Hysteric Blue 20周年シングル回顧~1998-2003~

ボーカルTamaとドラムたくやは結成前から共に活動していたがそこに1つ年上のギターのナオキが声をかけて3人でHysteric Blueが結成されたのが97年。早速デモテープが佐久間正英の耳に止まってデビューが決定したという。年上だった事と結成時でのナオキのプロ志向が2人より強かったためか、当初はナオキがリーダーを名乗っていた(しかし徐々にたくやがバンドを引っ張る状態になっていたためかナオキが挨拶のたびにリーダーと名乗ることが無くなっていった)。

デビュー時点でTamaとたくやは18歳(ナオキは19歳)。高校3年生の年だったが、Tamaは既に高校を中退していたようでたくやだけが高校へ通っていたようだ。デビュー前後のドキュメント映像(ベスト盤の特典DVDにも収録)では、たくやだけが学校のためラジオ出演が電話出演だったり、母校が登場したりしていた。

デビュー時点でJUDY AND MARYが活動休止に突入した事と、曲によって歌声を使い分けていたがとりわけデビュー曲である「RUSH!」や「Little Trip」などでのTamaの歌声がJUDY AND MARYを彷彿とさせた事から、JUDY AND MARYのパクリとよく揶揄されていた。当時の音楽レビューサイトでも高確率でJUDY AND MARYと比較されまくっていた(軒並みJUDY AND MARYには及ばないという論調だった)。休止時のコメントでたくやは後年までこのような事を言われることを気にしていた旨を率直に打ち明けているのでよっぽどだったようだ。

99年に2曲の大ヒットを放ち、アルバムでは3作連続のトップ10入りまで果たしたものの、人気が持続せず後年は売上が落ちる一方となってしまっていた。1発屋ではなく確実に2発は当てていたわけだけど、その急落っぷりは00年の花*花もそうだったが、2発当てても定着しない時はしないという事を感じたのを記憶している。

個人的には最後まで普通に聞き続けていたものの、初期の若さと瑞々しさを後年越えられなかった感じは確かに否めない。実際3rdアルバム頃の時点でやり尽くして解散の危機に陥っていたという話をアルバムのたびにインタビューでしていたし、あまりに若くして浮き沈みを経験したためなのかまだ20代前半であった活動後期の時点で妙に貫禄が出ていた感じもあり、良くも悪くも駆け抜けたバンド活動だったようにも思う。

03年の活動休止宣言は正直売れなくなってきた(チャート50位を下回るようになった)のも少なからず影響していたと思われるが、一旦リセットしていつかまた集まろうという主旨のものであった。実際ソニー預かりだった公式サイトは休止と同時に休止中のメンバーの個々の活動も報告できるように独自ドメインで新たにオープンさせており、それぞれのコンテンツも動き出していた。

休止中はTamaは佐久間正英と共にThe Screaming Frogsとしての活動を開始、たくやは曲提供などを行い、ナオキはギターの武者修行に出るなどとコメントしていた。

しかし04年、ナオキが突如合計9人への強制わいせつにより逮捕されてしまった。クスリでの逮捕と異なり、被害者が9人に及ぶ重大な犯罪だったため懲役は10年以上に及び(2018年に出所予定とされている)、バンドは即時解散を余儀なくされた。

前代未聞のこのような事態により、解散だけに留まらず楽曲の全出荷停止は依然として解除されておらず全作品が廃盤で封印状態のまま現在に至っている。もちろん配信もされていない

佐久間正英は解散後もTamaとたくやの活動の支援を続けていたようで、2014年に亡くなる直前にも自身のイベントで2人を招いてHysteric Blue時代のヒット曲を演奏したり、2013年にTamaとたくやで結成されたSabaoでのHysteric Blueセルフカバーにも当初参加していた。最終的に2018年にTamaが体調不良で活動を休止するまでの間にHysteric Blue時代の楽曲はアレンジそのまま、演奏もほぼ再現する形で5曲がSabao ver.として再度世に出ている(もちろん全てたくや作曲)。

というわけで全曲永久封印状態のため、今回は公式な視聴リンクが一切存在しない。Sabaoセルフカバーがある5曲のみSabaoバージョンで視聴が出来るようにはしておいた…。

旧過去曲回顧で公開されていたものは全面破棄して2018.11完全新規執筆

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ステレオポニー 10周年シングル回顧~2008-2012~

