しかし95年のベスト盤『DO THE BEST』はミリオンを越える大ヒットを記録。1995年の年間チャートでも10位を記録して年間トップ10入りを果たした。これは逆にシングルでミリオン前後のヒットを出している同時代に活躍していた女性ソロシンガーらでも達成できていない偉業であり、大きな1発は無いがヒット曲を連発していた事が実を結んだものと思われる。
98年にメジャーデビューしたモーニング娘。が3rd「抱いてHOLD ON ME!」で初の1位を獲得して最初のブレイクを迎えたタイミングで、初の派生ユニットとして誕生したのがタンポポだった。メンバーは1期の石黒彩・飯田圭織、2期の矢口真里の3人。当時のモーニング娘。よりもさらに大人っぽさを強調したセクシー路線で2作のシングルをリリース後にオリジナルアルバムも発売。そこからシングルカットされた「たんぽぽ」は爽やか路線となっていた。この時点まではまだ様々なグループを手掛ける前だったので早期の1stアルバム制作という好環境含めてかなり丁寧なプロデュースワークが展開していた。
9月4日のベスト盤『All of タンポポ』でこれまでを総括した月末の26日には新編成での1発目としてシングル「BE HAPPY 恋のやじろべえ」がリリースされるも人気は大幅下落。続いて予定されていた新編成プッチモニのシングルはリリース延期のまま破棄となり、タンポポの新曲発売もこれにて停止。1年後にラジオが終了し、解散宣言無くタンポポもまたフェードアウトしていった。
2019.12新規執筆(プッチモニ同様に2007年頃の過去曲回顧を全面破棄して書き直し)
1st ラストキッス
98年11月18日
石黒彩、飯田圭織、矢口真里
編曲:小西貴雄
3rd「抱いてHOLD ON ME!」が初の1位を獲得して最初のブレイクを迎えていたモーニング娘。の派生ユニットしてデビューしたタンポポのデビュー作で30万枚を越えるヒットを記録。最終的に「恋をしちゃいました!」「乙女パスタに感動」に続く3番ヒットとなるが、本家が50万弱のヒットの中で派生ユニットで30万ヒットはなかなか驚異的だったと思う。「恋をしちゃいました!」「乙女パスタに感動」の頃にはもう一気にCD売上全体が下落しまくっていたので98年という時代が良かったのかもしれないが、それでも「LOVEマシーン」直後の「聖なる鐘がひびく夜」でも20万越えたのがやっとだったし、何だか今作は異様に売れた感じはある。
ブリティッシュ風味と形容されることが多かったが、これは当時のつんくが『A HARD DAY’S NIGHT つんくが完コピーやっちゃったヤァ!ヤァ!ヤァ! Vol.1』というビートルズのカバーアルバムを出したり、多忙になっていくプロデュースワークの間に自身の所属するシャ乱Qとは別にビートルズに傾倒したソロ活動をしていたのも反映されていると思われるが、4人になってからのタンポポは正統派のガールポップ路線となり、ギミックやインパクトよりも正統派のかわいらしさ、正統派のポップなメロディーを聞かせる方向性となった。当時は他のハロプロはノリが苦手だけどタンポポだけは聞きやすいとかハロプロを最初に聞くならタンポポがお勧めだという論調も生まれた。
金曜日に彼と過ごす休日を想像して盛り上がる女の子のウキウキな様子を歌ったかわいらしいポップナンバー。タイトルは冒頭で昼休みにスープパスタに感動したと触れているだけでその後の歌詞の内容には全く関わりが無く、さらにジャケ写もいつの時代ですか?というような最早誰が誰だかパッと見で分からない珍妙なモノで、タイトルと見た目で珍品扱いされがちなのがちょっと惜しかった。歌衣装とかも普通にかわいらしかったし、ジャケ写の格好が出てくる余地はPVにすら全くなかったのになぜこんなことに…。
★★★★☆ ベスト『All of タンポポ』
ベスト『タンポポ/プッチモニ メガベスト』
以降も路線を変更しながら活動を続け、西野カナによく提供していたGiorgio 13を迎えたりもしていた。15周年を迎える前には一時スランプにも陥ったようだが、復活を遂げポジティブな溢れんばかりの勢いで(「TRY AGAIN」→「Wake me up」→「無敵なハート」→「DYNAMITE」)突き進んだ。
この時期になるとシングル売上は10万枚を下回るようになっていったので、もう知らない人は知らないという状態になってきていたんじゃないかと思う。一方で紅白歌合戦には03~05年に3年連続で出演した。この時期はTVに出ておらず、この3年間も”紅白でだけTVに出てくる人”だった。この3年間では「Stay by my side」「明日へ架ける橋」「Love, Day After Tomorrow」という選曲で、NHKタイアップだった「明日へ架ける橋」以外はその年の曲を歌う事は出来なかった。最初の2年は中継出演させてもらうなど大物扱いではあったが、正直人気が伴わなくなってきている感もあって、3年目はかなり厳しい感じがしていたが案の定3年連続で途切れた…。
基本的に代表曲とされていて広く知られているヒット曲は概ねここまでで出揃っている。当時はコナン歌手のイメージもそこまで強くは無かった。代表曲として挙げられる事の多い5,6曲の中でもコナンは「Secret of my heart」くらいである。愛内里菜、GARNET CROWら多数のレーベルメイトや新顔でコナンタイアップを回していたので倉木麻衣が飛びぬけて担当していたわけでもなかった。
一方でメジャー時代はほとんど実現しなかった生バンドでのレコーディングが自ら指揮を執る事で可能となり、基本的には生バンド編成となった。これに伴ってか作風もメジャー時代はミドル~ミディアム主体だったのが生バンドの勢いを生かしたアップテンポが増えた。FIELD OF VIEWからのイメージだとメジャー時代よりもむしろここからの方があの頃と変わらぬイメージかもしれない。