思い出の平成音楽~平成27年(2015)~

いよいよOVER 30’s WORLD…と一見テンション高めだったが5年ぶりに低空飛行状態になるなどパッとしない状況に突入。この年は調子が悪すぎて小規模なオフ会の誘いとかもいくつか断っていたような記憶がある。この次に会った時に2年ぶりとか3年ぶりですねみたいな久々になっていたのはたぶんこのせい。

サイト的にはこの年がアクセス数のピーク。何だか良く分からないけど2012年のサイト独立以降に導入していたGoogleアナリティクスの統計によるとこの年と翌年にかけてが概ねピーク。大体1000~1200、多くて1500人くらい1日で来ていたらしい。

2016年以降は緩やかに下り始めて現在600~700くらいなので実は最盛期2015年から4年で半減してしまっている事になる。年末投票の票数もそりゃ下がるわなといった感じだが、といってもデータが無いので不明だが前後の伸びの感じからして2008、2009、2010年くらいに戻った感じなんじゃないかと思う。アクセス解析によってけっこう結果が異なるのとすっかりアクセス解析を見なくなっているのでイマイチ良く分からない。サーバーの方が自動で置いているアクセス解析だと1日5000前後の数値が出ている(こっちは30分以内は同一IPをカウントしないルールらしいんだがそれにしても高すぎる感じがする)んだが…。大人気コーナーだったはずの「今週のチャート」終了がアクセス数に一切影響した様子が無いどころか、終わってから最大を迎えていたのも地味によく分からん…。

1つ考えられるのはブログ化によるもの。というのもHTMLのページには全てGoogleアナリティクスの解析タグを仕込んで制作しているが、ブログ化したページには確かGoogleアナリティクスの解析タグは仕込んでいなかったような気がする。1回設定すればいいんだけどそもそもあまりアクセス数を逐一気にしてなかったので仕込んでない。またブログページ単独での解析自体はワードプレスのプラグインで別途しているので必要なかった。ちなみにこのプラグインは予約投稿した際に自動でTwitter投稿も兼ねてくれる優等生だ。この分のカウントが外れればGoogleアナリティクスが解析しているのはトップとアルバム感想ページ以外は昔の過去曲回顧と昔の映画感想、昔の日記などの古いものだけになるのでそりゃ半減している(ように結果的に見える)のかもしれない。特にブログ化したコンテンツ更新時のTwitter自動投稿からの場合は直接アクセスされる事になり、トップページを経由しないのでカウントから完全に外れる。

で、この年を境に何か変わったかというとTwitterアカウントを現在のものへ移行。移行したのは界隈は無いという無言のアピールであった。何故かあったことが前提になっているのであれば、もう無くなったよ、という事になるのか。またこの時点でフォロワー間での衝突関連もほぼ最期になるまで見届けたかなと思ったのもありこれが1番大きい。このタイミングで決定的に何かが起きたわけではなく、また界隈とやら内部が仲違いしまくったかのような印象を与えているかもしれないが、実のところ私の相互フォローに変化は無い。つまり個人的には2010年頃から2015年まで何も変わりはしないんだけど、見える景色が変わっていったと言いますか…ええ、最期になるまで見届けたという表現以外ないのですわ(なんで語尾おかしくなってんの?)

「界隈」とはなんだったのだろうか。今回色々振り返ってみて改めて思ったんだけど良く分からない。オフ会参加者か、リンク先周辺か、Twitter周辺か、投稿や掲示板の常連読者を指すのか。全て入り組んでいるが、どこまでを指すのだろうか。恐らくTwitterが1番強いんだとは思うんだけど、前に書いたようにオフ会の告知は当サイトで行っていたためTwitterで集まった仲間でオフ会を開催していたわけじゃない。これらが混同されてBD界隈なる言葉が一部で使用され続けたために徐々に認識の差異が生じたのではないか。

