プッチモニ 20周年シングル回顧~1999-2001~

モーニング娘。が「LOVEマシーン」で大ブレイクした直後、タンポポに続く2組目の派生ユニットとして誕生したのがプッチモニだった。選ばれたメンバーは2期の保田圭市井紗耶香、ただ1人の3期として加入したばかりの後藤真希の3人。後藤真希はオーディション段階から10年に1人の逸材とつんくに評され、1人だけの加入になった挙句に「LOVEマシーン」でいきなりセンター、中学生ながらいきなりのド金髪(夏休みだったので染めていただけで夏休み明けの「LOVEマシーン」発売時にはもう金髪ではなかった)でインパクトを放ち、既にエースとして大注目されていたが、保田圭、市井紗耶香は当時はまだ地味なメンバーであまり認知されていなかった。市井紗耶香は半年後には辞めてしまったが、プッチモニデビューからの半年ではプッチモニをリーダー格として仕切って引っ張る姿が好感を集め、一躍人気メンバーとなっていった。脱退直前の市井は後藤真希、安倍なつみに続くモーニング娘。の3番人気まで上り詰めていたのではないか、と評する声も当時あった。逆に後藤真希はいきなりド金髪のインパクトからクールな不良系と思われていたがプッチモニでは中学生らしい普通の女の子感を出していて先行するクールイメージに対して自然体に活動できていたようだ。保田圭は後に『うたばん』で石橋貴明に激しくイジられる事で独自のキャラが確立したので(呪いの人形みたいなのとか石橋貴明とCG演出とか)最初にスポットが当たったのはやはりプッチモニだったと思う。

当初はどちらかというと市井が中心に近い扱いになっていて後藤真希のユニットという印象にはならなかったプッチモニだったが、市井の卒業に伴い、4期として加入したばかりの吉澤ひとみが新たに加入。これ以降は普通に後藤真希が中心メンバーのような扱いに変わり、ほぼセンター固定となった。

基本的にタンポポと連動してシングル発売も連続して行っていたが2002年7月の通称ハローマゲドンによりユニット活動は終焉を余儀なくされた。特にプッチモニの場合は後藤が9月卒業、保田が来春卒業と一挙2名が卒業してしまう事となった。

タンポポ含めて派生ユニットは卒業の有無に関わらず完全再編して再始動と発表され、プッチモニは吉澤ひとみに加えて新たに小川麻琴アヤカ(ココナッツ娘。)の3人編成になることが発表された。再編成での新曲はタンポポは何とか発売されたものの、プッチモニは続けて発売とされていたが延期されてしまい、そのまま発売されずじまい。発売されるはずだった「WOW WOW WOW」はライブで初披露されて03年末のハロプロ年末恒例コンピ盤『プッチベスト4』に収録されたが、結局タンポポもプッチモニもはそのままフェードアウト状態となって終焉した。3番目の派生グループだったミニモニ。のみ04年まで新曲リリースが継続した。

そんなわけでプッチモニはハローマゲドン後シングルを発売できずじまいだったため、ライブに行っていたファンとコンピ盤『プッチベスト』シリーズまで隈なくチェックしているコアなリスナー層以外には01年のシングル「ぴったりしたいX’mas!」が最後でハローマゲドンを受けて最後にリリースされたベスト盤『ぜんぶ!プッチモニ』で終了したという認識じゃないかと思う。「ちょこっとLOVE」から20周年を記念して久々に4シングルを振り返る。

2019.12執筆(2007年頃に過去曲回顧で公開していたものは記録が途中で消えていたので全面破棄で新規執筆)

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倉木麻衣 20周年シングル回顧4~2016-2019~

この時期になるとさすがに配信に移行することが増え、コナンでも配信送りに、コナンじゃないともうCDにはしないような状態となっていった。そんな中で久々にコナン映画主題歌を担当した2017年、「渡月橋~君 想ふ~」が久々の大ヒットとなった事で紅白復帰まで果たすなどイレギュラーな事態が巻き起こった。まさかの大当たりにより、これに引っ張られての活動も続いた。コナン続きなのを逆手にとって主題歌担当回数のギネス記録に認定され、それらを集めたベスト盤もリリースされた。

