思い出の平成音楽~平成14年(2002)~

高校2年生~3年生。ようやくたどり着いた「Beautiful Dreamer」開設年。平成14年(2002年)2月11日、祝日を利用してサイトを制作、ジオシティーズにて公開開始。当時のクラスメイトだったsusumuwk君らの影響で軽く作り方を聞いて後は調べてささっと作った。コンセプトは「あったらいいなこんなサイト」という個人的なものであり、多くの人に読んでもらいたいとか広めたいという意図は全く無く、第1に極力宣伝しない、スタンスとして偶然たどり着いていいなと思ってくれた人が楽しんでくれればいい、というものであり、今も変わっていない。

トップページのデザイン及びブログ以外の制作環境も平成14年当時のままである。毎年書いているが、ジオシティーズ亡き今、Front Page Expressを使い続け平成14年の見た目のまま現役のサイトは本当に希少だろう。当時影響を受けた先人たちのサイトはジオシティーズも多く、更新が早くに止まってもその残骸は本人が消さぬ限りずっとあったが、平成最後の3月31日をもってジオシティーズが消滅した事で軒並みとかほとんどとかじゃない、最早全て消滅してしまった。

このサイト開設から1ヶ月、当時のクラスの仲間たちとスキーバスツアーに出かけ、これが高校最初にして最高のいい思い出となった。向かった先は「妙高杉ノ原スキー場」。これは某サンマリーナのように消滅してはいないが、現在リフトの本数が激減している。当時旅館からすぐリフトに乗ってゲレンデへ行けたがまずその連絡リフトが消失。コースはあるので戻ってはこれるが、行くことができない。また当時はリフトを乗り継いでいくだけで山頂へ行けたが、ゴンドラでカバーできる範囲のリフトをほとんど削除してしまったらしく、かなり寂しい状態となっているようだ。

この旅行に参加する事になったのは、たまたま計画中の時に席が近かった事と、スキーが出来るからという事だったわけだけど運が良かった。ここでもやはりメンバー中最強の腕だったようだが、山頂からの高速レースなど熱い展開もあり、その模様を綴った初期日記「雪山回顧」は残念ながら間違えて消してしまいバックアップも無いので既に忘却の彼方。3年間で1番楽しかった記録が消滅してしまっているというのもまたこの3年間らしいのかもしれない。

そんなようやく高校生活が楽しくなったかと思われた直後のクラス替えでは何かの陰謀か、通常バラバラになっても数名ずつは一緒になるはずが、1人だけ別のクラスに飛ばされるという事実上の転校状態(1年の時のクラスメイトがかろうじて数名いたとはいえ)に陥った。ただでさえ3年生のクラスは選択授業により全員が一緒に授業を受ける機会も少なく、バラバラな行動になりがちな上、3年生でそういった状況となればみんな時間が空いたタイミングではそれぞれの”ホーム”(基本的には部活)に散っていくので、クラスの団結は最後にして全くなく、かなりアウェーな日々を過ごした。というか選択式の授業や体育なんかで他のクラスと合流すれば1,2年の時の知り合いに会えるはずなのにそこでもことごとく誰もいないのである。見覚えのある奴すらほとんどいない。それはさすがにおかしくないか。しかし実際そうなのだ。ついこないだスキーに行った仲間たちもそれ以外の仲間もみんなどこに行ったんだ?時空が歪んだのか?というくらい遭遇する機会が皆無。世にも奇妙な1年間であった。

2012年に同窓会があった際に1年、2年、3年時のクラスにそれぞれ集まる時間があったが、1,2年は思い出話に華が咲いたのに、3年の時だけえ?僕達/私達同じクラス…でしたっけ…?え?え?いや確かに○組だったんだけどえ?え?みたいなマジそんな空気。お互いクラスメイトだった自覚がほとんど無いため、早々に話す事の無くなった面々は現役当時と同じように”ホーム”へ散っていき、その空間からは誰もいなくなっていた。正直ここまで他の人たちもそんな感じだとは思っていなかったので(他の人たち同士ではもう少し付き合いがあるのかと思っていた)本当にまとまりのないクラスだったんだなと改めて思った。

