7th Monotone Boy

87年4月22日
3番目のヒットシングル。当時アルバム未収録となり、休止後のベスト盤『The Best of Dreams』で初めてアルバムに収録された。B面の「Never Told You But I Love You」は『TIME』からのシングルカット。

偶然かソニーが狙っていたのか、同日の松田聖子のシングル「Strawberry Time」は今作と同じ作詞が松本隆、作曲が土橋という組み合わせで1位を獲得、今作は3位だった。 「7th Monotone Boy」の続きを読む…

REBECCA

6th LONELY BUTTERFLY

86年10月15日
アルバム『TIME』10日前の先行シングル。当時のシングル市場は低迷していたため売上枚数だけ見るとパッとしないが、一応ある程度安定してヒット連発の黄金期であったようで、当時の若者であれば一定以上の認知度はあったものと思われる。 「6th LONELY BUTTERFLY」の続きを読む…

REBECCA

5th Raspberry Dream

86年5月2日
前作に続く自身2番ヒットシングル。現在もそのまま「フレンズ」に続く2番目の代表作として認知されている。ギターの古賀在籍時最後のオリジナルシングル。このためなのかアルバム『TIME』に収録されず、オリジナルアルバムに収録された事が無い。 「5th Raspberry Dream」の続きを読む…

REBECCA

4th フレンズ/ガールズ ブラボー!

85年10月21日
当時のシングルジャケットでは2曲併記された両A面表記になっているが、「フレンズ」の知名度があまりに先行しすぎたせいか両A面だった事はほぼ忘れられている。『REBECCA SINGLES』『GOLDEN☆BEST REBECCA』発売時は完全に「フレンズ」単独A面扱いされており「ガールズ ブラボー!」は『REBECCA SINGLES』には収録されず『COUPLING SONGS COLLECTION』に収録された。またベスト盤のブックレットに掲載されているディスコグラフィーでも「フレンズ」は単独A面、「ガールズ ブラボー!」は思いっきりC/Wと表記されている。

自身最大のヒットシングル。最大ヒットといっても85年はレコード売上がかなり低迷していた時期なので枚数はさほど高くなく30万枚程度。年間チャートでは翌86年に累計より5万枚ほど少ない25万枚で30位に入っている。

バンド自体が90年代の到来と共に解散しているので、あくまで80年代のヒット曲の1つくらいの認知度だったと思われるが、99年のremixed editionによるリバイバルヒットによって知名度の裾野が下の世代に大きく広がった。 「4th フレンズ/ガールズ ブラボー!」の続きを読む…

REBECCA

3rd ラブ・イズ・Cash

85年4月21日
木暮・小沼が脱退してしまったため、土橋安騎夫をメインライターにしてリーダーとしての再始動作。ギターは古賀森男、ドラムは小田原豊が新たに加入した。ギタリストはこの後も変動があったが、ドラムの小田原豊は最終メンバーとして固定した。

前2作は100位圏外だったため、今作が初チャートインシングル(30位)。木暮・小沼を実質クビにしたのはひとまず売れることを目的としたためだったと思われるが、その目的の第一歩であるチャートへのランクインをいきなり果たせたという事で、結果的にメンバーチェンジ、土橋をリーダー・メインライターとする選択は一気に吉と出た。 「3rd ラブ・イズ・Cash」の続きを読む…

REBECCA

2nd ヴァージニティー

84年11月21日
2ndアルバム『Nothing To Lose』と同時発売。アルバムには「ヴァージニティー」はそのまま収録され、B面の「黄金の日々」は未収録。結果的に『Nothing To Lose』を最後に木暮・小沼が音楽性の違いで脱退したためデビュー時メンバーでの最後の作品となり、バンドは早くも再構築を余儀なくされる事となった。

脱退した2人は田所豊(後のダイアモンド☆ユカイ)、小川清史と共にRED WARRIORSを結成するが、RED WARRIORSは当初はレベッカ♂を名乗っていたため一時的に同名のバンドが2つ存在する時期があったという。これは小暮の脱退理由が自主的というよりディレクターとの方針の違い(もっとポップな売れるのをやれ)で衝突を繰り返して辞めると宣言する前に実質的にクビになってしまったが、レベッカというバンド名には愛着があったためとされている。