いくらヒットしたとはいえ「渡月橋~君 想ふ~」で次の年まで引っ張り続けるのは若干無理があったものの、そうこうしている間についに20周年を無事に迎える事となった。ビーイングの女性歌手で活動休止も外部移籍もせず、これといった病気公表も無く、毎年必ず1作は新作を出し続けて20周年を迎えたというのは初の快挙となった。線が細そうで何気にかなりの鉄人体質なのかもしれない。

2019.12新規執筆(最近の作品が多いので発売時の感想と変わってない部分多めのため一挙公開)

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倉木麻衣 20周年シングル回顧3~2008-2014~

元旦のアルバム『ONE LIFE』では当時のO社年末年始の合算集計の情勢を見誤ったためにまさかのトップ10落ちを記録するなど低迷を続けていたが、10周年に向けては、スタイリッシュな方向性を打ち出した新路線が好評でアルバム『touch Me!』は前作トップ10落ちから一転しての1位を獲得して人気復活をアピール(実際は売上はほとんど同じだったので週選びを見極めただけではあった)地上波TV出演解禁も相まって最終的に『touch Me!』は前作『ONE LIFE』をわずかに上回る初のオリジナルアルバム売上上昇となった(デビュー作が売れすぎたので基本出すたび下がり続けるのが宿命状態だった)。立て続けの10周年展開ではCM大量露出もあって存在感を示し、明確に売上を伸ばすことに成功、華々しい10周年を迎える事が出来た。

以降も路線を変更しながら活動を続け、西野カナによく提供していたGiorgio 13を迎えたりもしていた。15周年を迎える前には一時スランプにも陥ったようだが、復活を遂げポジティブな溢れんばかりの勢いで(「TRY AGAIN」→「Wake me up」→「無敵なハート」→「DYNAMITE」)突き進んだ。

またベストかよ感はあったものの、15周年ベストでは1stアルバムのジャケ写を再現する試みが行われ、ほとんど変わってない美貌に注目が集まった。また中期を削って初期と最近寄りの選曲にするといった工夫も見られた。

2019.11執筆(以前の過去曲回顧は「Beautiful」までのシングルだったので以降は完全新規)

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倉木麻衣 20周年シングル回顧2~2002-2008~

この時期になるとシングル売上は10万枚を下回るようになっていったので、もう知らない人は知らないという状態になってきていたんじゃないかと思う。一方で紅白歌合戦には03~05年に3年連続で出演した。この時期はTVに出ておらず、この3年間も”紅白でだけTVに出てくる人”だった。この3年間では「Stay by my side」「明日へ架ける橋」「Love, Day After Tomorrow」という選曲で、NHKタイアップだった「明日へ架ける橋」以外はその年の曲を歌う事は出来なかった。最初の2年は中継出演させてもらうなど大物扱いではあったが、正直人気が伴わなくなってきている感もあって、3年目はかなり厳しい感じがしていたが案の定3年連続で途切れた…。

05年にはセルフプロデュースへ移行。まもなく長戸大幸の長戸大幸名義でのプロデューサー復帰により、以降は連名となった。2007年にはGIZAから新たに設立したNORTHERN MUSICへ移籍するなど環境の変化もあった。NORTHERN MUSICへ移籍以降は外部作家の起用が増加した。

2019.10~11執筆、10周年時2009年に行った過去曲回顧の完全破棄リメイク

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倉木麻衣 20周年シングル回顧1~1999-2002~

98年末に突如出現した宇多田ヒカルの大ヒットから丸1年、99年末に宇多田ヒカルを彷彿とさせるまた新たな10代の女性シンガーが突如登場した。倉木麻衣の初期キャリアは宇多田ヒカル無くしてはありえないというくらい、宇多田ヒカルに印象を寄せたイメージ戦略が展開した。何だか良く分からないままに一大ブームとなって1stアルバムが350万枚を突破する空前の大ヒットとなったものの、その後シングルで50万枚を越えることは無く、アルバムも2ndはミリオン、3rdではミリオン割れとなった。90年代には1stがミリオン、Wミリオン級の空前の大ヒットになるも2nd以降で失速して落ち着いていくという売れ方も多かったが、そういう90年代的なメガヒットの最後の頃でもあったと思う。