そういえば当時無理やり体育祭委員にさせられたんだけど(例によってまとまりがないので誰もやりたがらずクジで)、同じく無理やり任命された当時の相棒なんてもっとやる気が無かったので、結局体育祭割り振りなど最低限の仕事をほとんど自分1人でやる事になった(相棒立ってるだけ)。その相棒、この同窓会の時に他に話題が無いので無理やり体育祭委員やらされたよね~なんていう話をしたら一切覚えてなかったからな…。薄ら笑いでえ?それ本当に俺?マジで?ホント覚えてねー(徐々にシリアス顔)という始末。

いわゆるクラスという単位で30人とか40人単位でまとめられて1年過ごすなんていう幼稚園や小学校から当たり前に続いてきた繰り返しは高校3年生が最後になるわけで、改めて最後がアレだったのかぁ…。。別に悪い思い出でもないが、なんていうかこれといった色が無い。そういえばこの年に『無色』というアルバムがあった。もしかしたらあればこのクラスを象徴するに最もふさわしい作品だったかもしれない。

そんなわけで無色の日々を送っていた平成14年。受験が迫るのも重なって正直無色というか無気力な日々であった。早くこの虚無な1年が終わる事だけを願っていた。しかし悪い思い出があったわけではなく、色の無い中から少しでも色をさがして思い返してみれば少しは色もある。万年5段階中2か3だった体育がバドミントン効果(中学3年間部活でやってたので)で小1からの通信簿生活12年、最後にして「4」を取り、このバドミントンの体育の期間だけは知り合いもいて束の間の安らぎを得るなんて事もあったし、その他ちょくちょくいいこともあったと思う、たぶん。

2002年を振り返るうえで外せないのがコピーコントロールCDの悪夢だろう。CD売上激減を違法コピーのせいにしたレコード会社がエイベックス先導により導入したこのコピーコントロールCDは通称CCCDと呼ばれたが、前提からして様々な問題を抱え、早い段階で音質劣化を指摘する声も相次ぎ、非難を浴びながら強行。

仕組み自体がCDに意図的にエラーを混入させることでPCでのリッピングを邪魔するというものだったので当然普通のプレイヤーでも見えない負担がのしかかる。メーカーが再生保証をしないというねじれ現象も発生、実際カーステレオなど一部環境では本当に再生できなかった。一方で主目的であるPCリッピング阻止に関しては機能がザルで、PCでのリッピングは普通に可能であった(ただCDドライブへの負担が半端なく、ガガガガガガガ等の異音を発しながら読み込む)。
※ただし全て環境による。再生できるかできないか、リッピング出来るか出来ないかは運次第であった。

当然再生保証のないものがCD規格を満たすはずも無く、CCCDとはCD規格外製品として正式に扱われた(CDトレイなどに刻印されている「Compact Disc」のロゴも無い)。当時CCCD糾弾系サイトで通称「銀色円盤」などと呼ばれていたのは規格上CDでは無いのでCCCDという呼び方は誤りである、という発想からだった。

いかに既存メディアでCCCDが報じられなくとも、インターネットが普及してきて誰もがCCCDの問題点を以前とは比べ物にならないほど容易く入手できるようになっていた02年という時代にCDのメイン購買層を犯罪者扱いして喧嘩を売ったこの施策は当然反感を買いまくり、CD売上は更なる低下の一途を辿るのであった。

夏にはthe FIELD OF VIEWの解散が発表され、12月1日の解散ライブは友人と共に受験生であるにも関わらず出向いて最後の瞬間を目に焼き付ける。このライブレポの効果もあり、1日10人とかだったアクセス数も50人から100人弱程度にまで伸びてきてサイト初年度は幕を閉じる。