実際にあの頃BD界隈だったと思う人ランキングという超内輪な投票をやったら、え!?私も!?確かに関わってはいたけど中心ではなかったけどなぁみたいな反応やけっこう関わってたのに名前が挙がらないなんてちょっとショック…みたいな結果になることが予想される(ちょっと時間が経ちすぎているので今やっても当時なんて知らねーよっていうので本当にやるのは不可能である。また正直なところそこまで界隈なるものの実態解明に興味があるわけでもない)。

というわけで、”BD界隈”がこれ以上実態の知れない謎の集団として1人歩きしないように、というのはネタ的な大袈裟な表現だが、単に既にそうしていた先人たち同様の方針に切り替えたというだけの話でもある。情報収集と発信の一方通行気味の使い方に変え、、最初期に前アカウント時代にお世話になった方々で引き続きとフォローしてくださった方々にフォロー返しを行った以外は積極的な交流は行わなくした。これ以降はフォローやリプしても全く返してくれないと思った人も多いかもしれないがまた界隈イメージになったり、煽りと争いを見せられるのはもう御免だった、というのもちょっと弱っていた2015年当時の本音である。Twitterの使い方はここに決着を見た。先人たちよりも数年遅れての、しかもアカウントもろとも変えるという目に見えての変更だったのでどう映ったかはこちらが意図しないように捉えられた事もあったかもしれない。

こういった2010年以降の積極交流方針とほぼ真逆の方針転換をより明確に打ち出した影響があったのかなかったのか、日記の更新は2ヶ月兼用が増えていき、特にブログ移行後は全く日記系の類を更新しなくなったことや、昨年の質問箱もとい悪魔箱での対応等でかなり冷たい印象を抱かれたのが(狙ってやっていたところもかなりある)、クセが強すぎなパーソナルな部分を良くも悪くも押し出していた当サイトの魅力半減に映り、長期的なアクセス減に繋がったのではないか…とも推測される。

そういえば今回の連載、90年代後半から最早こっちの序文がメインのようになっていて久々の「日記」系コンテンツになっているが、先日お会いした方にもまず先に「小学校の江戸幕府の話が…」とか言われた。淡々と音楽感想を上げ続けるより、こういう「日記」系の話が都度あった方が面白がられるのだろうか。実際そういえば久々に感想ではない思いを綴っているなとも感じている。

2015年の話に戻すとDEEN武道館ライブ恒例プチオフっていうのも現時点で武道館残り2回を前にしてこの年が最後だった。実はオフ会ブームよりに(オフ会ブーム時のメンバーとの被りはほぼ無いし、さすがにこれは”界隈”イメージに含まれていないと思う)DEEN武道館公演の開演前に武道館前で集まって入場までトークするっていうのが2009年から恒例になってて2011年には5,6人くらい集まった…らしい。いやなんで「らしい」なんだよっていうと、この1番人が集まったときにチケット忘れて途中下車して取りに帰る事件が発生したため、一通り盛り上がってもう1人帰ってしまった後でのわずかな合流となってしまったのでバタバタしすぎててほとんど覚えていないのである。

DEENは本当に最盛期には当サイトの影響で聞き始めました見たいな声も多くもらっていて実際武道館でそんな風に会うみたいな事もあったんだけど、本当に聞かれなくなったなーっていうのを近年1番実感したりもしている。ちょっと切ない。

また前年SONY NW-S786を導入したらイヤホンも新調したくなったのでEX-AR3に合わせてJVC FX-850を導入。かなり低音の強いイヤホンだったが当時は気に入っていた。

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思い出の平成音楽~平成26年(2014)~

干支1周(12周年)&FINAL 20’s WORLDを1年掲げ続けた20代最後の年。年中掲げていたためいざOVER 30’s WORLDになる時はもう31歳を迎えるような心境にな