基本的に代表曲とされていて広く知られているヒット曲は概ねここまでで出揃っている。当時はコナン歌手のイメージもそこまで強くは無かった。代表曲として挙げられる事の多い5,6曲の中でもコナンは「Secret of my heart」くらいである。愛内里菜、GARNET CROWら多数のレーベルメイトや新顔でコナンタイアップを回していたので倉木麻衣が飛びぬけて担当していたわけでもなかった。

2019.10執筆、10周年時2009年に行った過去曲回顧の完全破棄リメイク

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浅岡雄也 シングル&アルバム回顧2~2009-2019~

2009年からはソロデビュー以降在籍していた事務所・レコード会社を離れて完全独立。これに伴い公式サイトとFCも新たに立ち上げ直す事となり、現在の公式・FCへ移行した。一般的にイメージされる個人事務所とかインディーズというよりも、サイトの更新から音源制作(uyax studioという表記はメジャー時代からあったので自宅スタジオは既にあったようだ)、発注、そしてCD発送業務まで基本的に自ら行っているようで自主制作といった方がしっくりくるかもしれない。

一方でメジャー時代はほとんど実現しなかった生バンドでのレコーディングが自ら指揮を執る事で可能となり、基本的には生バンド編成となった。これに伴ってか作風もメジャー時代はミドル~ミディアム主体だったのが生バンドの勢いを生かしたアップテンポが増えた。FIELD OF VIEWからのイメージだとメジャー時代よりもむしろここからの方があの頃と変わらぬイメージかもしれない。

しかしCD販売がライブ会場&自社通販のみになってしまったので販路は大幅に限られた。Amazonなど大手に委託すると多額の手数料が取られてしまうので割に合わないそうで、自社通販のみとしていたが、慣れていない者にはかなり購入ハードルが高く、当初は銀行振り込み・代引きくらいにしか対応しておらず、Paypal決済を通じてのクレジットカード払いができるようになったのもここ数年の事であった。

配信も試験的にベスト盤や単曲、完売した作品などの一部を除いて大手サイトへの配信を拒否していたが(還元率が悪いとかで)、一方でハイレゾでの配信も行っていた。これもやはり大手ではなく、BASEを使って個人配信サイトを作ったり、Gumroadで販売するという形を取っていた。

そんな中、2019年ついに大手配信サイトへの解禁を決意されたようで、ストリーミングも一挙解禁された(最新作は配信しないなど抜けはある)。今回販路が拡大してひとまず誰でも手軽に聞けるようになったのを記念して勝手にピックアップして過去曲回顧してみる事にした。Twitter芸人としてしか知らない、ツイ廃の成れの果て、FOVは好きだったけど今何してるのか知らない、「DAN DAN心魅かれてく」をアニサマ会場の外の特設ステージで何年か前に歌ってるを見た、TVで爽やかじゃなくてTwitterで愚痴りまくってるオジサンとしてやってるのを見た…など様々だとは思うが、現役のシンガーが本業であり、たとえ織田哲郎のお墨付きで本人が爽やかじゃなかろうとも曲も歌声も昔から今まで爽やかなままだ。曲だ、曲なんだ、曲を聞いてくれ!

2019.9執筆

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浅岡雄也 シングル&アルバム回顧1~2003-2008 メジャー時代~

02年11月に大阪・東京で解散ライブを行い、応募殺到につき追加公演として02年12月1日赤坂BLITZでのライブで解散したthe FIELD OF VIEW。年明け03年早々にボーカル浅岡雄也はソロ公式サイトを立ち上げてソロ活動の開始を告知した。そして7月にソロデビュー。事務所・レーベル共に移籍してのソロデビューだったが、ソロデビューの告知は当時まだ残されていたFIELD OF VIEWの公式サイトでも行われていた。

当初はトライエムのMeldacレーベルだったが(1stシングルのみタイアップ絡みで同じ第一興商傘下の徳間JAPANから発売)、05年にトライエムが徳間JAPANに事業譲渡をしたため徳間JAPANのMeldacレーベルへと自動移動した。08年までにシングル6枚、アルバム7枚、ライブDVD2枚をリリースした。