AIMI(Vocal,Guitar)、NOHANA(Bass)、SHIHO(Drums)の3人で沖縄で結成されたいわゆる”ガールズバンド”ステレオポニー。08年のデビュー当時の年齢は18、19歳。また08年10月にSCANDALがEpicからデビュー、11月にステレオポニーがソニーからデビューしたため、この2組はほぼメジャーデビューが同期で同世代でもあった。SCANDALは楽器経験も浅かったこともあり当時はまだ自作ができず、実力勝負ではなく制服を武器にした提供楽曲で派手にアピール(その間に演奏力や自作能力を磨き続けて現在は自作へ移行している)したのに対して、ステレオポニーはAIMIがほぼ作詞作曲を一手に手掛けた完全自作のバンドとしてあまりビジュアル面を強く打ち出さずに硬派なロックバンドとしてアニメタイアップで中心で認知度向上を図るようなプロモーションを展開した。

結果として先にトップ3ヒットを放ったのはステレオポニーだったが、大きなヒットを出さずにうまく成長を遂げていったSCANDALはライブ規模をどんどん拡大しいつしかガールズバンドの代表を自称するような存在となった。対してステレオポニーはソニーアニメ典型パターン(アニメタイアップで売れるが自力人気がつかずやがてアニメタイアップも息切れ状態になってどんどんシュリンクしていく)に陥ってしまった。

その気になればボーカルAIMIのキュートなルックスや歌声を強く打ち出す事も出来たはずだが、そういう売り方はしたくなかったのか良くも悪くも強い”売り”をアピールせず、しかも最初期のイメージでは若さすら売りにせずに硬派・真面目なイメージ(プロデューサーの影響でYUIのフォロワー的な要素も初期はあった)で定着してしまったため、どうしても地味な印象を持たれがちだったところはあり、どうしても派手さで差がついてしまったのは否めない。また結果的にJ-POP好きとロック好きの両方を取り逃がして立ち位置が中途半端になってしまっていたところもあると思う。

やや遅れて青春感やさわやかな色を見せたり、活動後半はもっとはじけようと試行錯誤しつつもロックバンドしての逞しさは格段に増していただけに早すぎる解散が悔やまれるところだが、気が付けばデビューから10年。改めてそのシングルを振り返ってみる。

2018.11執筆

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未来玲可 20周年シングル回顧

小室哲哉プロデュースのブームの末期に突入していた98年、安室奈美恵は産休に突入して年末に復帰、華原朋美は小室との関係が急速に悪化して下手にしか歌えないような怪作を連発、globeがシングル4連続リリースを決行して、無謀なレコード大賞受賞へ向かう中で、新たな小室プロデュースがデビューした。

それが未来玲可である。

当時14歳の中学生として彗星のごとく出現し、いきなり月9主題歌に起用されるという破格の超大型新人扱いで、いきなり30万枚のヒットを記録した。
既に98年になってからの小室プロデュースはシングルでのミリオンヒットどころか50万程度がやっとだったし、月9自体も97年はどれも大ヒットしてブランドを確立していたが、98年になると初回だけ注目されてそこそこの視聴率をたたき出すが2回目以降は低迷して終わるのがパターンになってきていたのでさほどヒットしておらず、30万枚は98年当時において大ヒットではないが中ヒットくらいではあった。またトップ10に4週連続でランクインしたのもあって数字以上に98年末に流行っていた感覚もあった。

一体小室哲哉はどこで彼女を発掘してきたのか、そもそも小室哲哉が発掘したのかすら特に語られなかったし、名前もまあ普通に芸名っぽいしで存在が謎に包まれていたものの、全く表舞台に登場しなかったわけでもなく普通に「ミュージックステーション」に出演して生歌唱も披露した。

しかし終始緊張により若干泣きそうな表情で声が上ずり、曲が進むごとに上ずる回数も増えて声がヘロヘロになっていった。どうやら鋼の心臓を持つ度胸の据わった少女というわけではなく、ごく普通の14歳だったようでいきなりのTV生歌唱という途方もない緊張を考えれば当然ともいえる状況だったのかもしれない。当時視聴者に与えた衝撃は多く、ネットが発達していた時代では無かったのでリアルタイムで語られた出来事ではないにも関わらず現在も引退理由として“Mステでの失敗で自信を喪失した”と筆頭に挙げられてしまうくらいMステ出演の衝撃は伝説として細々と語り継がれているほどである。

