12月半ば、行田方面をちょっと攻めてみる。
まずは忍城址。
忍城、”しのびじょう”ではなく“おしじょう”と読む。なんとなく忍者館的なものを想像してしまうが、普通の城である。城跡というのはマジで跡だけで何も無かったりすることも多いが城はちゃんとある。
ザ・日本の城といった装いの城でしかない城である。
花手水というのを市が推しているらしく随所にこんなのがあったが、博物館と一体化した敷地内にはこんな派手なのも。
見た目は城そのものだが、実際には博物館と一体化しており、城の中に入るには博物館にチャリンチャリン(有料)しなくてはいけない上、博物館内からそのまま連絡路を通って城に入っていく。城の中も展示場になっており、昭和末期~平成初期頃の装いのごく普通の鉄筋コンクリートの建物となっており、外観だけを復刻しているようだ。
さすがにエレベーターまでは設置しておらず階段を上がっていくことになる。先ほどの城の写真を見ると分かるように外から見るとこんな感じになっているわけで…。
行田は高いビル群など皆無なので秩父山中から群馬栃木の山々、筑波山とか360度全方位を一望できるのだが、外観写真のように窓の部分も全て縦に白い柱が小刻みに入っているので中から見ると景色はこんな事になってしまう。
もったないっつーかなんつーか。外観重視で行くと確かにあの白い柱は必要なのかもしれないがう~ん…。
その後はさきたま古墳公園へ向かう。ここは小学校4年生(1994年)の遠足で来た記憶がある。10数年前に再訪した記憶もあるが、現在は博物館を改修中、新たに拡張してテラスが4月にオープンしている。
行田土産と簡易なカフェになっていたのでここで餃子とカレーをいただいておく。実はこれメニューには無く、本来は白飯なんだけど本日分売り切れでもう古代米1食分しかないという事で餃子&カレーの古代米チェンジバージョンというメニューには無い組み合わせでサービスしてくれた。
公園内部はこんな感じ。テラスを挟んで左側は行った記憶があるが右側は博物館以外に記憶がない。
まずは左側から向かってみる。1番すぐそこにあった愛宕山古墳は絶賛工事中だったので写真もなし。
二子山古墳。確かに二子っぽくなっている。これは外からしか見れず登る事はできない。
将軍山古墳。一見登れそうだが登れない。ただし裏に回るとまさかの古墳内部がくりぬかれて博物館の分館みたいになっている(博物館休業中でこっちだけ営業していたが今回は入らず)という驚きの仕様。これ1994年の記憶には無いなぁ…。
稲荷山古墳。名物というか古墳のど真ん中を登れるという事でこれは1994年の記憶にあり、10数年前に来た時も登った記憶がある。
頂上から将軍山古墳を眺める。
登ってから下ってまた昇る二段構造。
その隣にある丸墓山古墳。これも1994年の記憶にあり、10数年前に来た時も登った記憶がある。これはさらに階段が険しい。頂上は最早古墳というより立派な桜スポットになっている。
ここだけ段数も教えてねぎらってくれる。
先ほどの忍城が見えるらしいのだが分かるだろうか。
ここにあった。現地だともう少しハッキリ分かる。
これにて道路を挟んだ反対側へ移動。ここからは全部初見だ。
浅間塚古墳はなんと神社になっている。先ほどの公演の案内図では同列に扱われているが、博物館側の地図で表記はされているものの取り上げられていない。
確かに古墳というよりも完全に神社である。
神社の奥のいかにも肝試しゾーンっぽい薄暗い林を抜けると一気に古墳群が出てくる。これらいずれも登ることはできない。
鉄砲山古墳。
中の山古墳。
奥の山古墳。
瓦塚古墳。
気になったのは案内看板が妙に新しい事でリニューアルしたのかなんなのか。2009年や2012年も古墳の案内としては最新に近いものだと思うんだけど、鉄砲山と中の山に至っては令和5年3月となっていて出来立てホヤホヤである。
そして突如出てくる謎の古民家。旧遠藤家と書いてあるがどこの遠藤さんなのか、新遠藤さんはいるのか、いやそもそも誰?と謎が尽きない。
しかもここにあった古民家を保存したのではなく、全く別の場所(30キロくらいは離れているはず)から持ってきたものだという。古民家ってどうやって運んでくるんだ…?
あとこんなのもあった。県名発祥の碑。埼玉群の中心地、浦和や大宮ではなかったんだよねぇ…。
といった感じで古墳コンプリートをしていたら夕暮れになってしまったのであった。
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