Hysteric Blue 20周年シングル回顧~1998-2003~

ボーカルTamaとドラムたくやは結成前から共に活動していたがそこに1つ年上のギターのナオキが声をかけて3人でHysteric Blueが結成されたのが97年。早速デモテープが佐久間正英の耳に止まってデビューが決定したという。年上だった事と結成時でのナオキのプロ志向が2人より強かったためか、当初はナオキがリーダーを名乗っていた(しかし徐々にたくやがバンドを引っ張る状態になっていたためかナオキが挨拶のたびにリーダーと名乗ることが無くなっていった)。

デビュー時点でTamaとたくやは18歳(ナオキは19歳)。高校3年生の年だったが、Tamaは既に高校を中退していたようでたくやだけが高校へ通っていたようだ。デビュー前後のドキュメント映像(ベスト盤の特典DVDにも収録)では、たくやだけが学校のためラジオ出演が電話出演だったり、母校が登場したりしていた。

デビュー時点でJUDY AND MARYが活動休止に突入した事と、曲によって歌声を使い分けていたがとりわけデビュー曲である「RUSH!」や「Little Trip」などでのTamaの歌声がJUDY AND MARYを彷彿とさせた事から、JUDY AND MARYのパクリとよく揶揄されていた。当時の音楽レビューサイトでも高確率でJUDY AND MARYと比較されまくっていた(軒並みJUDY AND MARYには及ばないという論調だった)。休止時のコメントでたくやは後年までこのような事を言われることを気にしていた旨を率直に打ち明けているのでよっぽどだったようだ。

99年に2曲の大ヒットを放ち、アルバムでは3作連続のトップ10入りまで果たしたものの、人気が持続せず後年は売上が落ちる一方となってしまっていた。1発屋ではなく確実に2発は当てていたわけだけど、その急落っぷりは00年の花*花もそうだったが、2発当てても定着しない時はしないという事を感じたのを記憶している。

個人的には最後まで普通に聞き続けていたものの、初期の若さと瑞々しさを後年越えられなかった感じは確かに否めない。実際3rdアルバム頃の時点でやり尽くして解散の危機に陥っていたという話をアルバムのたびにインタビューでしていたし、あまりに若くして浮き沈みを経験したためなのかまだ20代前半であった活動後期の時点で妙に貫禄が出ていた感じもあり、良くも悪くも駆け抜けたバンド活動だったようにも思う。

03年の活動休止宣言は正直売れなくなってきた(チャート50位を下回るようになった)のも少なからず影響していたと思われるが、一旦リセットしていつかまた集まろうという主旨のものであった。実際ソニー預かりだった公式サイトは休止と同時に休止中のメンバーの個々の活動も報告できるように独自ドメインで新たにオープンさせており、それぞれのコンテンツも動き出していた。

休止中はTamaは佐久間正英と共にThe Screaming Frogsとしての活動を開始、たくやは曲提供などを行い、ナオキはギターの武者修行に出るなどとコメントしていた。

しかし04年、ナオキが突如合計9人への強制わいせつにより逮捕されてしまった。クスリでの逮捕と異なり、被害者が9人に及ぶ重大な犯罪だったため懲役は10年以上に及び(2018年に出所予定とされている)、バンドは即時解散を余儀なくされた。

前代未聞のこのような事態により、解散だけに留まらず楽曲の全出荷停止は依然として解除されておらず全作品が廃盤で封印状態のまま現在に至っている。もちろん配信もされていない

佐久間正英は解散後もTamaとたくやの活動の支援を続けていたようで、2014年に亡くなる直前にも自身のイベントで2人を招いてHysteric Blue時代のヒット曲を演奏したり、2013年にTamaとたくやで結成されたSabaoでのHysteric Blueセルフカバーにも当初参加していた。最終的に2018年にTamaが体調不良で活動を休止するまでの間にHysteric Blue時代の楽曲はアレンジそのまま、演奏もほぼ再現する形で5曲がSabao ver.として再度世に出ている(もちろん全てたくや作曲)。

というわけで全曲永久封印状態のため、今回は公式な視聴リンクが一切存在しない。Sabaoセルフカバーがある5曲のみSabaoバージョンで視聴が出来るようにはしておいた…。

旧過去曲回顧で公開されていたものは全面破棄して2018.11完全新規執筆

「Hysteric Blue 20周年シングル回顧~1998-2003~」の続きを読む…