「ヴァージニティー」は代表曲として扱われる事も多い楽曲だが発売当時は100位圏外で売上記録は残っていない。 「2nd ヴァージニティー」の続きを読む…

REBECCA

レミオロメン シングル回顧+(後編)~2006-2011~

一躍人気バンドとなったレミオロメンだったが、その直後に反動が訪れる。突如としてダークな心情を反映した楽曲を送り出すと、重苦しい楽曲を連発。リスナーの間でも小林武史の影響と思われるピアノストリングスの使い過ぎを嘆く声が増えていき(同時期のミスチルでも同様で「ピアノまみれ」と揶揄されるほど)、拡大したリスナー層も『HORIZON』が約70万枚だったのに対して、『風のクロマ』で10万を一気に割り込むなどあっという間に縮小してしまった。

迷いを抜けたと語ってはまた迷っているような文字通り迷走しながら進んでいったのがこの活動後期だったといえる。ただ個人的に人生に寄り添っていたのはこの時期だった。全く同じものではないが苦悩と希望の繰り返しにはとてつもなく共感したし、救われた部分もあった。

何度目かの迷いを抜けてたどり着いた「Your Song」。その先のバンドの目標も嬉々として語られていたが、直後にあの大震災が起きた。10周年を越えて3人のやりたい事が変わってきた云々が休止理由とされているが、震災で音楽の無力さ、「Your Song」で到達した思いを否定されるかのように痛感したようなところも影響していたんじゃないかと思う。

2019年にはレミオロメンのセルフカバーをソロで行った『RYOTA FUJIMAKI Acoustic Recordings 2000-2010』も発売された。レミオロメンの楽曲自体は恐らく今まで以上にソロで歌い継がれていく事になると思う。その先にもしかしたらいつか3人が揃って復活する未来もある、かもしれない。

2019.3~4執筆
2011年対談も参照。2011年対談を踏まえて(休止発表前だったがその翌年休止になったきりなので結果的に全シングル対談になった)、そこから8年後の2019年視点でC/W、アルバム曲を追加。

「レミオロメン シングル回顧+(後編)~2006-2011~」の続きを読む…

レミオロメン シングル回顧+(前編)~2003-2006~

山梨出身の藤巻亮太(Vocal,Guitar)、前田啓介(Bass)、神宮司治(Drums)の3人は小学校時代からの同級生で学生時代にもバンドを組んでいたようだが進学で1度解散。藤巻が迫る就職(大学卒業)を前にして一足先にスタジオミュージシャンをしていた前田に相談して看護学校へ進学していた神宮司を誘って音楽の道へ進むことを決意。これが2000年。2010年に10周年が掲げられていたのはこの2000年が結成起点とされているからだったようだ。

その後、地元の空き家の神社の母屋を借りての練習の日々(通称「神社時代」)を経て03年にデビュー。当初インディーズだったがすぐに小林武史の烏龍舎、ビクターへの所属が発表されてメジャーデビューを果たした。当初ストイックなロックサウンドを主軸としていて小林武史はプロデューサーだったが演奏には参加していなかった。方向性としてもお茶の間では知らないがロック好きの間では期待の新人として注目されるようなロック誌方面、いわゆるロキノン系に属するような立ち位置だったようだが、より飛躍していくことを決めたのか途中から小林武史のプロデュースが強まり、やがて全面参加、J-POP方面へと振り切った。この路線変更は賛否を呼んだが、結果的にはアルバム3枚は出すたびに売上を伸ばし、シングル「粉雪」も大ヒットするなど一躍若手ロックバンドとして、躍進することに成功した。

個人的には「3月9日」がリリースされたときに知り、その時は1曲限りだったが1年後のアルバム『ether[エーテル]』から聞き始めた。なのでブレイク前は知らないが、ブレイクしていって人気が頂点を極めるまでは何となくリアルタイムで感じていた。当時は好きな曲がいくつかあるけど程度でそこまで熱心に聞いていたわけでもなかった。本格的に響くようになったのはむしろこの栄光の後だった。

2019.3執筆
2011年対談も参照。2011年対談を踏まえて(休止発表前だったがその翌年休止になったきりなので結果的に全シングル対談になった)、そこから8年後の2019年視点でC/W、アルバム曲を追加。

「レミオロメン シングル回顧+(前編)~2003-2006~」の続きを読む…