あとあまり興味は無かったけどサッカーの日韓W杯はさいたまスタジアム2002が一応市内にあるという事もあって間近で盛り上がっている感じはあった。試合の日はみんな学校サボって帰っていく光景が窓から見えたのを覚えて

さて、1996年辺りからリアルタイム色が強まったが記録が無いので、ゼロから作品を洗い直していくという時間かかりまくりな作業が2001年まで続いたが、ここからは記録がある。この「Beautiful Dreamer」という記録が。当時の感想のままのシングル感想コーナーはそのままリアルタイムのシングル全視聴記録だし、年末に勝手に年間ランキングもやっているはずだ。まずはそこから厳選して、後はアルバムコーナーから該当年の作品を引っ張り出して後追い枠へ回していけばいい。これは時短になるぜ!

…と思ったんだけど2002年は心の荒みっぷりが全面に出すぎているため、終始お前誰だ状態になっており、作品の羅列はともかく残されているコメントが我ながら正直信用できない文句ばっかりじゃないかお前。ていうかちょっとこっそり削除したいくらいに誰だお前

まあ改めて思い返したり同世代の管理人さんと話すと大概このくらいの若い頃(というか初期の頃)って今より文句が多いっすよね、という見解が一致したりするけど、それがつまり若さって若さだよなっていうやつのサイト/ブログVer.みたいなもんだろう。結局当時の記録はあまり参考にならないのであった…。

連休モードでのストックも尽きるので更新が鈍化するかも…。




リアルタイム部門

楽曲

・北風と太陽/YeLLOW Generation
・花唄/TOKIO
・願いの詩/コブクロ
・Sugar Lady/河村隆一
・you were there/LINDBERG
・国道16/Something ELse
・GREEN/TOKIO
・Neighbor/TOKIO
・a Day in Our Life/嵐
・世界に一つだけの花/SMAP
・夢ノカケラ…/ZONE
・Melody/the FIELD OF VIEW
・Any/Mr.Children
・Birthday eve 誰よりも早い愛の歌/DEEN
・証/ZONE
・熱き鼓動の果て/B’z
・風に揺れるTomorrow/TUBE
・星屑の街/ゴスペラーズ
・ロマンティック 浮かれモード/藤本美貴
・freebird/SMAP
・カナシミブルー/Kinki Kids
・sayonara sayonara/KICK THE CAN CREW
・Forever You~永遠に君/愛内里菜
・Sincerely Yours/愛内里菜
・I can’t stop my love for you/愛内里菜
・二人のアカボシ/キンモクセイ
・さらば/キンモクセイ
・車線変更25時/キンモクセイ
・ROCK AND ROLL HERO/桑田佳祐
・夏の日の少年/桑田佳祐
・素敵な未来を見て欲しい/桑田佳祐
・新しい場所/コブクロ
・遥かなすぐ近くに/Something ELse
・蒲公英-たんぽぽ-/19
・夜を駆ける/スピッツ
・けもの道/スピッツ
・FIVE RESPECT/SMAP
・Tears on Earth/DEEN
・magic/DEEN
・Everlasting/B’z
・GROWIN’ DAYS/Bluem of Youth
・愛のナースカーニバル/BON-BON BLANCO
・陽は西から昇る/森山直太朗
・アゲイン2/ゆず
・Teenage Blue/LINDBERG
・君が欲しくてたまらない/WANDS

DEEN、FIELD OF VIEW、LINDBERGの旧作の応援歌的なナンバーを受験勉強の合間に聞いて景気づけしていた印象が1番強い(3組中2組がこの年解散してるじゃないか)。この年の曲も聞いてはいたけど、発売当時というより長く聞いて馴染んでいったというか。前述のように心がちょっと荒んでいらっしゃったようなので大学入ってから改めて聞いて良さをかみしめた曲が多いのかもしれない。