結局このMステ出演は夢か幻か、12月に2ndシングル発売予定とCDショップの案内告知も出ていたがそのまま延期・中止になり、やがて3月になってひっそりとアルバムが発売されたがこの際の本人稼働は無くそのまま消息不明となった。

しかもこのアルバム、小室と久保こーじの連名プロデュースであったにもかかわらず小室は一切曲を書き下ろさず、内田有紀に書いた曲をカバーさせた以外は他作家へ全面丸投げ。鈴木あみの1stで見られたように小室が曲を書かない場合、アルバム曲をMARCや前田たかひろが歌詞を書いて久保こーじが作編曲を担う事で仕上げるケースもあったが、なんと久保こーじでさえ1曲書いただけ(C/W含めて2曲)。MARCは6曲の作詞に関与したがそれ以外は外部作家に丸投げしてしまう始末であった(1曲だけTMNの木根尚登の作曲はある)。小室プロデュースなのに小室が一切新曲を書き下ろさなかったというのも前代未聞だが、久保こーじでさえも…となればもう後にも先にも例が無かったのではないか…。

このように「海とあなたの物語」1発屋というか1発しか出さずに消えてしまった謎の人となった未来玲可。”あの人は今”みたいな特集で扱われたという話も聞かないし、未だにウィキペディアにも引退理由が噂レベルのものが列挙されているだけという不確かさだがそれだけ情報が無いままに一瞬で消えてしまったのである。現在は配信でも出ておらずCDも廃盤なので中古でたまに見かけるくらいしかお目にかかれない。

そんなわけで史上最短、たった1回ポッキリで終わるシングル回顧、始まって今日で最終回

2018.11執筆

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MOON CHILD シングル回顧~1996-1999~

当時新鋭のレコード会社で主にダンスミュージックを中心に手掛けていたエイベックスから初のロックバンドとして96年にデビュー。メンバーは作詞作曲をほぼ一手に手掛ける佐々木収(Vo,Gt)、渡邊崇尉(Ba)、樫山圭(Dr.)の3人組だった。3rdシングルよりサポートメンバーとして参加していた秋山浩徳(Gt)が加入して4人組となった。

97年にドラマ『FiVE』主題歌に起用された「ESCAPE」が大ヒットして一躍有名となった。続くシングル2作もトップ20ヒットとなり、2ndアルバムはトップ10ヒットを記録するも以降人気が続かず、ほぼ1発屋として扱われるようになってしまった。99年年明けには早々に解散を発表して解散してしまった。

ポストMr.Childrenとして期待されていたなどと言われているが90年代後半に出てきたV系の流れとは異なるポップロック系のバンドは割とすぐにポストミスチルとか言われがちで、そんな時代であったのでミスチルっぽいところがあったかどうかについては正直あまりそういった要素は見当たらない。ただし本人たちもその意識があったようで後期の頃にはC/Wで直接的には伏せているがポストミスチルと言われていた事に言及する歌詞が登場する曲もある。

途中までプロデュースを担当していた浦清英は当時ミスチルのサポートキーボードを担当していたという繋がりがあったため、余計言われやすいところはあったのかもしれない。また共同アレンジャーとして途中で今井裕を起用し、最終的にたどり着いたのが井上鑑という点においては同時期に活動していたBluem of Youthとも共通している。

現役時代シングル11枚、オリジナルアルバム3枚をリリースしたが、枚数の割に活動内容は非常に濃く、アルバム3作全て方向性が異なるなど90年代らしい変化の多いバンドでもあった。

またMVを見るとボーカル佐々木は毎回のようにさほどダンスミュージック的なサウンドでもないのにクネクネと猛烈に踊り狂っており、何故彼らがダンスミュージック色の強いエイベックスからデビューしたのかの答えの一端が伺える(?)。

解散発表から解散までがかなり急で、3rdアルバム発売直後のツアーがそのまま解散ライブとなった。一方で解散後のベストアルバム発売が解散から半年も経過してからだったり、何故か05年に唐突にもう1度ベスト盤を発売することになり、ジャケット撮影のためだけにメンバーが再集結、シングル『アネモネ』のジャケットと全く同じ構図で『COMPLETE BEST』のジャケットが撮影されたりと、解散後にもリリースやメンバーが集結する動きは少なからずあった。