基本的にCDが全国流通・一般流通していたいわゆるO社ランキング対象となっていたのはこの時代まで。

2019.9執筆
ソロ5周年記念でシングル6作を取り上げた2009年頃執筆の過去曲回顧を全面リメイク、アルバムからピックアップして曲を追加

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福耳 20周年シングル回顧~1999-2018~

事務所オフィスオーガスタのオールスターユニット福耳。参加メンバーは当初の3人から徐々に増員し、やがてほぼ全員が参加者となり、サポートの演奏メンバーも事務所内の演奏者で固めるようになり、演奏者もメンバーに含まれるようになった。

オフィスオーガスタ自体がBARBEE BOYS解散後ソロになった杏子のマネージメントのために設立されたため、杏子が最長老的存在となっており、当初の楽曲は杏子が完全なメインボーカルでそれ以外のメンバーはコーラス扱いであった。

1998年Zepp Sapporoの杮落しライブ「福耳」にて杏子、山崎まさよし、スガシカオの3人で杏子のソロシングル「星のかけらを探しに行こう」を歌唱したのがきっかけとなり、翌99年に杏子、山崎まさよし、スガシカオの3人によるスペシャルユニット福耳として「星のかけらを探しに行こう Again」でデビュー。

同じく99年、00年に山崎まさよしが行っていた夏の野外ライブ「YAMAZAKI MASAYOSHI in Augusta Camp」は01年以降は事務所ミュージシャンが集う年に1度の夏の野外イベント「Augusta Camp」として恒例化した。

これに伴い、福耳としての新作リリースも02年以降不定期に行われるようになった。基本的に各メンバーが多忙なため、福耳としての新曲はシングルでも表題曲に限られ、C/Wは「ALL OVER AGAIN」を除いて既存曲のコラボライブ音源に限られ、アルバムリリースも何度か行われているが、これも福耳名義での新曲は制作されず、各アーティストがお互いをゲストで招いていた既存曲を収録したり、リメイクだったり、一部メンバーでの新曲などに留まっている。

そんなわけで福耳としての『ALL TIME BEST ~福耳 20th Anniversary~』に収録された全12曲を振り返る。

2019.8執筆

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福耳

RAG FAIR シングル回顧~2002-2009~

お笑いトリオ、ネプチューンの冠番組『力の限りゴーゴゴー!!』内で素人のアカペラグループを集めて大会を開く「ハモネプ」コーナーが人気を博し、01~02年にブーム的な人気となった。番組からはいくつかのアカペラグループがメジャーデビューを果たしてトップ10級の売上も記録した。

ハモネプの流れの中で最も人気と知名度を獲得したのがRAG FAIRだった。実際にはRAG FAIRはハモネプの大会には出場しておらず、90年代末期に大学サークルの延長で結成された番組時点で既に数年の活動歴を持つグループであった。メンバーのおっくんがレプリカというグループにアカペラを教えていたところを番組関係者に見込まれてレプリカとして出演して活躍。このTV出演を機におっくんのボイパの凄さが視聴者をざわつかせ、おっくんの本所属グループであるRAG FAIRもゲストとして出演。コーラスグループというより最早アカペラバンドと形容すべきパフォーマンスが評価され、番組との縁も一気に深くなり、当時音楽活動もしていたネプチューンのシングル「イッショウケンメイ。」のC/Wに収録されたアカペラバージョンのアレンジをRAG FAIR名義で担当。そのまま一気にメジャーデビューとなった。

中央に立つメインボーカルの土屋礼央はグラサンにファーというチャラい格好でノリも良く、他のメンバーも全体にウェーイ大学サークルノリを色濃くイメージさせるようなザ・大学サークル上がりみたいな風貌だったが、前述のように結成は90年代末期でその頃既に20代半ばになっていて、就職のために脱退したメンバーも既にいた。実際デビュー直後にもベースボーカル担当の高久陽介が脱退、数年前に就職のために脱退していた加納孝政が会社を辞めて再加入するといったメンバーチェンジもあった。

