前年のviewとしてのシングル2枚を経てメンバーそのままにFIELD OF VIEWとして大々的に再デビュー。いきなりヒットを連発するが、ビーイングブーム自体が収束しはじめていた時期だったことも重なり、トップ10ヒットを飛ばせていたのはシングル、アルバム含めてこの時期のみ。
当時のビーイング名物早期メンバー交代(Key.安部潤out→Ba.新津健二in)もあったが、FOVの場合1度3人になってから再度4人になる、違う楽器の人が加入するという経緯を経ている点がDEEN、ZYYG、BAAD、WANDSらとは異なっていた。
またこの時期は作詞作曲をしていたのはボーカル浅岡1人だけであった。一方で途中で脱退した安部潤は在籍時にはC/W、アルバム曲では単独アレンジャーとしてクレジットされている曲もあった。脱退後は広くアレンジャーとして活躍。解散時のベスト盤『Memorial BEST~Gift of Melodies~』、DVD『VIEW CLIPS~Memorial BEST~』で大量に使用された過去の写真では在籍時の4人での写真から綺麗に安部潤の姿だけ削り取って3人にされる(PVはさすがにそのまま)など存在を消されていたが02年12月1日の解散ライブにゲスト出演して2曲に参加、その後の浅岡雄也ソロのアレンジャー、ライブサポートでも頻繁に関与していた(2010年代以降はあまり関わっていない)。2012年のBEING LEGENDでは全体のサポートキーボードとしても再度参加し、FIELD OF VIEWメンバーとしても演奏した。この際に浅岡雄也が02年11月28日の渋谷公会堂(BEING LEGENDのFINALが11月28,29日でピタリ10年前だった)が解散公演だと勘違いしていたため、つられて「10年前今日、僕も参加した」と発言したが11月28日公演には安部潤は参加していない。
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