佐々木收と渡邊崇尉は解散直後にSCRIPTを結成。休止や移籍を挟みながらも2010年代前半頃まで活動していた。SCRIPTはエイベックスではなかったが、佐々木は石田匠と組んでRicken’sというユニットでも一時活動しており、そちらはエイベックス所属であった。この縁もあって佐々木とエイベックスとの繋がりも続いていて主にエイベックスの所属ミュージシャンへの提供活動も行っていた。この頃にはササキオサム名義になっていて、ソロでもこの名義でライブを行っていたようだ。

大塚愛が主演した『東京フレンズ』で大塚愛の相手役だった瑛太が引き抜かれて加入したメジャーデビュー間近の人気バンド「フラワー・チャイルズ」はRicken’sが演じており、演技シーンはほとんどなかったがライブをしている姿が作中に登場する(ただしスキャンダルにより超失脚してメジャーデビューの話が立ち消えになって物語から消えるバンドという役どころであった)。個人的に解散以降10年ぶりくらいに久々に佐々木収が予想だにしない映画の作中で出てきて驚いたが、その顛末にもっと驚いた。

2013年にはMOON CHILD再結成を発表。この際はデビュー当時の3人となっていて秋山は不参加だった。ライブは盛況だったようで公式サイトも制作されていたことから当初は継続的な活動も視野にあったものと思われるが、直後に佐々木が原因不明のめまいにより活動休止を発表するなど体調がおもしわくない状態が続いたようで、気が付けば公式サイトも消滅してしまい、MOON CHILDの活動も無くなっていた。

すっかり忘れかけた2017年になって突如同じ1度解散を経て復活したエイベックスのバンド同士という共通点を持つDo As Infinityとの対バンが行われて再度復活。この際には秋山も参加して4人が揃ったという。以降は再び活動は無く、ソロ活動へ戻っていたが、2019年には2年ぶりに復活して再びDo As Infinityとの対バンが行われることが発表されている。

2018.10執筆

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Tourbillon シングル回顧~2005-2016~

04年の河村隆一ソロで葉山拓亮をアレンジャー兼作家として招いて以降、河村隆一ソロにおいて葉山拓亮は欠かせない人物となった。その翌年05年に結成が発表されたTourbillonは河村隆一葉山拓亮、そして河村隆一とLUNA SEA時代の同僚であるINORANの3人で結成された。Toubillonにおいては河村隆一ではなくLUNA SEAで使用していたRYUICHI名義を復活させ、葉山拓亮はH.Hayama、INORANはそのままINORANとなっている。

LUNA SEAとソロの差別化を図るためにソロではロック調に思えるような曲もほとんどやってこなかった河村隆一は04年のソロではロック調の楽曲もやるようになっていたが、このTourbillonにおいてはさらにロックを開放して、LUNA SEAとはまた異なる大人のロックとして大々的に活動を開始した。

当時の河村隆一はコロムビア、INORANはキングレコードでソロ作品を出していたが、葉山拓亮がD-LOOPで活動していた頃に在籍していたエイベックスからのデビューとなった。後に河村隆一もエイベックスへ移動し、復活したLUNA SEAもエイベックスから新作をリリースしたがこちらはすぐに元のユニバーサルへ戻っている。LUNA SEA終幕以来、初めてメンバー同士が新たなバンド(ユニット)を結成するという事で、当時の3人それぞれの活動よりも大きな話題となり、プロマーシャルなる造語まで使って大々的にデビューした…もののシングルもアルバムもトップ10手前の位置に留まり、大きなヒットには恵まれなかった。

05年と06年の2年間活動してシングル4枚、アルバム2枚をリリース後は08年にライダータイアップでの楽曲に参加したのみとなり、自然消滅状態となった。ただし河村隆一ソロにおいて葉山拓亮はほぼ全面参加し続けていたし、以降はINORANが河村隆一ソロへ参加することもあった。またその後LUNA SEAも復活した事でRYUICHIとINORANはバンドメンバーとして継続的に活動するようにもなり、関わり自体はずっと続いていた。

そしてすっかり忘れかけたデビュー10周年を機に復活。新曲含むベスト盤、そして翌2016年にはオリジナルアルバムを発売した。2017年以降はまた目立った活動はしていない。

河村隆一とLUNA SEAのシングル回顧を既にやったが、そういえばTourbillonも一応全部リアルタイムで聞いていたんだったという事で今回初めてラインナップに加え、これにて河村隆一、RYUCHIのボーカルシリーズが過去曲回顧の新スタイルにて取り揃えることができた。