アカペラという武器でのし上がった彼らが実力派だったことは間違いないが、チャラい風貌はTVタレント的なインパクトはあっても同時にイロモノに見られがちで、アカペラ自体もTVの企画モノとしての一過性のブームとして急速に消費された事もあって、2002年には27時間テレビ内でも大々的にハモネプの大会を開催したのが完全にピークになって、番組も終わってしまった。ハモネプ大会の特番は不定期放送として残ったものの、ブームが終わってしまうとRAG FAIR以外のアカペラグループは後のヒットが続かず、最も人気を得ていたRAG FAIRも出すたびに下げ止まらずにファン層を拡大することはできなかった。

個人的にもブームに乗ったチャラい大学サークルノリの連中という偏見が当初あったのでまともに耳に入れていなかったが、土屋のグラサン&ファースタイルも徐々に落ち着いていき(ファーのイメージが強いがファーをしていたのは何気に4thまで、グラサンもメジャー末期の頃にはメガネになった)、楽曲自体も実力派コーラスグループの側面を強く打ち出し始めた辺りから、実はポップスグループとして凄い人たちなんじゃないかと考え直して聞くようになった。

残念ながらそのように見直して聞き始めるリスナーがほとんどいなかったようで2009年を最後に新作リリースが停止、2011年に活動を休止2012年末にはライブ活動を再開したものの、たま~のライブ中心の活動となり、新曲は会場限定や通販限定など販路が限られたものが2作出た程度。やがて2013年加納孝政が再脱退2019年おっくんこと奥村政佳が政治家を目指すとして脱退。直後の参議院選挙に出馬したが、落選した。政治家への強い決意を語っていたものの、RAG FAIR初期の知名度に頼った「ボイパのおっくん」を自称してボイパを披露しまくったので、元ファンには結局それ(ボイパ)で行くんかい…と幻滅され、知らない人には突然プシプシ言い始めるこの候補者なんなん?軽すぎね?と映ったのでは…

現在のメンバーは土屋礼央、引地洋輔、荒井健一、加藤慶之の4人だけ、しかもリズム隊2人が相次いで抜けてしまったので、ハーモニーのみのコーラスグループ状態となっている。奥村脱退時の土屋のコメントでは過去に解散の言葉が出たことがあるが、解散をするのを辞め、一生RAG FAIRでいる事を決めた、それぞれの人生を尊重し、全員のタイミングがあった時がいつでもRAG FAIRなんだというスタンスで活動していると語っていた。なので今後も解散することは無いと思われるが、大々的に活動を展開することももうないと思われる。

そんなわけでメジャーでの最後のシングルから早10周年。19枚のシングルを改めて振り返る。

2019.7執筆

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REBECCA 35周年シングル回顧2~1999,2000,2002,2017~

90年の休止以降はメンバーは各自音楽活動を継続していた。毎年のようにベスト盤・編集盤・再発盤が発売され続けていた。解散したバンドなのに当初CBSソニーだった所属はレーベル移動を繰り返していてキューンに移動になったと思ったらソニーに戻ってSMEに変わり、近年のリマスター再発はSony Music Directというたらい回しっぷり。その上、再結成しての新曲は全て別のレコード会社に移籍して出しているという…。

1度目の再結成はライブのみ。1995年5月に阪神・淡路大震災の復興支援で2日間限定で再結成し、横浜アリーナで2days公演を行った。当初1日限定だったのが追加公演でもう1日追加されたので2日間となった。この当時は前年の94年にNOKKOがソロで「人魚」「ライブがはねたら」などREBECCAの最高売上を突破するようなシングルヒットを出してソロでも人気絶頂を迎えていた時期だった。

1999年には野島伸司脚本のフジテレビ月9ドラマ『リップスティック』に「フレンズ」が主題歌として採用され、ほかにもいくつかの楽曲が劇中で使用された。この際にはremixed editionとして既に古くなっていた80年代のサウンドを90年代のサウンドにミックスし直すリミックスが施され、シングル「フレンズ~remixed edition~」、アルバム『Complete Edition』共に大ヒットを記録した。また同じタイミングでNOKKOがソロ名義で「フレンズ」のセルフカバーシングルを発売したが、REBECCAでの一連のリリースは再録音ではないので土橋がプロデュース監修として関与したのみだった。