Complete Sorasanaideという1曲の全バージョン、映像を延々と語り続けるアホ企画を実行。未だに後を追う者が現れない中で、Always Not Alone、Many Times Negattayoと第3弾まで一方的に決行されている。

この年はソニーがCDウォークマン(最終機種はSony D-NE241)を撤退しているようだという事を知り、いよいよCDウォークマンライフを終わらせることを決意。NW-S786を導入し、デジタルなウォークマンへ初めて移行する。

一応確認しておくが2004年ではない。2014年の出来事である。90年代末期から00年までをカセットウォークマンで乗り切り、もちろん何台も買い替えているがMDを一切使った事が無いまま2000年~2014年までCDウォークマンを使い続けていた。気がつけば、「ウォークマン」がデジタルなのを指すのが当たり前になっている世の中で「ウォークマン」とは「CDウォークマン」であるという迷言を放ち続け、この時点で人生の半分をCDウォークマンで過ごしてきたという段階に達していた。そしてこの間にipodなんていうものが流行っていたらしいがMD同様に1度も使うことは無かった。

なお「電車でCDウォークマンを使っている人を埼玉で見た。あれはMOMAさんだったのかもしれない。声はかけなかった。」などとこの頃Twitterに書き込まれているのを見かけたが、この書き込みがあった時にはもうNW-S786をウキウキで使っていて電車に乗ってもえ!?コイツ…CD!?というチラ見を浴びることなく周囲に同化していた。どうやら埼玉の地には2014年時点でCDウォークマンを愛用している同年代くらいの男がまだいたようだ。

またこの時期に比べると実はここ数年でポータブルCDプレイヤー市場は復活している。細々ながらも確かな需要があることに気づいた大手以外のメーカーがけっこう参入するようになり、さらにここに東芝も参入している。少なくとも現在ポータブルCDプレイヤーの確保に困る事態ではなく、選べるくらいに市場は復活している。主に語学学習目的とされているものが多く、全盛期に比べて音質面で劣るものが多いようなのでオーディオマニアがわざわざ音楽CDを聞くために入手することは稀のようでもあるが…。ソニーのCDウォークマンも復活しないだろうか。

なおD-NE241は引き出しの中で若干ホコリを被っているがたぶんまだ動く

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思い出の平成音楽~平成25年(2013)~

そろそろ最近感しか無くなってきた。これはもうアラサー近くなってくると仕方が無い。個人的な状況は悪くは無かったが良くも無いといった感じで、激しく悪い出来事が起きないが、激しく躍進を感じるような出来事も無いという2015,6年頃にかけて徐々に停滞感が出てきていた時期でもある。なので1年ごとの変化とか印象はあまり変わらない。

触れないわけにはいかないであろうのが「今週のチャート」連載を終了。いつの間にかBeautiful Dreamerといえば「今週のチャート」といわれるくらいに1番人気コーナーになってしまっていたらしいこのコーナーの終了宣言は1番反響が大きかった

しかし当の本人からはただの1コーナー程度の認識を最後まで変えられる事が無かった上に、途中からは面倒な外野を呼び寄せる要注意なコーナーとして警戒されるなど(平成も終わったので明かすとコピペ禁止措置を組み込むなどかなり無駄な抵抗もしていた)、半ば疫病神扱いされていたコーナーでもあった。「今週のチャート」に触れられまくったオフ会を経てさすがになんかBeautiful Dreamerといえば「今週のチャート」扱いされているらしいというのは薄々感じてはいたが…労力をかけていた割に、全く読み返すことなく誤字脱字事実関係の間違い指摘い以外は書いたら放置していたので1番思い入れが無いコーナーだったのは確かである。