2018.10執筆

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大塚愛 15周年シングル回顧3~2009-2018~

09年になるとシングル売上はさらに低迷していたが、そんな中でRIP SLYMEのSUとの結婚を発表。さらに09年後半には妊娠により産休に突入した。産休はそんなに長くは無かったが、大塚愛としての新作はしばらく途絶え、活動再開後もオリジナルアルバムまでは間があったので、『LOVE FANTASTIC』は09年のシングル曲と13年、14年のシングル曲が混在し、”愛”名義と”AIO”名義、Ikoman参加とhiroo参加が混在するアルバムとなった。

以降はアルバム主体の活動へ移行。これまでが「歌う楽曲」だとすれば今回は「聴く楽曲」だとするエレクトロサウンドに振り切った『LOVE TRiCKY』はcap(Noboru Abe from STUDIO APARTMENT)との共同アレンジにて初めてシングル曲なしで全曲新曲のフルアルバムとしてリリースされた。

2016年は新曲リリースは無く、2017年は久々のドラマタイアップもあってシングル「私」、立て続けにアルバム『LOVE HONEY』をリリース。前作でのcap路線と笹路正徳をアレンジャーに迎えての以前と現在を融合させたようなアルバムとなった。

産休前から女性リスナー向けに振り切るような発言が増え始め、男性リスナーをおざなりにするような発言を繰り返すようになったが、これによりコアな男性ファンの多くが離脱してしまったらしく、いつの間にかヒット曲どころか活動している事すらあまり知られていないような完全な過去の人扱いになってしまった感もある。ビルボードのインタビューコーナーにはそんな近年のはっちゃけたインタビューが残っているが、正直売れなくなってからもブレない一貫した姿勢は売れてた時よりもはっちゃけていて面白かったりもする。

2018.9執筆
一応全アルバムCDで視聴しているものの今回はそのまま『Single Collection:LOVE IS BORN ~15th Anniversary 2018~』全曲という形のため、圧縮音源であるこの配信限定アルバムを聞いた上での執筆。

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大塚愛 15周年シングル回顧2~2006-2008~

人気絶頂期から徐々に落ち着きつつあった15周年の中期に位置する時期。基本ルーティンを維持しつつも、前年頃から見せつつあった打ち込みから生音バンドサウンドメインでの移行、シングルでは新たな方向性も見せ始めていた。

産休前のオリジナルアルバムはこの時期のシングル収録までとなり、レンタル限定の2011年の『SINGLE COLLECTION』もここまでが対象となっていて概ねTVによく出てくる大衆向けシンガーだったのもこの頃くらいまでだった。

2018.9執筆
一応全アルバムCDで視聴しているものの今回はそのまま『Single Collection:LOVE IS BORN ~15th Anniversary 2018~』全曲という形のため、圧縮音源であるこの配信限定アルバムを聞いた上での執筆。

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大塚愛 15周年シングル回顧1~2003-2005~

2018年9月でデビュー15周年という事で、世間的にはちょっと過去の人になりつつあるけど00年代半ば頃のトレンド系ヒットミュージシャンにしてアイドル的側面も持ち合わせた大塚愛を久々に振り返ってみることにした。配信限定で今回取り上げる全A面を網羅した『Single Collection:LOVE IS BORN ~15th Anniversary 2018~』がリリースされ、元から格安だったのにレコチョクで発売直後に限定で900円とかで投げ売られていたのもタイミングが良かった。

大塚愛が面白いのは人気が落ち着いてきた頃に、完全に同世代女性向けにシフトしてそっちを向いた活動ばかり展開した事である。インタビューでは男性ファンをおざなりにしたような発言を繰り返すなど、アイドル的に応援してくる野郎は願い下げとばかりの態度だったので一部では反感も買ってそうだし、実際物凄い勢いで人気が低下してしまったが…。

何故か正規のベスト盤を初期の頃に出したっきり、産休前後の頃はレンタル限定で済ませ、この15周年のタイミングでは配信限定で済ますなど、売る気が無いのかなんなのかよく分からないリリース展開の迷走っぷりも見られるが、何故か2019年1月1日に15周年ベストをリリースすると発表。そちらはシングルコレクションではなく、一部シングルを外す代わりにA面以外の曲が選曲されているようだ。

