レミオロメン シングル回顧+(後編)~2006-2011~

一躍人気バンドとなったレミオロメンだったが、その直後に反動が訪れる。突如としてダークな心情を反映した楽曲を送り出すと、重苦しい楽曲を連発。リスナーの間でも小林武史の影響と思われるピアノストリングスの使い過ぎを嘆く声が増えていき(同時期のミスチルでも同様で「ピアノまみれ」と揶揄されるほど)、拡大したリスナー層も『HORIZON』が約70万枚だったのに対して、『風のクロマ』で10万を一気に割り込むなどあっという間に縮小してしまった。

迷いを抜けたと語ってはまた迷っているような文字通り迷走しながら進んでいったのがこの活動後期だったといえる。ただ個人的に人生に寄り添っていたのはこの時期だった。全く同じものではないが苦悩と希望の繰り返しにはとてつもなく共感したし、救われた部分もあった。

何度目かの迷いを抜けてたどり着いた「Your Song」。その先のバンドの目標も嬉々として語られていたが、直後にあの大震災が起きた。10周年を越えて3人のやりたい事が変わってきた云々が休止理由とされているが、震災で音楽の無力さ、「Your Song」で到達した思いを否定されるかのように痛感したようなところも影響していたんじゃないかと思う。

2019年にはレミオロメンのセルフカバーをソロで行った『RYOTA FUJIMAKI Acoustic Recordings 2000-2010』も発売された。レミオロメンの楽曲自体は恐らく今まで以上にソロで歌い継がれていく事になると思う。その先にもしかしたらいつか3人が揃って復活する未来もある、かもしれない。

2019.3~4執筆
2011年対談も参照。2011年対談を踏まえて(休止発表前だったがその翌年休止になったきりなので結果的に全シングル対談になった)、そこから8年後の2019年視点でC/W、アルバム曲を追加。

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レミオロメン シングル回顧+(前編)~2003-2006~

山梨出身の藤巻亮太(Vocal,Guitar)、前田啓介(Bass)、神宮司治(Drums)の3人は小学校時代からの同級生で学生時代にもバンドを組んでいたようだが進学で1度解散。藤巻が迫る就職(大学卒業)を前にして一足先にスタジオミュージシャンをしていた前田に相談して看護学校へ進学していた神宮司を誘って音楽の道へ進むことを決意。これが2000年。2010年に10周年が掲げられていたのはこの2000年が結成起点とされているからだったようだ。

その後、地元の空き家の神社の母屋を借りての練習の日々(通称「神社時代」)を経て03年にデビュー。当初インディーズだったがすぐに小林武史の烏龍舎、ビクターへの所属が発表されてメジャーデビューを果たした。当初ストイックなロックサウンドを主軸としていて小林武史はプロデューサーだったが演奏には参加していなかった。方向性としてもお茶の間では知らないがロック好きの間では期待の新人として注目されるようなロック誌方面、いわゆるロキノン系に属するような立ち位置だったようだが、より飛躍していくことを決めたのか途中から小林武史のプロデュースが強まり、やがて全面参加、J-POP方面へと振り切った。この路線変更は賛否を呼んだが、結果的にはアルバム3枚は出すたびに売上を伸ばし、シングル「粉雪」も大ヒットするなど一躍若手ロックバンドとして、躍進することに成功した。

個人的には「3月9日」がリリースされたときに知り、その時は1曲限りだったが1年後のアルバム『ether[エーテル]』から聞き始めた。なのでブレイク前は知らないが、ブレイクしていって人気が頂点を極めるまでは何となくリアルタイムで感じていた。当時は好きな曲がいくつかあるけど程度でそこまで熱心に聞いていたわけでもなかった。本格的に響くようになったのはむしろこの栄光の後だった。

2019.3執筆
2011年対談も参照。2011年対談を踏まえて(休止発表前だったがその翌年休止になったきりなので結果的に全シングル対談になった)、そこから8年後の2019年視点でC/W、アルバム曲を追加。

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