前年のviewとしてのシングル2枚を経てメンバーそのままにFIELD OF VIEWとして大々的に再デビュー。いきなりヒットを連発するが、1993年にピークに達したビーイングブーム自体が収束しはじめていた時期だったことも重なり、トップ10ヒットを飛ばせていたのはシングル、アルバム含めてこの時期のみ。
当時のビーイング名物早期メンバー交代(Key.安部潤out→Ba.新津健二in)もあったが、FOVの場合は交代ではなく3人になった時期を経て再度4人になる、違う楽器の人が加入するという経緯を経ている点がDEEN、ZYYG、BAAD、WANDSらとは異なっていた。
この時期は作詞作曲をしていたのはボーカル浅岡1人だけであった。一方で途中で脱退した安部潤は在籍時にはC/W、アルバム曲で単独アレンジャーとしてクレジットされている曲もあった。
安部潤は脱退後は広くアレンジャーとして活躍。解散時のベスト盤『Memorial BEST~Gift of Melodies~』、DVD『VIEW CLIPS~Memorial BEST~』で大量に使用された過去の写真では在籍時の4人での写真から綺麗に安部潤の姿だけ削り取って3人にされる(PVはさすがにそのまま)など存在を消されていたが2002年12月1日の追加公演解散ライブ「Live Horizon the FINAL ~Gift of Extra Emotion~」にゲスト出演して脱退後の楽曲「SNOW FIELD」にピアノアレンジを加えて浅岡+ストリングスと共に演奏した。5人で演奏する事はなかったが、最後の挨拶で4人がいるステージ上に再度登場して握手をした際に5ショットが実現している。その後の浅岡雄也ソロの初期のアレンジャー、ライブサポートでも関与していた。2010年に初めてソロで大々的にFIELD OF VIEWからの15周年を掲げてほぼFIELD OF VIEW曲のみで行ったソロライブ「u-ya asaoka 15th Anniversary1995-2010 ~Time Machine~」でもバンマスとして参加していた(在籍時にライブツアーはやっていないので安部潤がFOVの曲をここまで大量に演奏したのはこれが初だったのでは…)。しかし2010年代以降の浅岡ソロにはあまり関わっていない。2012年のBEING LEGENDでは全体のサポートキーボードとして参加し、FIELD OF VIEWメンバーとしても演奏した。この際に浅岡雄也が2002年11月28日の渋谷公会堂(BEING LEGENDのFINALが11月28,29日でピタリ10年前だった)が解散公演だと勘違いしていたため、つられて「10年前今日、僕も参加した」と発言したが11月28日公演には安部潤は参加していない。
2025年5月15日のLINE CUBE SHIBUYA(旧渋谷公会堂)での「FIELD OF VIEW 30th Anniversary LIVE」は『DAN DAN 心魅かれてく』リリース時3人+サポートでの出演となり、安部・新津のゲストとしての出演も無かったが、2人とも会場を訪れていた事が明かされており、奇跡の歴代メンバー5人勢ぞろいの5ショット写真が公開された。
1stSg 君がいたから

2ndSg 突然

1stAl『FIELD OF VIEWⅠ』

3rdSg Last Good-bye

4thSg DAN DAN 心魅かれてく

5thSg ドキッ

2ndAl『FIELD OF VIEWⅡ』

6thSg Dreams

7thSg この街で君と暮らしたい

1stBest『SINGLES COLLECTION+4』

コメント
意外ですがFIELD OF VIEWのオリジナルアルバムって未だに配信されてないんですよね。