2000年にはREBECCA再結成を発表。移籍してシングル「神様と仲なおり/HELLO TEENAGE」をリリースした。しかしライブも無く、この1枚ポッキリでそのままフェードアウトしてしまった。この直後にはソニーから前年の続編『Complete EditionⅡ』がリリースされた。こちらにはより深く土橋が関与していてブックレットでは1曲ごとのライナーを書き下ろしている。

さらに02年にはシングル「Raspberry Dream/Tatoo Girl」をリリース。これは99年に発表されていたremixed editionでの「Raspberry Dream」のシングルカット及び木暮・小沼在籍時の初期の未発表曲「Tatoo Girl」の両A面であった。続けてremixed editionの総集編ともいえる『LEGEND OF REBECCA』もリリースされた。

以降は04年に『REBECCA COMPLETE BOX~20th anniversary~』で大半の楽曲をBOXリマスター化、2007年にオリジナルアルバムの紙ジャケ単独リマスター、2010年にはシングルA面B面を網羅したベスト盤『GOLDEN☆BEST』』、2013年に更なる最新リマスター&Blu-spec CD2でオリジナルアルバムとリミックスアルバムを再発、2015年にはGOH HOTODAによる最新ハイレゾリマスターにより、ハイレゾ配信もされている。再結成のタイミングに関係なく、00年代以降のリマスター回数が何故かやたらと多い

しかし再発されまくる中、気がつけばNOKKOはGOH HOTODAとの結婚後、00年以降はほぼ表舞台から遠ざかる状態となっていた。2010年に本格的なソロ活動を再開させた。手始めにカバーアルバム『KISS』を発表。REBECCAのセルフカバーもいくつかそこで発表された。

そして2015年に突如再結成を発表。再結成時点ではベース高橋教之が兄と母の介護のために運送会社に就職し、既に音楽業界を半分引退状態にあった。高橋はメンバーの事を忘れたことは無いと復活への喜びを語り、足を引っ張ってはいけないと仕事の合間に練習に励んで再結成ライブに備える様子が当時の特集番組でもクローズアップされた。この再結成以降、継続的な活動は無いものの、NOKKOのソロライブのサポートを高橋教之が担当するなどしている。

2016年は活動が無かったが2017年にはツアーと新曲を発表。2018年以降は再び宣言無く沈黙している。再結成したもののその後どうするのか明言せずに放置するのはどうやら芸風らし

解散後の各自の活動としてはNOKKOは90年代にはヒット曲も出しているし、土橋安騎夫も曲提供やプロデュース業を手広くやっていたが、プロデューサーの時代においてもてはやされるほどの存在にはならず、共に00年が近づくにつれてヒットから遠ざかり、活動も縮小気味となり、正直あまり知名度は高くない。

メンバーで最も有名になったのはドラムの小田原豊だと思われる。現在に至るまで様々な有名ミュージシャンのサポートドラムとして引っ張りだこになっており、J-POPのヒットアルバムをある程度所有していれば必ず、ドラムに小田原豊の名前が入っていてもおかしくないくらいの日本を代表するドラマーの1人だ。レベッカは「フレンズ」しか知らないが、小田原豊がドラムを叩いている曲は(そうと知らなくても)いくつも知っているという人も多いかもしれない。同じくサポートギターの是永巧一もかなりあちこちにサポート参加しており、アレンジやプロデュース作も多数ある(たぶん土橋より多い)。

個人的にREBECCAを知ったのは『リップスティック』であった。当時80年代のキーボードやシンセサウンドは相当に古びた時代錯誤のものに聞こえており、今と異なり10年ちょいで時代錯誤なくらい古く聞こえてしまうほど時代はめまるぐるしく、音の変化が激しかった。そんな99年だけにリミックスが施されてのリバイバルは必然だったのかもしれない。

以降緩やかにremixed editionを聞きつつ、2015年の再結成を前にしてベスト盤以外も一気に全作制覇して、再結成ライブのさいたまスーパーアリーナに参加。さらに2017年の日本武道館にも参加した。完全なremixed edition世代である。

2019.6執筆

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REBECCA