「北風と太陽」は昼ドラマ最大の名作『ドレミソラ』と並んで02年の夏と共にある1曲。

LINDBERGはようやくリアルタイムになってきたところで解散年になってしまった。DEENの激変(音楽性・声変わり)も衝撃だった。やたら軽い打ち込みリズムが流行りまくるなど、01~02年頃の音楽って案外色褪せ気味というか、時代特有のものがあるような気がする。

アルバム

・IT’S A WONDERFUL WORLD/Mr.Children
・三日月ロック/スピッツ
・grapefluits/コブクロ
・pray/DEEN
・MEMORIAL BEST~Gift of Melodies/the FIELD OF VIEW
・POWER OF WORDS/愛内里菜
・音楽は素晴らしいものだ/キンモクセイ
・Fairy Tale/倉木麻衣
・TOP OF THE POPS/桑田佳祐
・ROCK AND ROLL HERO/桑田佳祐
・Y/Something ELse
・SMAP015/Drink!Smap!/SMAP
・Historic Blue/Hysteric Blue
・本日ハ晴天ナリ/槇原敬之
・ユズモア/ゆず
・FINAL BEST/LINDBERG
・complete of WANDS at the BEING studio/WANDS

ミスチルのポップ路線回帰&ミリオン回帰&トップ返り咲き、1発屋になりかけていたコブクロの地道な粘り、DEENの著しい路線変更、tFOV解散、LINDBERG解散、亀田誠治との出会いにより完成に至ったスピッツのサウンド、この辺りはどれも1つの区切りやターニングポイントになっていると思う。

そもそも聞く音楽をそんなに広げている時期ではなかったので(受験勉強しろ)、受験を応援してくれる曲を欲していた。しかし前述のように何とも軽いリズムの曲ばかり流行っているので、ガツンとした旧作やベスト盤を繰り返し聞くことが多かった。

後追い部門

楽曲

・スノースマイル/BUMP OF CHICKEN
・スタートライン/安全地帯
・反省/安全地帯
・キラキラ/小田和正
・Many Classic Moments/globe
・kodama/GOING UNDER GROUND
・あいのうた/Do As Infinity
・この街のどこかに/THE BOOM
・星屑のセレナーデ/森山直太朗
・大切なもの/ロードオブメジャー
・未だ見ぬ景色/SOPHIA
・僕にできるすべて/THE BOOM

当時良さが分からなかったものを改めてというのが多かったようで後追い少なめ。物凄く該当する世代のはずなのになんでだろうか、「大切なもの」に始まり、中高生にバカ受けしていた青春パンクってもっと若い子向けだと当時は思っていた。20代半ば過ぎくらいになってからの方がなんか純粋にストレートでいいなと思うようになった。

アルバム

・Last Roll-11 years of L⇔R-/L⇔R
・jupiter/BUMP OF CHICKEN
・安全地帯Ⅸ/安全地帯
・Singles 2000/中島みゆき
・RARITIES/山下達郎

『Last Roll-11 years of L⇔R-』は数年後に聞いて衝撃を受けたのを記憶している。こういうベスト盤というのは歴代で選ぶのは禁じ手なのかもしれないが、思い入れとして外せないんだよな。まあリマスターも出揃った今、改めてこのアルバム聞くと異様に音がデカくて細かい音が潰れて聞こえないので、聞くことも減ってきてはいるんだけど、でも初めて聞いた衝撃ってのが他と違うんだよ。

「jupiter」は当時弟が買って持っていた。中学生だった弟は青春パンク系も周囲で流行っていたようでストレートにその辺の曲を漁っていたようだった。いわゆる若手ヒットチャート系ロックバンドをなんかもっと若い子向けじゃないかと思っていたのは、その辺が影響していたかもしれない。中学時代からの友人でファンやってる人いなかったし(中学時代のままGLAYとかラルクとかミスチル聞き続けていた最後の時期だと思う)、高校はもう音楽無縁みたいな知り合いしかいなかったし。

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