このコーナーをついに終わらせることを決意できたのは第1回が「2002年2月18日付」、翌週更新分が「2013年2月18日付」と日付が一致している事に気づいた瞬間であった。かなり突発的な決断だったが、正直「今週のチャート」末期がしんどかったのは事実で、複数商法を把握するだけで多大な時間を浪費するし、止められなかったのは習慣化していたからという難儀な性格だったからとしか言いようがなく(2009年にあの精神状態でどうやって更新し続けられたのか未だによく分からないくらいは自動書記状態)、しかしいちいち物事を捉えすぎてしまうこれまた難儀な性格が幸いしてか日付一致なんていう割とどーでもいいタイミングを大きなきっかけと捉える事となり、終了の決断へ至った。

これを逃していたらたぶん次に”区切りがいい感じがする”というのはもう1年後の「連載開始干支1周記念」とかだったと思うのでもう1年続けていたかもしれない。あるいはもう1年先の「OVER 30’s WORLD記念」になっていたか、それとも「15周年」までズルズル行ったか…。

いずれにせよ続けていても現在までは続いていなかったと思われる。これは意志の問題ではなく、O社の警告が激しさを増していたためで、チャートレビュー的なサイトは遠からず全て消滅する運命だったと思う。実際よく警告なしで続けられたなと思っている。確か始めたばかりの頃にまず先駆者達のチャートレビューサイト/ブログが警告で続々消された。当サイトがやたらチャートスレにコピペされまくるようになったのも早い段階で先駆者たちがいなくなってしまっていたからではないか。更にこの辞める数年前からまた大多数のブログが警告で消されてとかだったので、本当に最後の生き残りになっているんじゃないかと思いながらの最後の1,2年でもあった。

しかしこの終了から早6年が経過し、今や誰もO社チャートを語らなくなり、年間チャートを発表すれば毎年オワコン扱いされ、特に昨年のヒット曲として認知された曲とビルボード最上位が一致していた事もあって、昨年などは最早オワコン扱いすらされない空気と化しつつある(まとめブログで嘲笑のネタにされるという役割は毎年きっちり果たしているが…)。トドメに『CDTV』をビルボードに持っていかれるなどO社の権威は目に見えてなくなってしまった。世間一般へ向けての権威だけでなくチャートファンを自らあんなに削りにかかっていたので必然の結末だったのかもしれないが…。

なお相当な負担だったとはいえ、10年以上習慣化していたのでロス感(?)をなくすためのクッションとして日記の方で簡易レビュー的なものをしばらく継続してフェードアウトさせるという手段を用いた。

立て続けにTwitterも一時撤退を宣言しているのでチャート周りとTwitter周りでけっこうストレスが溜まっていたのかもしれない。

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思い出の平成音楽~平成24年(2012)~

サイト10周年。これを記念して主宰オフ会だけでも夏と秋、年末の3度に渡り、それ以外のお誘いや突発的なものも含めるとさらにいくつかという超連発っぷり。参加していない関西方面開催のオフ会も含めてこの当時の20~30代くらいの世代だったかな、当時のリンク先やTwitter交流者の間で恐らく最もオフ会が連発されていた時期である。いわばオフ会ブームであった。当サイトがこの年に連投したのは前2年に続いてというのと10周年記念というのがまず前提としてあった。

今にしてみれば2010年頃からTwitterでの交流が増えだした中で生まれたオフ会は必然にして一過性のブームとなり、この年を境にしてブームは一気に去ったのである。この時期に色々な人に会えたのはとても楽しかった

散々述べてきたように界隈イメージがついてしまい新しい人が入ってきにくくなることが懸念されていた。また先にオフ会ブームになったのは必然と書いたがこの2012年前後は本当にちょうどいい時期だったと改めて思う。