なお10年半ほど前に初期の対談レビューで取り上げているが、あの対談の時は「ポケット」を聞いてない状態で朱雀さんに丸投げするというあんまりな状態で行っている始末であった。あの対談での感想や印象は双方見解一致で既に5年近く前からこれはもう古い…今の感想ではないという事で一致しており、あくまで過去の負の遺産として置いてある。このため今回特に当時の★の数なんかは全く確認せずに書き上げたので、言っている事が全く異なっていることもあるかもしれない。というかここまで書いてから久々に読み直してみたら思った以上に酷かっ

2018.9執筆
一応全アルバムCDで視聴しているものの今回はそのまま『Single Collection:LOVE IS BORN ~15th Anniversary 2018~』全曲という形のため、圧縮音源であるこの配信限定アルバムを聞いた上での執筆。

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サザンオールスターズ 40周年シングル+回顧10~2013-2015~

2008年にきちんと無期限休止を宣言したためか、桑田ソロで新曲が発表されたのは09年12月と1年以上開いていてゆったりとした出足となった。しかし2010年夏に桑田は初期の食道がんにより療養生活を余儀なくされる。さらに2011年の東日本大震災も発生。自身に、そして日本で起きた大きな出来事は確実に何らかの影響を与えたと思われるが、結果として無期限休止からきっかり5年、35周年のタイミングでサザンオールスターズは再始動を果たした。03年以降腰痛でなかなか参加できていなかった野沢も今度こそ全面参加で5人が揃った。

桑田ソロからこの時期にかけては長年固定状態になっていた制作陣に代わって新たな製作スタッフが参加した。アレンジャーにしてシンセ、プログラミングを担当する曽我淳一、マスタリングエンジニアのTed Jensenなどが新たに起用された。いずれも新鮮な驚きがあったようで起用当初から一気に多用され、サザン復活後も引き続き起用していたが、やはりいつも通りの方がいいという事になってきたのか、この時期のサザンでの起用を経て曽我淳一の起用は減り、Ted Jensenによる海外リマスタリングも国内エンジニアの起用に戻された。

また『葡萄』リリース後のツアーをもってしてまたしてもサザンは休止状態となり、しれっと桑田ソロ活動に戻ってしまったがこの際には特に休止宣言も出なかった。大方の予想通り、40周年である2018年に再びサザンでの活動が始まり、休止宣言は無かったが「再始動」という表現は使用された。

今回取り上げた楽曲のその次は長期連載開始の前日に新作シングル感想として更新した2018年の「闘う戦士たちへ愛を込めて」となるが、まだリリースから日が浅いため、もう少し経過してから過去曲回顧として「壮年JUMP」などとも合わせて追記していく形を取る予定。

2018.9新規執筆

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サザンオールスターズ 40周年シングル+回顧9~2003-2008~

大森の休止からの脱退を経てサザンは休止状態となり、01~02年の間には桑田ソロ3期が行われ大ヒットを飛ばした。03年に25周年を迎えると「勝手にシンドバッド」の復刻盤をリリースしてこれが異例の大ヒットを記録。最早単なる再発に留まらないリバイバルヒットととなり、当時獲得できなかった1位を獲得した。

続けて5人のサザンも本格始動。以降安定したヒットを重ねたが、例によってオリジナルアルバム発売までは数年を要した。

この時期からはメンバーの演奏クレジットが詳細表記になり、特に桑田のクレジットにベースを筆頭としたメンバー担当楽器まで併記されるようになった。また公式ライナーがアルバムに付属するようになり、ベースを自分が弾いたと公言するようになったため、実はメンバーが参加していなかった…という曲が増えた。

05年の『キラーストリート』リリース以降は活動が鈍化し、06年はシングル1作のみ。07年は桑田ソロが始まってしまい、迎えた30周年でついに無期限での活動休止を発表。ここまで本格的に休止を発表したことが無かったのと、そんな状態でも2,3年活動しないことは珍しくも無くなっていたため、いつ戻ってくるとも分からない事実上の解散宣言なのではないかと波紋を呼んだ。

2018.8~9執筆
2008年30周年時に聞いてないシングルがありながら禁断の空欄突破で公開した過去曲回顧「30周年シングルレビュー」を、2013年35周年復活時にA面全曲聞いた上での完成版「35周年シングルレビュー~1978-2008~」として公開。
今回は40周年を記念して全C/W追加各アルバムからも数曲ずつピックアップして全面リメイク。以前書いたA面部分もほとんど破棄して書き直している。
シングルはオリジナル盤、アルバムは08年リマスター盤を全て聞いての執筆。

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