貌が見えていくという流れになっている。
妹(前田敦子)が突如豹変するという誰も何が起きたのか説明しないため見ている方はなんだか良く分からないシーンが展開した後で、天野とあきらが桜井に対して実演しながら概念を奪うという能力を説明する事でようやく妹は「家族」の概念を奪われたため、「家族」に対する感情が欠落してあのような人格破たんを見せたと分かるという流れ。ただし前田敦子の出番これっきりなのでその後どうなったのかは不明(母親が(おそらく家族の概念を失って態度が豹変した前田敦子にショックを受けて)倒れたらしい事は後に明かされる)。
交互に両者の行動を描写しながら徐々に見ている方も「概念を奪う」というのがどういうことなのかを見せつけられていく。「所有」の概念を奪われた引きこもりの青年(満島真之介)、「自分と他人」という概念を奪われた警官(児島一哉)、「仕事」の概念を奪われた鳴海が仕事をもらっていた会社の社長(光石研)、彼らがそれぞれの概念を奪われた後、欠落した感情の中での行動は人それぞれで、日常生活に決定的に支障をきたすものから、ある程度は日常生活を送れそうなものまで幅があるもののシュールかつホラー。
そして最後に宇宙人が得る概念は…
肝となる概念が映画自体の結末の鍵となり、同時に余韻となるが…。そこまでの持っていきかたが荒唐無稽すぎるのでなかなかついていくのが難しかった。桜井は人類側につくのか宇宙人側につくのかギリギリまで揺れ動いた挙句に決定打をキメてしまうし、鳴海に至っては真相を聞かされた段階で既に真治とやり直したいという思いが強くなりすぎてしまっているせいか、桜井のようなどーすんだ自分!?という葛藤もさほど無いままに逃避行に走ろうとする…など、宇宙人のガイドという人類存亡を握る重役に抜擢された2名が揃いも揃ってちょっと感情移入しにくい行動に走りまくるのでシュールさが際立ってしまってなんとも。
あれはこういうことなのだろう、これはこういうことだったのだろう、と改めて色々整理することで何とか納得できる結末だったのかなとは思うけど、もっと何も考えずに見て面白い映画という事では確実に無いと思う。設定が設定だけにそこに対する理解、そして「概念を奪う」という事がどういうことなのか、概念を奪われた人間はどうなってしまうのか、概念を得た宇宙人の感情に何が生じたのか、それが今作の鍵だったのだと思えば、深い作品…だったのかもしれない。
3人の宇宙人は三者三様
登場する宇宙人3人はそれぞれ仕事でやってきているが、人間独特の文化はおろか、その辺は宇宙人でも共通なんじゃないのかなと思うような「家族」の概念も持ち得ていない存在。冒頭の女子高生あきらによる金魚すくいのシーンにしても、どうやら間違って3体揃って金魚に憑依してしまい、即間違いを悟った2体は祭りに来ていた真治、天野へ憑依。
もう1体はあきらの家族に憑依して人体を調べるために家族をバラバラにして惨殺、自身も切り刻んだところ行動不能に陥ったため、1人生き残っていた無傷のあきらへ憑依した…という事らしい。人類の生命に関する見識も持ち合わせていなかったらしい。
この時点でも異なるが、1人だけガイドをつけなかったあきらは人類に対して概念を奪うというより即バイオレンス(殺害)な姿勢、ガイドをつけて概念を奪った天野はもう少し冷静な視点を持ちつつ冷めたところがあり、憑依した相手が唯一の妻ありの大人で「家族」や「仕事」など一般的な概念を奪っていた真治は最も人間らしく変化していく…というのは1つポイントになるかと思う。最後に奪ったものなんかは決定的なものだったし。
また色々な概念を持ち合わせていない割には「ガイドを選ぶ」という行動、そして
「ガイドに対しては危害を加えない」
「ガイドには憑依しない」
「ガイドからは概念を奪わない」
といったガイドに対するルールをギリギリまで2人とも徹底しており(2人ともガイド自らが憑依しろとか奪えと言っても最初は頑なに拒否している)、厳格なルールとして自らに課していたようだ。2人とも当初は概念をもらった相手がその概念を失うという事、つまり「奪う」ものだとは認識していなかったことを明言しているため、どうやら最初は概念を「コピー」するものだと認識していたことが伺える。
天野に関しては両親から概念をもらいまくった結果、両親が廃人状態となったため概念を「奪う」事を理解してから桜井にガイドになってくれないかと依頼をしている。
だが真治に関しては妹(前田敦子)から「家族」の概念を奪った後に相手がその概念を失ってしまう、つまり「奪う」事に気づいたと語り、後で奪ってしまった事を鳴海に謝罪している。ガイドから概念を奪ってしまうとガイドが使えなくなるという理由での後決めではなく、最初から奪わないと決まっていたっぽいのは何故なんだろう。
さらにはこれ本当に3人だったのか?
3人が3人とも仲間は3人だと作中で明言している。侵略への準備を完遂すると侵略が始まるので仲間自体は大勢いるが、現在地球に先行して潜入しているのは3人という事である。
ただ正直この3人だけでは説明がつかない事態が平然と描写されるようになっていく。中盤にはもう政府が新種のウイルスだと言って警戒して動き出していて町中がどんどん非常事態体制になっていくし、後半には病院が「何らかの概念を奪われて異常をきたした」人々で溢れかえっている。
あきらは序盤での家族惨殺から警察保護に至るまでは不明だし、天野も桜井に出会うまでは両親から概念を奪いつくした様子以外は不明だが、2人が合流して以降は中盤からはほとんど仲間への交信用の機材づくりと追っ手からの逃亡に時間を使っていて概念を積極的に奪っている様子が無い。
真治も『散歩する侵略者』のタイトル通り、前半は散歩に出て概念を奪っていたのかもしれないが、実際には妹と社長くらいからしか奪っている描写が無い。
3人ともそんな病院が溢れるほどに人々の概念を片っ端から奪いまくっていたような様子が無い。単に描写を省いただけなのかもしれないが、後半以降の様子はとても3人だけで巻き起こせる事態ではないし、3人が画面の外でやっていた事にするにしてもそんなことをしている時間は無かったような…。
★★★☆☆
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