サイト10周年とはいえ大半の方々が大体数年~5年以内くらいの閲覧歴、他サイト/ブログ運営者さんたちも数年~7,8年くらいの運営歴相互リンク歴も5年前後、そんな状況からTwitterという新しいSNSで交流をし始めて1,2年という交流期間、それに加えて同世代となるともうこの数年間で集まる人は割と集まり切ったというようなそんな時期だった。むしろ音楽という趣味(特にサイト/ブログ運営)から離れる人の方が多い世代なのでこれ以降は同世代で新たな人に出会う可能性はかなり下がってくる。またこれ以降は新たな参加者が出てきても世代がかなり離れてくるので、新たな世代が余計に参加しにくくなってくるのも必然だった。一期一会な場であると以前書いたが、繰り返していれば固定化と減少が確実になるであろう感じになってきていた。徐々にTwitterでフォロワー間における衝突が散見されるようになり、1人また1人とTwitterの使い方を変えるようになっていくなど時代はまた変化していった。こうしてオフ会ブームは急速に去った。この機会に改めて振り返ってみればたぶんこんな感じだったんじゃないかと思う。

1対1や数名規模では今でもお会いすることはあるし、恐らくあの当時出会った方々は概ねそんな感じだろうと思う。なので、10人近い規模で集合して会うことは無いけど1対1で会った時にこないだ○○さんに会いましたよと聞く、とかは今も時々ある。主宰する事は無いが、呼ばれれば出ていくし、もう会わないというような事でも無い。先日もこの当時からの知り合いの方と会って話したところ、あの時のように告知して主宰してっていうのはもうないですよねっていう話にはなった。

そんなわけでこの2012年はオフ会の思い出が非常に強い1年だった。そしてこの辺りになってくるとそろそろ最近と言う感覚が漂ってくるので、懐かしいという感覚にもう1つ達していない。よって飽きちゃった曲と今も飽きずに聞き続けている曲がかなりハッキリ別れてきて当時の勝手に年間ランキングよりもかなり厳選されてきているように思う。

あと忘れちゃならないのがジオシティーズから独立して独自ドメインで現サイトへ移行した。これにより容量の心配をする必要が無くなった。

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思い出の平成音楽~平成23年(2011)~

震災の衝撃がやはり1番大きい年になるか。サイト的にはオフ会拡大期に当たる時期。毎回同じメンバーでやっていたと思われがちだが、実際はそんなことは無く、一期一会な場であり、1回それっきりでその後は特に交流が無いという人も少なくない。これはTwitterではなく、サイトのメールフォームでオフ会告知と募集をしていたため参加者全員とTwitterで知り合って参加者がみんな相互フォローし合っていたわけではない、というごく単純な理由が存在する。今にしてみるとリスクの高い方法であり、ほかの主宰者さんの時はTwitter相互かつやり取りをした事がある人、など一定の条件をつけていたりもした。普通にそれが懸命だろう。幸いトラブルが発生するようなことは無かった。

タイトルが毎回変わっていた前身デジオを打ち切り、「Zenryakuラジオ」に改称。いよいよサーバー容量問題が無視できない段階に達し始め、ジオシティーズからの旅立ちを検討し始める。

昔からやっていた「勝手にランキング」シリーズが他ブログで広がり始め、発信元不明になりながらしばらく広がり続けていったのは何だか不思議な感じであった。気がつけば当サイトの影響を受けてブログ始めましたみたいな後輩世代がけっこう増えていたのがこの頃だ。サイトのキャリア、年数、年齢的にも次なる学生世代との差が1番ちょうどいい時期だったんじゃないかなと思う。感覚的にこの頃はジェネレーションギャップも少なかった。実際この頃までの新規相互リンク先ブログさんとの年齢差は概ね上も下も含めて5歳前後くらいで当時開催されていたオフ会も概ねこのくらいの年齢幅にほぼ収まる感じだったんじゃないだろうか(年齢非公表という人もいたり、いちいち聞かなかったりするので正確には分からないけど)。

え?ZONE再結成もこの年だって?再結成発表時お前めっちゃ騒いでたじゃないかって?いやそんなものは無かった…あれはZONEではない…ベツノナニカだ…ZONEじゃなかったんだ…そうなんだ(現実逃避)… 「思い出の平成音楽~平成23年(2011)~」の続きを読む…